| 日本の教育 |
1.書籍情報
堀尾輝久『日本の教育』(東京大学出版会、1994年)
2.論旨の概要
本書は、近代以降の日本の教育制度を歴史の流れに沿って理解するとともに、現代日本における教育を他の社会要因との関わりの中で捉えて教育制度の現状に問題を提起し、将来の教育のあり方の展望を示そうとするものである。
ヨーロッパ先進国における近代社会の展開は、17世紀の近代成立期から19世紀末までの「古典近代」、19世紀末から第二次大戦に至る「帝国主義の時代」、そして1945年以降の「地球時代」、の三つに時期区分できると考えられる。近代化に出遅れた日本にあっては、それぞれ明治維新から1880年代まで、1880年代から第二次大戦終結まで、第二次大戦後、がこれに対応する。
市民社会における教育制度は、これら各時代の影響を強く受けつつ変貌をとげてきた。本書は前半で、日本を対象としてこの社会の変遷と教育制度の変遷との相互の結びつきを解明し、現代日本の教育制度の諸問題を、戦前からの連続と断絶の構造という視点から把握しようとする。
さらに後半では、現代日本の教育制度を、政治と教育、経済と教育、といった観点から観察するとともに、教育における自由と公共性の理念の問題に論及し、戦後の地球時代において、教育の自主性、自律性、公共性がどのようにして実現されるべきか、についての展望を探る。
3.内容要約
戦後日本の教育を考えるためには、戦前の帝国主義時代の教育がどのようなものであったのか、そしてその教育制度が戦後の教育制度にいかなる点で連続し、いかなる点で断絶しているのか、を考察することが重要である。
戦前(1880年代から1945年まで)の日本の教育制度は、ひとことで言えば天皇制教育体制であったと言うことができる。その特質の大きな柱としては、
a.帝国憲法・教育勅語を民衆の信条体系として浸透させるための手段としての教育
b.国体に反しない限度で認められるにすぎなかった思想の自由と教育の自由
c.学問と教育が分離され、学問の自由は教育には及ばないとされた
d.義務教育の本質は、子供を忠実な臣民に育てるべき親の義務
e.政治的対立を越えた精神的権威としての天皇が、教育の内容にまで関与した
といった点が挙げられる。
他方、戦後の教育制度は教育基本法体制として要約され、その特徴は、
a'.子どもの人格の完成を目的とする教育
b'.大幅に認められた思想の自由と教育の自由
c'.国民の知る権利、探求する権利として学問・教育の自由が統一的に把握される
d'.義務教育とは、教育に必要な条件を整備すべき国家の義務をいう
e'.法の教育への介入、教育の政治的中立性に関しては問題を残す
といった点にもとめられる。
こうして、戦後の教育は制度の大枠としては天皇制教育体制からの大幅な脱却をとげ、その意味で現代教育の理念は戦前から断絶しているといえる。しかしその一方で、すでに教育基本法施行当初から、その平等主義・民主主義的理想は多くの批判にさらされてきた。その批判のなかには、戦前の権威主義・国家主義的な体制の復活を期するかのようなものもあり、こうした教基法の理念は十分に実現されているとはいえない。この点で、現代の教育はまた戦前の体制の連続としても捉えることができる。
教育の政治的中立性という考え方は天皇制教育体制のもとでも認められていたものであるが、それは、政治的対立を超越する天皇の意志が教育の内容に干渉し、忠実な臣民の養成をはかるという文脈においてであった。これに対し、憲法および教育基本法は天皇の権威を教育から取り除き、子どものための教育の中立性・自律性を確保しようと試みた。ところが、朝鮮戦争に表れるような東西対立・冷戦の進行のなかで、日本においても反共政策・反共教育の必要性が叫ばれ、この理想も大きく歪められることになった。地方教育行政法の施行による教師勤務評定の開始(1955)、学習指導要領の改定に伴う「道徳」科目の特設、日の丸・君が代の推奨(1958)、といった諸施策とともに、教科書検定の強化と学力テストの一斉実施が行われ、「期待される人間像」(1966)が提出される。これらの動きによってめざされていたのは、中立性の確保を口実とした教育内容への国家の介入と、個性的な教育の排除であった。教育が政治的対立から独立に自律的作用を営むべきであるとする当初の理想は、教育が政治的に中立であるかどうかを国家が立ち入って裁く、という意味にすりかえられていったのである。
