大衆の危険意識」の研究

Public Perceptions of Risk

中央大学 教授(総合政策学部)
米国NY州)弁護士 
平野 晋

関連ページは、「法と認知科学・行動主義」「マスコミによる大衆意識の操作・悪影響」「現代製造物責任法の研究」「現代不法行為法理論ロボットPL」参照。

Susumu Hirano
Professor of Law, Faculty of Policy Studies, Chuo University (Tokyo, JAPAN)
Member of the New York State Bar (The United States of America)
Copyright (c) 2005 by Susumu Hirano.   All rights reserved. 但し作成者(平野晋)の氏名&出典を明示して使用することは許諾します。 もっとも何時にても作成者の裁量によって許諾を撤回することができます。

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当サイトは「大衆の危険意識」の研究および教育用サイトです。

First Up-loaded on Mar. 2005.

【未校閲版】without proof

目次

「同意」の重要性

価値的諸要素

専門家と素人とで判断が異なる例

感情による危険度の過大評価

制御不能・非自発的な危険

新規で複雑で理解し難い工学技術に対して大衆と裁判所は偏見を抱く (未知の--新規な--危険

新規な諸活動、機器等に対し過大な危険を認知する理由

カタストロフィーな危険

カタストロフィー的事故への危険意識が高い理由と対策 (追記)

危険性を人が過大評価・過少評価する諸要素一覧表の例

_____________________.

人は、ヒューリスティックス(簡便法)という認知方法を採るために、危険性を過剰評価しがちである。

誤った危険性判断と正しい価値評価による序列判断との相違を明らかにする必要性

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大衆は、高価格を回避するために安全性が劣っても止むを得ないというトレードオフ関係に従って行動しているか?

陪審員(大衆)は、「あと知恵」(hind-sight)の影響により、僅かな安全対策費用を企業が掛けてさえいれば該事故被害を防止でき得たはずだ、と、誤った計算をしがちである。

企業が危険と効用を衡量する計算をしておきながら、その計算結果に基づいて安全性向上策不採用という正しい決定していた場合には、陪審(大衆)は企業を責めがちである。

正しい計算を、大衆が何故、受け入れないのか?

命(身体・生命)の値付・計算を考慮すべき理由

(身体・生命)の値段 The Value of the Life & Limb

危険防止策の値段
「WTP」(Willingness To Pay)<「WTA」(Willingness To Accept)

危険効用分析を行ったこと自体で企業に懲罰を課しがちな陪審員の不合理さへの対処として、司法制度は陪審員から懲罰賠償の権限を取り上げるべきであるというハーバード大学教授の指摘

_____________________.

人々が危険度を過大評価する場合の認知心理学的分析例

逆に人々が危険度を過少評価する場合の認知心理学的分析例

 

First Up-loaded on Mar. 2005.

「同意」の重要性

個人が直面する危険については、その個人から同意があることこそがもっとも望ましい状態であることにつき、経済学的な理論家も倫理哲学的な理論家も、一致していると指摘されています。

See Geisfeld, infra, at 186 & n. 27.

First Up-loaded on Nov. 2005.

公衆による危険意識: 価値的諸要素

1. 制御不能/非自発的な危険。   E.g., 汚染大気吸引v.スキー
un-controllable / in-voluntary  (但、どこから「非」自発的なのかは曖昧 ∵人の認識力の限界。)

2.未知unknownの危険。  E.g., 境ホルモン、BSE、電磁場、新技術。

3.カタストロフィー的な危険、時間的場所的に発生が集中する危険/地域的時間的に国民全体に散逸するよりも集中する危険。  E.g., 大事故、大災害。

4.将来の世代にまで続く危険。   E.g., 放射能。
See Gillette & Krier, Risk, Courts, and Agencies, infra.  See also Cross, infra, at 890-91, 914.

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First Up-loaded on Mar. 12, 2005 and reprinted on Aug. 10, 2005.

専門家と素人とで判断が異なる例

素人の危険度の度合いが専門家と異なることはしばしば指摘されますが、その対比表の例を連邦最高裁Breyer判事(元ハーヴァード大学教授)の業績から、以下で示してみましょう。

健康リスクの序列
大衆による序列 該当リスク 環境庁による序列
有害廃棄サイト 中〜低
職場化学物質への曝露
原子力事故による放射能汚染 序列無し
放射性廃棄物 序列無し
地価貯槽タンクからの化学漏洩 中〜低
殺虫剤
工業事故による汚染 中〜低
12 オゾン層破壊
15 車両排気
17 酸性雨
20 遺伝子操作

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See Stephan G. Breyer, BREAKING THE VICIOUS CIRCLE: TOWARD EFFECTIVE RISK REGULATION 21 (1993) in Sunstein, Cognition and Cost-Benefit Analysis, infra, at 1063.