戦後日本の急速な経済復興のなかで、日本の産業構造は工業中心のそれへ大きく転換し、テレビの登場が象徴するように、国民の生活も次第に豊かになっていった。そのような背景のもとで、経済界の教育に対する要求が高まってくる。高度経済成長のために、均質で勤勉な労働力を大量に確保する必要が生じ、他方、宇宙開発と原子力の発展のために、世界的に通用する優秀な人材を国内で育成することがもとめられた。このような要請を表現する形で、いわゆる「能力主義」が主張されて苛烈な受験競争への道が開かれるとともに、1963年の経済審議会答申において「ハイタレント・マンパワー」への注目が謳われ、すべての子どもに平等に教育の機会を保障しようとした教育基本法体制は重要な問題をつきつけられることになった。そして能力主義の問題は多くの複雑な問題をはらみながら、教育民営化論へと行き着くことになる。
教育の自由という理念は、本来、国家による教育への干渉から教育が解放されていることを意味するものであった。それは、国家一人占めの教育観に抗して、教育が国民の手に委ねられることを内容とする。しかしその一方、その「自由」の理念は、経済界からの要求を受ける形で、能力主義・受験競争の無制限な放任を内容とする、積極的な教育の自由化・民営化論へと結実することになった。しかしこのような意味での教育の自由化は、実は教育の商品化をしか意味してはいない。
これに対して、国家の介入からは自由(フリーダム)でありつつ、無秩序な放任に陥ることなく、教育基本法を軸とした自律的自由(リバティ)を教育において実現しようとする第三の立場が可能なはずである。
教育の公共性についても同じことが言える。国家が一人占めし、国民に押しつける「公」の理念に対し、教育の民営化を主張し「私」を優位に置こうとする立場が存在するが、そのいずれにも与せずに、人権を軸にした公共性、「一人ひとりのものであると同時にみんなのものである」公共性が、教育において実現されることが望ましい。
これからの教育を考えようとするとき、知、あるいは学校知のあり方の検討を避けて通ることはできない。知が管理されているという問題、さらに情報化社会を迎えて、知による社会支配がますます進むであろうという事実が、これからの教育制度に密接に関わってくることになるだろう。
4.評釈−本書の提示する視点と私の問題
現在の日本の教育問題に関して、私が最も強く関心を抱いているのは、子どもたちのいわゆる「問題行動」の原因と本質はなにか、ということである。教育がどこかおかしい、教育の何かがうまくいっていない、と私たちが感じるとき、それは結局のところ、教育の最大の当事者である子どもたちの示す登校拒否や家庭内暴力や犯罪といった現象の中に、最も鋭く現れていると考えるからだ。教育の制度上の問題、また教育を取りまく社会のあり方の問題は、もちろん子どもたちの行動を考える上で無視することのできない要因であり、しかもそれ自体として一つの重要な問題でありうるが、少なくとも現在の日本の教育が対象となっている限り、その最も重要な、かつ深刻な課題は、子どもたちの問題行動をどうするか、を措いてほかにはない。教育がともかくも健全である、ないし今よりはまだマシである、と言いうるとすれば、それは何よりも子どもたちの様子がおかしくないことをもってそう言うべきであって、それが満たされていない限り、いかに教育制度・教育政策が有効に作用しているかのようであっても、そこにはなお深刻な問題が残されていると考えざるを得ないからである。
本書は、日本の教育を前世紀以来の社会の歴史的変化の流れに沿って、特に教育「制度」の側面から追跡したものである。上記の要約にも示したように、ここでは、日本の教育に影響を与えてきた理念と社会的現実との構造、そして教育制度と政治・経済との関わりが論じられている。それゆえ、本書は、その主題に関しては多くの示唆に富む主張を含むとはいえ、私の抱いている問いに直接こたえる性質のものではない。しかしそれにもかかわらず、本書は私の問題にとっても重要な記述を含んでいると考える。繰り返すが、子どもたちの問題行動を考えるためには教育制度や教育環境のありかたについての考察を避けて通ることはできないのであり、というよりも、子どもたちを取りまくそうした社会状況との関わりを無視して個々の問題行動を取り上げただけでは、有効な結論には到底達することはできないからである。そこで私にとっては、本書に記述された知識を前提として、そこで論じられる教育制度の問題を、現在の子どもたちの問題行動と関連させて読むこと、つまり本書を、私自身の視点から、私のもつ問題意識の文脈において理解することが重要な作業となる。
戦前の天皇制教育体制に基づく教育制度がどのような問題を抱えていたかは、ひとつの問題であるが、少なくとも戦後の教育体制が、その戦前の教育体制を否定し、超克しようとする点から出発しようとしたことは確かであろう。それは、帝国憲法や教育勅語と、日本国憲法、教育基本法との、教育に対する見方の根本的な相違のなかにみてとることができる。そこで、戦前の天皇制教育体制を、欠陥の多い、問題をはらんだものと考えるならば、その否定にたった戦後教育体制への変革は、その限りで肯定的に受け止めることができるだろう。
ところが、すぐれた理想をたてたはずの戦後教育が、その実施から50年を経たいま、子どもたちの問題行動の噴出にみられるような破壊的で否定的な状況を現出している、ということの意味をどう捉えるかが、まず問題とならねばならない。教育制度や教育政策の抽象的な善し悪しよりも、現に教育はうまくいっていないし、子どもたちの多くは学校において幸福ではない、という事実認識が私の出発点であるからである。戦後の教育体制は少なくとも戦前のそれと比較して進歩したものであった。しかしその一方で私たちの目の前の教育は成功していない。だとすれば、戦後50年の教育は、どのようなプロセスのもとでその二つの事実を結びつけるに至ったのであろうか。
考え方は二通りある。ひとつは、戦後教育改革自体に、当初から欠陥があり(予期されていたか否かはともかくとして)、現在の問題は、戦後教育体制にあらかじめ内在していたその欠陥の当然の帰結である、と考える立場である。戦前の教育体制のもとでは現代のような「わがままな」子どもはいなかった、という論調を用いつつ道徳教育の強化や愛国心を強調し、戦前的な教育体制の復活を訴えるタイプの主張も、この立場を基礎として生じうる。その一方で、第二に、戦後教育改革の理想じたいは正しかったのに、他の様々な要因に阻害されてまだ実現していないとする考え方も可能である。この立場では、未実現のその理想を実現するために努力することが、教育政策の重要課題とされることになる。
本書の著者は、基本的に第二の立場に立つもののようである。著者は本書において、人格の完成、学習権の保障をめざした教育基本法の理想が、そのときどきの政治や経済の要求によっていかに干渉を受けてきたかを、多くの事例によって論証している。教育内容の細部にわたって規制をめぐらす教育行政や、企業社会の維持に役立つ勤勉で均質な人材育成を要求する経済界の圧力によって、学校教育のあり方が否応なしに歪められていった過程の論証は、まさに第二の立場を裏付ける強力な論拠となっている。この考えには、私も基本的に賛成する。戦後に採用された憲法・教育基本法の教育理念は現在においても充分に妥当なものであり、しかしそれはほとんど実現されるに至っていないと思うからだ。
しかしながら、子どもたちの置かれた教育環境のおかしさを考え、子どもたちの問題行動の原因は何かという問題をたてようとするときは、この理想の未実現という説明だけでは不十分ではないかと私は考える。なるほど教育基本法の理念は肯定できる、またその理念が社会の現実のなかで実現を阻まれてきたことも確かである。だが、私の問題は、子どもたちが不幸であるとはどういうことか、子どもたちが幸福であるためにはどうすべきか、である。教育基本法の理念を実現すれば子どもたちは幸福になれるのか? その理念の実現を妨げている要因を排除するだけで十分なのか? これは、教育制度の制度としての善し悪しを出発点とするアプローチの下では、そもそも見えてこない問題点である。
私は、子どもたちの問題行動については、むしろ教育における理想を掲げる立場の側にも責任の一端があると考える。それは、次の二つの理由からだ。第一に、人権・自由・平等といった、戦後の憲法、教育基本法に盛り込まれることになった民主主義的理想が、またたく間にその本来の切実な意味合いを失い、空疎な合言葉のごときものに堕してきたなかで、それらの理想を伝達すべき立場にある人々(学校教師)が、概念のその空疎化に抵抗しないばかりか、その上に安住して思考を停止してきたこと。第二に、これらの人々が、理想を掲げつつ現実に敗れることを、敗れることを承知で理想を掲げることへと転倒させ、戦略も勝算も欠いたまま敗北主義的反体制運動のなかに自閉自足し、現実の子どもたちの苦痛も、その苦痛を除去することの切実さも、共有しなかったこと。