First Up-loaded on Aug. 26, 2005.

感情による危険度の過大評価

以下の指摘は、大衆が不合理に危険性を過大評価する原因を示唆してくれているのではないでしょうか?

危険性に関する人の懸念は、判断(judgment)の結果として生じるのではなく、感覚(feeling)から生じるという研究成果がGeorge Loewenstein等によって指摘されています。 そのような心配の感覚(feelings of worry)は、しばしば悪い結果の蓋然性に応じたものではなく結果の程度のみに応じたことによるsensitive not to the probability of the bad outcome but only to its severity)ということが報告されているのです。
頭脳の機能は時々、強烈な感情的反応を許容し、認知的活動を最小限にしか介入させません。  ある主の危険性は極度に鋭く、大きく理屈抜きな反応を生むのです。 悪くなるかもしれないという鮮明なイメージの前には、危険性の頻度に関する統計的証拠などはあまり効果が無くなってしまいます。

See Sunstein, Cognition and Cost-Benefit Analysis, infra, at 1070-71.

続けてSunsteinは、このような感情による不合理な感覚反応に対しては、費用対効用分析が有用であるとして、以下のように指摘しています。

費用対効用分析は、政策がヒステリーや根拠の無い警笛によって突き動かされることなく、関連する諸リスクとそ管理を完全に理解した上で動かすことを確かなものにしてくれよう。

See Sunstein, Cognition and Cost-Benefit Analysis, infra, at 1071.

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First Up-loaded on Aug. 26, 2005.

制御不能・非自発的な危険


- 対策として、非自発的な危険を、自発的なものにすべきではないでしょうか。
- すなわち、知られざる危険を知らしめる努力が必要。[と同時に、次項が示すように、「効用面」も知らしめる必要もあるのではないでしょうか。つまりは、両面伴に、隠さず、知らしめるべきでしょう。]
- 従って、周知の徹底、啓発活動が必要かつ有用。
- 例えば、免許、教習、広告、警告、指示、等。
- 認識力に限界があることを理解した上で、最善の努力を。

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First Up-loaded on Mar. 12, 2005 and reprinted on Aug. 10, 2005.

新規で複雑で理解し難い工学技術に対して大衆と裁判所は偏見を抱く

未知の(新規な)危険

  • 新規な技術から生じた危険に対して、社会と不法行為法は、責任を課しやすく傾くという偏見を抱くものである、と指摘されています。  See Huber, infra, at 277-78..
  • 確かに人は、知らないものに対して、畏怖や疑念の念を抱きます。
  • たとえば、ナイフ等に内在する危険に比べて、新薬に内在する危険に対しての方が、疑念を抱きます。
  • 逆に、社会の認知度が上がったり効用面を認識すれば、それだけより受容する傾向があると指摘されています。  Starr, infra, at 1236-37;   Cross, infra, at 926-27.

- 対策としては、新規な技術を、より身近なものと感じさせ、かつ、その効用面の理解を広めることが、必要かつ有用ではないでしょうか。
- すなわち、知られざる危険を知らしめる努力。
- 従って、周知の徹底、啓発活動が必要かつ有用。
-- 例えば、免許、教習、広告、警告、指示、等。

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First Up-loaded on Mar. 12, 2005 and reprinted on Aug. 10, 2005.

人は、曖昧な危険性を嫌う性向(ambiguity aversion)があるようです。そのために、新しく発見されて報道されたリスクに大きく反応してしまいます。
See W. Kip Viscusi, Hazard Warnings, infra, at 642.

Added on Aug. 16, 2005.

新規な諸活動、機器等に対し過大な危険を認知する理由

シカゴ大学教授のSunsteinは、法と行動科学経済学に於いて説得力のある業績を数々発表していますが、中に以下のような一節があります。

人々がある種の活動に対する法規制を歓迎する場合、それは該活動には[危険性を補なうような]効用面があることを人々が認識していないことが理由だったりします。そのような場合にはトレードオフな関係がきちっと認識されていないのです。危険性だけが認識され効用面が認識されないのです。本当は効用があるにもかかわらず、認識上の幻影ゆえ、認知的偏見ゆえに(a kind of perceptional illusion, a cognitive bias)、そうなるのです。
人々はloss averse (損失回避的)なので、現状status quoからの損失発生は現状からの利得発生よりも更に望ましくないものと捉えがちです。その結果、新規に持ち込まれた危険性は、それに伴う効用(現状よりも利得)がたとえ非常に大きなものであったとしても、大きな問題があると見られてしまうのです。だから新規の危険性に対してはその危険面ばかりに焦点を当ててしまい、付帯する効用面には焦点を当てないのです。そして問題なのは、危険性だけが認識され効用面が認識されない多くの場合、実際の危険の度合いはとても低かったりするのです。 そこにおいて費用対効用分析を導入すれば、様々な要素が認識上に浮かび上がって来ますから、この[効用面が認識されず隠れてしまうという]問題を矯正することが可能です。

See Cass R. Sunstein, Cognition and Cost-Benefit Analysis, 29 J. LEGAL STUD. 1059, 1068 (2000) (有限な資源の中で安全性向上を図るためには、人間が認知科学的に非効率な判断をおかすことを認識し、費用対効果・危険効用分析を用いることが有用であると分析・主張している論文です).

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Added on Aug. 26, 2005.

カタストロフィー的な危険

 
∵日常生活の突如の崩壊は耐えられないものだからです。 Cross, infra, at 922.
                   
- 対策としては、まず最初は小さな社会グループ」("the smallest social group")の中から試行することが重要です。   Id.
- 「小さな社会グループ」ならば、改善のフィードバックも比較的容易です。    Id.
- 演繹的方法によるhuman factors engineering的な安全性追求の限界を、「小さな社会グループ」での経験によって帰納法的に補完するのです。

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First Up-loaded on Mar. 12, 2005 and reprinted on Aug. 10, 2005.

カタストロフィー的事故への危険意識が高い理由と対策(追記)

See Sunstein, Cognition and Cost-Benefit Analysis, infra, at 1087-88, 1095.

Added on Aug. 30, 2005.

危険性を人が過大評価・過少評価する諸要素一覧表の例

人が危険性を過大・過少認知しがちな諸要素( 「制御不能・非自発的な危険」や「新規で複雑で理解し難い工学技術」等)を、表にまとめて思考・分析しようとする試みとして、以下のような例をアメリカの法律論文中に発見したので、日本でのこの分野の今後の研究発展のために、一部紹介しておきましょう。

危険性判断に於ける悪化・減免要素
危険性の種類 悪化要素 減免要素
親近性 新しい 古い
個人による管理 管理不可能 管理可能
自発性 非自発的 自発的
メディアによる注目 激しいメディア報道 メディアに無視される
付帯する効用 明確 不明確
発生源 人間が発生源 自然により造り出されたもの

すなわち、新規なものは慣れ親しんだものより危険性を大きく認識したり、激しいメディア報道の対象になった事象の方がメディアに無視された事象よりも危険性を大きく認知したり、効用面が不明確な事象の方が明確な事象よりも危険性を過大評価するといった具合な分析です。

See Sunstein, Cognition and Cost-Benefit Analysis, infra, at 1078.

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First Up-loaded on Aug. 31, 2005

人は、ヒューリスティックス(簡便法)という認知方法を採るために、マスコミの報道等の影響で危険性を過剰評価しがちである。

利用可能性ヒューリスティックス(簡便法)と代表性ヒューリスティックスに関するカーネマンとトヴァースキーの研究結果を用いれば、マスコミが個別的出来事を強調するあまり、広範囲なトレンドや一般的な社会現象の分析を怠ってしまうために、vividだけれども比較的に稀な出来事やイメージの恐怖を、理不尽なまでに人々に引きお越し得るという問題が、明らかになります。 法と行動理論の研究は、既にこのような現代マスコミによる有害な影響について、「availability cascades」とか、個人の危険意識に関しての「overwhelming informative」条件等として、扱って来ています。

See Yablon, The Meaning of Probability Judgments, infra, at 925-26 & n.153 (Timur Kuran & Cass R. Sunstein, Availability Cascades and Risk Regulation, 51 STAN. L. REV. 683, 683 (1999)を出典表示しながら).

vividな出来事や事件を何回も繰り返しマスコミや公の場で提示することで、利用可能性ヒューリスティックの効果が増大されます。その問題を、Cass Sunsteinは「informative cascade」等と呼んで警笛を鳴らしています。

See Yablon, The Meaning of Probability Judgments, infra, at 936-37 & n.216 (Timur Kuran & Cass R. Sunstein, Availability Cascades and Risk Regulation, 51 STAN. L. REV. 683, 685 (1999)を出典表示しながら).

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First Up-loaded on Aug. 2005

誤った危険性判断と正しい価値評価による序列判断との相違を明らかにする必要性

シカゴ大学サンスティーン教授は、人が、(1)ヒューリスティックにより誤って危険性を判断している場合と、(2)正しい価値評価に基づいて序列判断を下している場合とを区別して、安全性向上のための有限な資源の効率的配分のためには前者を廃し後者は尊重するような分類化が必要であると説いています。

(1)ヒューリスティックにより誤って危険性を判断している場合

(2)正しい価値評価に基づいて序列判断を下している場合

See Sunstein, Cognition and Cost-Benefit Analysis, infra, at 1078-88, 1095.