戦後の憲法や教育基本法にみられるような諸理念は、いうまでもなく、もともと人類の血なまぐさい試行錯誤の末にようやく獲得された切実な言葉であった。人間相互の利益の対立から二度の大戦を起こし、全人類の破滅さえをも可能にする「核」の力をも手にするに至った人類が、ともかくもこの地球での共存を可能にするために、ギリギリのところで成立させたシステムの一つが、「人権」である。人間が破滅的な戦争を回避して生き延びることができるかどうかは、ひとえに、この人権の概念を、その生き生きとした実感とともに後代に伝えていけるかどうかにかかっていたはずである。しかし私たちが見てきたのは、社会が豊かになるとともに、それがいつしか進歩的知識人の単なる合言葉にすぎなくなり、本来の切実さも真摯さも失って、それこそ敵対者や子どもたちへの「お説教」のごときものでしかなくなってきたことであった。「人を殺してはいけない」、それはその通りである。しかし人間はときとして、悪いと知りつつ殺さざるを得ないほど追いつめられることもあるのではないか? 自分にとって不都合な相手を殺してしまえば非常に快適であるとすれば、なぜそれを実行に移してはならないのか? 人権概念の根源にかかわるそのような問いを子どもが提出したとき、教育の場にある大人たちはそれに誠実に答えようとしただろうか。むしろ、そのような問いそのものを人権の名のもとに禁じたのではなかったろうか。なるほど現実の社会は、そのような問いを受け止める余裕をもたない。殺人は、処罰される。しかし、だからこそ教育の場こそは、その問いを謙虚に受け止めて考え直してみる場所であるべきではなかったのか。自由や平等の実現は、まず自由や平等を根本から疑ってみるところからしか出発しないのではないか。戦後教育は、その最も基本的な部分をないがしろにして、内容を失った理念を子どもたちに詰め込むことにばかり熱中してきたように私には思える。
また、このような理想を掲げる人々は、その理想を実現することを、本当はどれだけ大事と考えていたのだろうか。学力テスト紛争や教科書裁判が、重要でないとはいうまい。けれども、家族の崩壊やいじめの増加といった、政治的ではないけれどもはるかに深刻な(と私には思える)事態が経済高度成長と同時に進行し、子どもたちのうえにはっきりと影響を及ぼし始めたとき、そのつかみどころのない障害に教育をもって対処しようとする動きが、教育をめぐる政治運動の何分の一かでもあっただろうか。どんな優れた政治さえも無意味にしかねない根本的な変化が子どもたちの上に現れはじめたときに、すべてを政治や教育行政の責任にしたり、政治や教育行政に責任のある問題だけにかかずらっているのは、教育改革を訴えるその外見上の姿勢にもかかわらず、実は怠惰で無責任なことである。教育基本法の理想と目的が子どもたちの幸福にあること、もしそのことが生き生きとした実感をもって共有されていたならば、どうしてこの教育の崩壊の阻止を最優先の課題にせずにいられたのだろう? 教育の改革が子供たちにとってどれほど必要か、そして子どもたちにいちばん不足しているのは何であるか、への理解の欠如、それは教育の理想が空疎化していくことを放置した知的怠惰の、裏面をなすものではないだろうか。
戦後教育は、一方において、教育をそれぞれの目的のための手段として利用しようとする政治的・経済的な圧力によって歪められてきた。同時に、そうした干渉に抗議し、教育の理想を追求しようとする側は、子どもたちの置かれた現状への的確な認識を欠き、解決すべき問題に対して効果的な戦略を展開できないできた。その、現実の暴走と理想の無力との狭間で、いちばんの当事者であるはずの子どもたち自身はますます孤立し、置き去りにされ、等閑に付されてきたのであった。現在の子どもたちの問題行動をもたらした最重要の背景は、そこにあると私は考える。
整理しよう。たとえば政治には、政治固有の価値・理念(治安の維持など)があり、この理念の実現のために政策がうちだされ、政治的な要求として社会に影響を及ぼそうとする。また経済にもそれ自体の価値(効率的な金銭の獲得)があり、その実現要求が経済的圧力として社会に作用していく。その他多くの社会要因についても同様であって、つまり社会とは、そのような多様な利益が錯綜する混合体であると考えることができる(図参照)。ところで、教育もこれらと同じくそれ自身の理念を持つはずであり、政治的必要や経済的利益の実現のための単なる手段として、それら「教育の外からくる」目的に従属すべきではないという立場に、本書はたつ。著者が本書において終始一貫して主張する、地球時代を迎えての教育の自律性とは、そのような意味であるだろう。