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First Up-loaded on Aug. 30, 2005

大衆は、高価格を回避するために安全性が劣っても止むを得ないというトレードオフ関係に従って行動しているか?

「している」という指摘が、連邦最高裁ブライヤー判事(元ハーヴァード大学教授)によって以下のように示されています。

一人の命を救うために$10 billionの安全コストを掛けることが合理的でしょうか?[答えは「否」です。]  ブライヤー判事が観察するとこころ、そのような出費は、現在の自動車を5%だけ更に安全にするために、一台当たり$48,077もの追加出費を[消費者に]負担させることに相当します。 大衆は僅かしか安全性が向上しないにもかかわらず価格が相当高額に跳ね上がってしまう自動車を買いには走らない、という事実から推して、大衆は安全性向上に対して限界を設けていることが示されます。

See Viscusi, infra, at 561 (意訳by評者).

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First Up-loaded on Aug., 2005

陪審員(大衆)は、「あと知恵」の影響により、僅かな安全対策費用を企業が掛けてさえいれば、その悲惨な事故被害を防止でき得たはずだ、と誤った計算をしがちである。

陪審員は、被害者個人に降りかかった莫大なコスト(enormous cost to the victim)と、わずかな安全性向上費用(the relatiely negligible cost of the safety improvement)とを、比べがちでです。
すなわち、大金を有する巨大な企業にとっては僅かながらの事故防止費用(たとえば安全性向上のため設計変更)を惜しまなければ、訴訟で問題になっている原告(π)の被った悲惨な事故被害を避けえたはずである(In hindsigt, a small corporate expenditure would have prevented an identifieable death)。その程度のお金を、利益追求のためにケチった企業には責任がある、と短絡的に陪審員(大衆)は捉えがちであると指摘されています。
しかし、訴訟で問題になったその事故が実際に発生する以前(ex ante)の、企業が製品設計を検討する段階に於いては、後で悲惨な事故が生じる蓋然性は低いとしか予見できず、かつ、その蓋然性の予見も不確かなものに過ぎません。(the corpration sees only a small probability of an accident, not a certainty )
ですから、たまたま発生して具体化・特定化した事故を取り上げて、「あと知恵」により(in hindsigt)、その具体化・特定化された事故防止費用は僅かだったから責任がある、そのような防止費用は掛けるべきである、というルールになってしまうと、その事故が起こる前(ex ante)の時点に於いては、そのような事故発生の蓋然性が低く、かつ、不確かな危険性に対してまでも一々防止策の費用を掛けなければならない、というルールになります。 これはすなわち、事後的(ex post)に発生して具体化・特定化された「その」事故さえ防止すれば済む僅かなコストだけで足りるといことには実はならず、発生前の時点(ex ante)では 同じように発生するかもしれない1,000倍もの同様な不確かで抽象的な種類の事故の可能性に対してまでも「同様」にコストを掛けなければならないことになってしまいますex ante the corporation would have had to make that expenditure thousands ... of times to decrease the risk of an abstract person's death)。するとそのコストが反映された製品価格も桁はずれて高額になり、消費者はその高額な価格を負担しなければならないことになります。
従って、事後的(ex post)に、「あと知恵」によって(in hindsigt)、その具体化・特定化された事故防止費用は僅かだったから責任がある、と短絡的に結論付けるのが誤りになるのです。
しかし、陪審員(大衆)は事後的(ex post)に、特に、悲惨な被害者を目の前にして「その」該事故被害に必要なだけの僅かなコストを比べてしまうと、たとえそのような悲惨な被害の発生蓋然性が低かったとしても(low-probability events with sever consequenses)、ついつい企業を有責だと決め付けがちです。

See Viscusi, infra, at 587.

陪審員(大衆)は、設計変更のコストと、特定化された被害者が被ったコストとを、「あと知恵」で比較するという反応を示すことが問題です。 多くの場合、望ましくない結果発生の蓋然性は低かった、という事実に対して、陪審員(大衆)はきちんと評価しないのです。 企業は製品全体に渡っての決定を下さなければなりません。従って、事前に、被害の生じる可能性のある当事者にだけ効果のある安全性向上策を採り得ないのです。

See Viscusi, infra, at 568.

陪審員(大衆)は、「包括的な危険分析的アプローチ」(a comprehensive risk analysis)を採りません。実際に害を被った被害者と、製品一台当たりの非常に僅かな安全性向上のためのコストとを、比べがちです。市場全体や、その全体に関連する諸効用や諸コストを精査することなく、特定化された被害とその防止コストだけを見てしまうのです。このような「あと知恵の偏見」(hindsight bias)によって陪審員(大衆)は左右されるのです。

See Viscusi, infra, at 568.

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「あと知恵」の偏見例

たとえば、デパートのエレベータの非常停止ボタンを子供がいたずらで押したために、店員(π)が負傷してPL訴訟を提起した事件に於いて、πは非常停止ボタンが目立って押し易く子供のいたずらを誘発したと主張しました。

これに対し、イースターブルック判事は、企業のエンジニアの方が陪審員(大衆)よりも、健全なトレードオフを判断するのに適していると指摘しつつ、事後的(ex post)な陪審員による「あと知恵」の偏見を、以下のように指摘しています。(Carrol v. Otis Elevator Co., ______________(意訳 by 評者).
[事故が起こった後に責任を追及する]訴訟という制度のex postな視点は、判断を歪めてしまいます。エンジニアは、建設コストや運営コストや怪我のコスト等の全てのエレベーターのコストの総和を極小化するように設計します。デパートは、顧客や店員に怪我をさせても利益は無いので、費用対効果の良い防止策にお金を惜しみません。 [従って彼ら凾フex ante--事前--な判断は正しかった、と陪審員によって認定されるべきなのです]… しかし訴訟になれば、目の前に怪我人が登場し、もはや蓋然性の話ではなくなってしまいます。陪審員は今日現在の被害を目の当たりにするのです [そして僅かな設計変更をしていさえすればπは怪我をしないで済んだはずだから凾ノ責任アリだ、と誤審してしまうのです]。
更に、イースターブルック判事は、正しい計算をするためにはどのような衡量が必要なのかについて、熱すぎるコーヒーが欠陥だったと主張された事件を通じ、以下のように述べています。(McMahon v. Bunn-O-Matic Corp., ______________(意訳 by 評者).
コーヒーを熱くしてお客に出すことはコストが掛かることですから、凾ヘわざわざ危険性を向上するためにコストを掛けていたことになります。なぜわざわざ危険性を上げるためにコストを掛けるのでしょうか? 人はそもそも、危険な活動を好んで行います。スキーも、野球も、おもちゃの鉄砲も。人がそのような危険な活動をするのは、そこから効用を得るためです。 従って、熱いコーヒーのコストに対する効用面を、私達は理解しなければならないのです。 …。 熱いコーヒーは、全ての人に効用をもたらします。π自身、コーヒーは熱い方が好きだと自白しています。アメリカ全国基準協会もカッシ170度を最低温度として推奨しています…。 設計を変更することにより得られる効用(すなわち火傷の発生頻度と程度の低下)と、それにより生じるコスト(すなわち、熱くないコーヒーを飲まされることにより減退する喜び)とを、何らかの形で比較することがなければ、コーヒーの温度を179度に維持するコーヒー・メーカーに責任があるとは断定できないはずなのです。
安全性を、危険と効用を衡量し計算する行為は、元来、あまり気持ちの良いことではなく、陪審(大衆)を怒らせてしまいがちです。しかし、このような合理的な計算を避けていると、やたらとコストばかりが増大し価格も高額になりながらもその割には安全性の向上がわずかしか図れていないような商品を消費者が掴まされることにもなってしまうという訳です。

See Viscusi, infra, at 563-66.

もし安全対策のコストの方がそれにより得られる効用よりも上回っていれば、企業には懲罰賠償どころか過失責任さえも課されるべきではありません。

しかし実際の訴訟に於ける問題は、陪審(大衆)が、あと知恵に左右されて、設計変更の僅かなコストと目の前の被害者とを比較してしまうという点です。

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企業が危険性を計算をしておきながら、その計算結果に基づいて安全性向上策「不」採用という正しい決定していた場合には、陪審(大衆)は企業を責めがちである。

企業が危険性を計算しておきながら、安全対策案を不採用にする決定を下していた場合、その企業は「冷血」("cold-blooded")だと思われがちです。
これは、危険性の判断を遡及的に行う「あと知恵」(hindsight bias with respect to retrospective risk judgments)の偏見により生じるものです。

See Viscusi, infra, at 587 (Reid Hastie, David A. Sckade & John W. Payne, Juro Judgment in Civil Cases: Hindsight Effects on Judgments of Liability for Punitive Damages, 23 LAW & HUM. BEHAV. 597 (1999).を出典として示しながら).

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正しい計算を、大衆が何故、受け入れないのか?

色々な理由が考えられますが、以下のような指摘もあります。

See Viscusi, infra, at 577, 578, 587.