しかしここで、現代の子どもたちが置かれた教育環境の現状を顧みると、そうした教育理念の実現、教育環境の整備、ひとことで言えば教育のたてなおしが、いかに緊急の、根本からの効果的な解決を求めてやまない重要課題であるかが痛感される。教育の理念・価値・目的は、実現されなければならない。しかも迅速に、実現されなければならない。なぜなら、いま手をつけなければ子どもたちは取り返しのつかないことになるだろうからだ。(出発点としてその認識が共有されなければ、そもそも教育は「問題」ではないことになるだろう。)必要なのは、すでに破綻の瀬戸際にきている教育システムを正常化するために、あるいはその欠陥から被るダメージを最少化するために、いま何が可能かを考えることなのだ。だが、私たちが教育理念を実現しようとする現実の社会は、教育とともに政治や経済によっても構成されている複雑な社会である。多様な社会要因にはそれ固有の力学があり、それらの力学が、私たちの試みる教育改革にとって反動的に作用することも十分にありえ、現に今まではそうであった。諸利益が錯綜するそのような複雑な社会において、教育の改革が是非とも必要であると私たちが本当に考えるのなら、交錯する利益対立の狭間をぬって、結果的に実際に現実を変えることを可能にする効果的な方策はなにか、という戦略的な視点からの対策が、どうしても必要になるだろう。それをこそ「教育政策」と呼ぶべきであり、しかも戦後日本の教育に決定的に不足していたのは、ほかならぬその教育政策であったのだと、私は考える。
ひとつだけ例を挙げよう。子どもたちの生活にゆとりを与えることを目的として学校週休二日制が実施されたとき、実際には、増えた休みはもっぱら塾通いなどにあてられ、政策の趣旨が十分に実現されていないことが報告された。しかしそれは、政策の実施前から当然予想できたことではないのか。たしかに子どもたちの生活にゆとりが必要だという問題意識は間違っていなかったかもしれない。しかし、その要求を単純に週休二日制として実施した場合、その政策に対して、他の当事者(子どもたち・その親たち・学校・教師・受験産業・経済界etc.)がどのような胸算用からどのような反応を示すのか、その結果社会はどのように変動しまたは変動しないのか、そして結果的にその政策の趣旨は実現されるのか、といった事柄への予測と洞察が不足していたのである。ゆとりが必要である、したがって週休二日を実施する、それがうまくいかないのはみんなが協力しないせい、というのでは、まるでだだをこねる幼児のようではないか。これが政策の名に値するであろうか。
こうして、私にとっての問題点が明らかになってきたようである。第一に、戦後日本の教育がどのように失敗したのか、言い換えれば、他の社会要因との折り合いを考慮に入れなかった単発の教育政策が、複雑な社会の中でいかにして本来の目的を歪められ、無力化されていったのか、そのメカニズムをできるだけ詳細に明らかにすること。第二に、それでは、教育の崩壊というこんにちの地点に立って、社会の中に教育理念を実現することがどの程度まで、他の利益を排してでも遂行すべき緊急の課題とみなされうるか、を示すこと。これは要するに、教育改革のために福祉や不況対策をしばらく我慢することを国民に納得させられるのはどこまでか、その妥協線のありかを探ることである。そして第三に、そうした教育の理念を実現するためには何をするべきか、に答えること。ただ理想を掲げたり、教育が「こうあるべきだ」と語るのではなく、何をすれば実際に教育が変わり、いま変えなければどうなるのか、を考えることが必要だと思うからである。
上の三つの問題はいずれも困難な問いであり、そのすべてに手を広げることは、時間的・能力的制約からいって無理であろうから、いずれか一つに的を絞りつつ考察を深めてゆくことにしたい。ただ、その際いずれにしても、終戦から現在までの時間の流れに沿って、教育をめぐる様々な社会要因がどのように変遷してきたかを統計に基づいて調査・分析することが基本に据えられなければならないだろう。
以 上