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命(身体・生命)の値付・計算を考慮すべき理由

生命は金銭に代え難いものです。質的(qualitative)な前者と、量的(quantitative)な後者を、比較したり計算することはそもそも難しいことは判っています。  "incommensurable" --- 「比較できない」

しかしサンスティーン教授は、生命とか健康とか美観等の非金銭的な価値(nonmonetary values)を、金銭的に評価すべきだと主張しています。すなわち危険性の程度とそこへの防止策に適切な費用配分を導き出すためには、金銭的に評価するという手段が、危険をプラグマチックに分析し知的に比較するために必要であり、一貫性と統一性のある防止策コスト配分にも必要だからだという訳です。

See Sunstein, Cognition and Cost-Benefit Analysis, infra, at 1077, 1094.  See also Geisfeld, infra, at 126 (有限な資源の世界では無尽蔵に効率の悪い安全にばかり金銭を使う訳には行かないと指摘).

私見でも、命には値段を付けられないとして思考停止になると、有限な資源を有効配分するための建設的な議論も停止してしまうと思います。

たとえば、「人の命は地球より重い」と言い放って思考を停止させれば、60億の地球の人口と一人の命とどちらかの選択を迫られた場合に困る訳です...。

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Added on Aug. 30, 2005.

命(身体・生命)の値段

以下の(a)と(b)の二つ算定方法の内、(b)の方が高額ですが、その(b)の方が最近では行政府(NHTSA)で採用され、かつ、(b)の方を陪審員(=大衆?)が好むと指摘されています。

 (a) 填補賠償額(compensatory damages
 (b) より大きな安全に対して個人が支払おうとする額(individual' own willingness to pay for greater safety
なお(a)は得べかりし生涯年収を基本としています。その額がたとえ100万ドル(約一億円)に達しなかったととしても、人は(b)による命の値段としては100万ドルをはるかに超える(たとえば300万ドル程度の)値を付与しがちです。

See Viscusi, infra, at 555, 563.

健康を売り渡す対価として幾ら欲しいかと問うた方が、健康を取り戻すために幾ら必要かと問うよりも、陪審員は非常に高額な金額を評価すると指摘されています。

See Hans &  Dee, infra, at 1118.

生命の値段は、消費者と労働者の行動に因る証拠からは、$5mil.から$7mil.です。
アメリカ環境庁(EPA)は生命の値段を$4.8mil.と設定し、他の省庁ではは$1milから.$5.6mil.までのバラつきが見られます。

See Sunstein, Cognition and Cost-Benefit Analysis, infra, at 1095.

Geisfeldは、 "the maximum amount the individual would be willing to pey (WTP) to eliminate a fatal risk"という算定方法と、"the minimum amount of money the individual would be willing to accept (WTA) in order to face the risk"という方法の二つを示しつつ、前者は個人の有する財産を上限に限定されるけれども、後者は(特に生命が係っていると)無限になり得るので、後者の方が高額になると指摘しています。

See Geisfeld, infra, at 130-32.

Geisfeldは続けて、法哲学者(legal philosophers)は安全利益に高い値付けをすべきと主張する傾向があるけれども、経済志向の不法行為学者はコンベンショナルなCBAの基準を用いるようであると指摘。

See Geisfeld, infra, at 166.

Geisfeldは更に、陪審も通常の経済利益よりも安全利益の方がより大きなウエートを置かれるべきであると思いがちであると指摘しています。

See Geisfeld, infra, at 172.

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危険防止策の値段

誤った危険性判断と正しい価値評価による序列判断」との相違を明らかにする必要性」の項を参照下さい。

なお、肉体的な傷害は金銭を喪失するよりも、人生計画[幸福]の追及に於いて更には破壊的なものゆえに、期待傷害費用を阻止するためには金銭的な期待損失に対するよりも更に高額な支払をするであろう、すなわち多くの人は危険回避的(risk averse)である、という指摘もあります。

See Geisfeld, infra, at 124.

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Added on Aug. 30, 2005.

「WTP」(Willingness To Pay) < 「WTA」(Willingness To Accept)

WTA等とは何か?

身体・生命(life and limb)という利益を計量する際には、以下のどちらを基準にするかが問題になります。

WTPは、人が持っていない権限を得る為に幾らまで支払う気があるか?すなわち「買値」(buying prices
WTAは、人が持っている権限を、幾らくれれば手放す気になるか?すなわち「売値」(selling prices

一般に後者の方が高額になりがちであると言われています。 すなわち「WTP < WTA」という訳です。

See Keating, infra, at 336 n.81.  See also Hofman & Spitzer, infra, at 64, 78, 95 (もっとも市場での経験が深まって自らの選好の不確実性が減少して行くと共にWTAとWTPが次第に一致して行くという研究成果も紹介しています).

身体・生命の権限は各人がそもそも持っているものだとすれば、後者になるはずなのに、法と経済学(incommensurableな価値をmonetalizedしがちなwealth maximizationを理想とするポズナー達の主張)は前者を前提にしているとして批判されがちです。

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コースの定理、ハンド・フォーミュラへの影響

WTP < WTA」ということになれば、取引に於ける当事者のどちらに権限をそもそも与えるかに因って、結果が様々に変化するので、たとえば「コースの定理」が揺らいでくるとか、ハンド・フォーミュラを当てはめた結果の過失責任の有無も異なって来るなどと指摘されています。

すなわち、πと凾フどちらに権利があるべきかを決める基準として法と経済学的な公式を用いようと試みても、そもそも先にどちらに権利を付与したか次第でWTPが当てはまるかWTAが当てはまるかが決まってそれ次第で公式が導き出す結論も異なって来てしまうから、権利がどちらにあるのかが先決問題になってしまい、従って、権利をどちらに付与するのかを決する手段としては公式が用いれなくなるという、「循環理論」に陥るという訳です。

See Hofman & Spitzer, infra.

この循環を脱するためには、そもそも現状[の利益](たとえば住民による「きれいな空気の権利」)を享受していた者がそれに対して既得権を有していると考えていけば解決されるという指摘も、Hofman & Spitzerは紹介しています。

See id. at 107.

しかしこの説に対し、そもそも何故、現状の利益を享受していた者に対して既得権を付与するという判断が正当化されるのかという理由・根拠が薄弱である、とHofman & Spitzerは批判しています。すなわち、現状に対しては相反する主張が双方に存在するのであるから、享受している側の主張のみの肩を持つことが正当化される理由は存在しないという訳です。

See id. at 108.

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___________________.

認知科学からの説明

WTP<WTAを説明する諸理論が、以下のようにあります。(どれに対しても多くの場合、批判もあるようですが...)

「予測理論」(prospect theory)と「所有効果」(endowment effect)からの説明

 【予測理論】

「予測理論」によりカーネマン&トヴァースキーは、現状からの損失の方が取得よりも大きな痛手であると感受する傾向を指摘しています。
WTA、すなわち売値の元になる売るという行為は手放すこと、すなわち「損失」であるから、新たに入手する買う行為に比べて、更に高い値付をしがちということになります。

 【所有効果】

買う為には既に持っているお金(out-of-pocket money = "received income")を拠出しなければなりません。
逆に、既に所有している物を所有し続けるための対価は、もし仮にその物を手放していれさえすれば得られたであろうかもしれないお金を使わなければならない(must spend money that he would have recieved had he sold the good)、ということになり、これは、すなわち、機会費用("opportunity cost")です。
人は、received incomeの方を「機会費用」よりも重くウエイトを置きます。言い方を換えると、機会費用の方をより自由に[気前良く]使いたがります。
従って人は、他人の物を取得するためにreceived incomeを支払うよりは、自らの所有物を所有し続けるために必要な機会費用の方をより[気前良く]支払いたがるので、WTPWTAになります。
機会費用に対して低いウエイトを置くことを「所有効果」(endowment effect)と言います。

See Hofman & Spitzer, infra, at 87-89.

 【社会生物学からの説明】

狩猟時代の人間にとって、「損失」とはすなわち「死」につながるという威嚇効果があったであろうから、損失の方が取得よりも更に重要であると認知されるのかもしれません。

See Hofman & Spitzer, infra, at 89-90.

 【所有物への愛着という説明

結婚指輪や大好きな衣服等のように、所有物に対して人は愛着効果(bound-up status)を抱くから、WTAWTPになるという説明も存在します。

See Hofman & Spitzer, infra, at 90.

「(仮)取引クロージング選好」(closing transactions)からの説明

人は、心理的に、取引をクロージングさせたいと望む為に、一度クローズされた取引を再開するためには既に支払った価格を越えた多額の賠償を望むことになり、従ってWTPWTAになるという説明です。

See Hofman & Spitzer, infra, at 91-92.

「(仮)価値(選好)不確実性 」(value (preference) uncertainty)からの説明

たとえば洪水の起きる蓋然性が低い場合には、人は、たとえ洪水保険の価格が非常に安価であったとしても付保しようとしなかったり、逆に実際の公正価格よりも高額な保険料を払ったりしがちだという実験結果があります。
そこで、WTAが幾らになるかを訊かれた場合にも人は、安全サイドに偏って行動する("play it safe")ので、とても高額な値付をするという主張があります。

See Hofman & Spitzer, infra, at 92-94.

「(仮)後悔理論」他(regret theory + prospect theory + value uncertainty

 【後悔理論

効用の価値(utility value)は、もし自分が異なる選択をしたならばどうなっていたであろうかにも影響を受けます。
自らの選択よりも、別の選択の結果の方がより良かった場合には、「後悔(regret)」を感じます。逆に別の選択結果の方がより悪ければ、「もし自分の選択を選ばなければ、もっと悪くなったかもしれない」という「喜び(rejoice)」を感じます。

See Hofman & Spitzer, infra, at 94.

 【(仮)適応効用理論adaptive utility theory

選好が不確実な人も、市場で新たな情報を得るとその新情報に適応させて行動するという理論です。

See Hofman & Spitzer, infra, at 95.

「後悔理論」と「適応効用理論」を組み合わせると、人は、不確実性ゆえに後悔や喜びが生ずるから、不確実性が削除できれば後悔も喜びも削除できるということになります。

「予測理論」と「後悔理論」を組み合わせると、人は、後悔か喜びかを比較するための対象・出発点を「現状」に置き、かつ、後悔の方が喜びよりも影響を大きく感じます。不確実性ゆえに生じる、このような[現状と比較して後悔する方が喜びよりも大きな影響を受けるので後悔を強く回避したいと願って行動・判断してしまう、という]「よじれ」("kink")が内在するゆえに、WTPWTAとなります。

もっとも、人が市場での取引を重ねていけば、自らの効用関数(utility function)を知るに至り、すなわち不確実性が除去されるので、WTAWTPに収斂(converge)すると説明されます。

WTPWTAとなる商品の代表は、市場が存在しない商品であると主張されます。 WTPWTAとなるのは、「選好不確実性(preference uncertainty)」ゆえに生じるという訳です。

See Hofman & Spitzer, infra, at 95.

 

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危険効用分析を行ったこと自体で企業に懲罰を課しがちな陪審員の不合理さへの対処として、司法制度は陪審員から懲罰賠償の権限を取り上げるべきであるという指摘

先ほどから出典表示している論文に於いてハーバード大学教授が、掲題のような説得力のある主張を展開しています。

W. Kip Viscusi, Corporate Risk Analysis: A Reckless Act?, 52 STAN. L. REV. 547 (2000)(危険効用分析を企業が行ってその結果に従って設計判断を行うことは社会福祉にとって望ましい。にもかかわらず、そのような分析を企業がかつて行ったという証拠が訴訟で出されると陪審員は企業がコストと消費者の生命とを引き換えにしたと捉えて企業に対して懲罰賠償を課してしまうという模擬陪審の結果が出た--危険効用分析を行わなかった企業よりも懲罰賠償が課される蓋然性が高いという結果である--。そのような事態は社会にとって望ましくないので、陪審員から懲罰賠償を課す権限を取り上げる等のドラスティックな改革が必要である、と主張しています) .

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人々が危険度を過大評価する場合の認知心理学的分析例

以下、興味深い指摘です。以下は認知心理学に関する概念(太字)が出て来るので、関連ページ「法と行動/認知心理学」も併せて参照下さい。

悲惨な事故や災難は、認知的に長期の間、[人々の認知の中に]"available"に残るので、人々はそのような出来事の再発の蓋然性を過大評価(overestimate)しがちです。発生蓋然性の低い危険(low-probability hazards)も、危険な諸活動のプロトタイプ(the prototype of dangerous activities)にフィットしてしまうと、危険発生蓋然性の過大評価(overestimate)につながります。   大災害(disaster)が発生すると、人々はあと知恵(hindsight)で、専門家ならば予見できたはずだ、管理できたはずだと専門家を非難しがちです。 心理学者は、蓋然性の低い出来事に対して人々が過剰反応し過ぎであると再三指摘してきたのです。 

See Henderson & Rachlinski, infra, at 254 & n.135 (Paul Slovic, et al., Facts Versus Fears: Understanding Perceived Risk, in Judgment Under Uncertainty: Heuristics and Biases 463, 465-72 (Daniel Kahneman, et al. eds, 1982)を引用しながら).

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逆に人々が危険度を過少評価する場合の認知心理学的分析例

もっとも、逆に、事故を引き起こした状況に対して何らかのコントロールを支配している場合には、人々は自身過剰(「法と行動/認知心理学」内の「Self-Serving Bias, Unrealistic Optimism, and Over-Confidence」参照)になり危険を過少評価または無視しがちです。  更に人々は、自発的に危険に身をさらす際には危険性がないものと信じ込む傾向が知られています。  

See Henderson & Rachlinski, infra, at 254 & n.139 (Jeffrey J. Rachlinski, The Wages of Risks, 6 CORNELL J.L. & PUB. POL'Y 673, 691-92 (1997)を引用しながら).

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以下の論文が参考になります。

First Up-loaded on Mar. 2005.

【未校閲版】without proof

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