製造物責任法の研究#2

Studies of Modern Products Liability

中央大学 教授 (総合政策学部)
米国弁護士 (NY州)
平野 晋

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当サイトは、主に、法律最先進国たるアメリカ法の視点から、グローバル・スタンダードとしての現代製造物責任法(Modern Products Liability)を研究・教育するためのサイトです。

【未校閲版】without proof

目次

- 製造物責任法とは
- 危険の無い製品は無い?!--- 思考の大前提 "All products are dangerous."
- 無過失責任の死」 (The death of Strict Liability in Torts
- 現代の製造物責任法は無過失責任か?
- 「過失責任」 対 「無過失責任」
- 欠陥基準

以上「製造物責任法の研究」のページを参照下さい。

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「危険効用基準」の真の意味 (Macro CBA --- 更なる安全代替案との限界的(marginal)比較に拠らず、一つの製品分類全てを、その全体的な効用よりも全体的な危険が凌駕するという比較により欠陥認定することが誤っているという指摘の解説 
新しい製造物責任法の潮流「分類別責任」: カテゴリカリー(分類別)に製品の欠陥が問われる?!
 「分類別責任」とは程度≠フ問題
 熱いコーヒー≠ニ「分類別責任」
 ファースト・フード≠ニ「分類別責任」
「消費者期待基準」を唯一の欠陥基準にすることが駄目な理由

 曖昧な欠陥基準が駄目な理由

EU型な日本PL法の欠陥基準が駄目な理由

 過失責任のリーズナブル・パーソン・スタンダードも実は消費者期待基準同様に曖昧という問題アリ?!

更に詳しく『リステイトメント(第三次)不法行為法:製造物責任』の起草者達の立場を説明すると...

RADの要件に加えて、その不採用が該製品を理不尽に不安全にしているという要件も課される理由

“消費者期待基準”を欠陥基準の原則とすることの誤り (平野晋 説)

平野晋説を支持する第三次リステイトメント起草者の論文

警告欠陥

望ましい警告欠陥の基準・正しい危険効用衡量の仕方
警告表示の意義
警告の類型
警告欠陥と設計欠陥の関係
「ハンド・フォーミュラ」 (ハンドの定式)に於ける警告の意味
 「留意の推定」(heeding presumption

 安全規制法令順守の場合は免責を付与する提案

不法行為「法の原理」

日本の製造物責任(制定)法

欠陥の三分類を否定する日本の一部解釈の誤り
「危険効用基準」が「企業寄り」だとレッテルを貼る日本の一部解釈の誤り
製造物責任法の立法・解釈を、「“企業寄り”対“消費者寄り”」というダイコトミーな短絡的理解をする日本の解釈の誤り
今後の解釈・運用により欠点を治癒する可能性
いわゆる「ウエイド」法務研究科長の7要素
危うい解釈
 「経験則」による「事実上の推定」を柔軟に活用すべきという言説の危うさ
問題のある裁判例

生命・身体(健康)への危険以外の場合には、製造物責任法を適用すべきでない

製造物責任「法の原理」
通常有すべき「安全性」の意味に関する日本の法源例

予見可能性の無い場合にまで責任を課す立場はアメリカでも衰退 -- 開発危険の抗弁

ヨーロッパの製造物責任法

EC理事会指令 (原文)
EC理事会指令の代表起草者(タッシュナー教授)による解説論考

「危険効用基準」の真の意味 --- 更なる安全代替案との限界的(marginal)比較に拠らず、一つの製品分類全てを、その全体的な効用よりも全体的な危険が凌駕するという比較により欠陥認定することが誤っているという指摘の解説 

真の危険効用基準による比較の際には、当該製品分類全体の便益(the overall social benefits of the product)は無関係であるべきである、という主張が有力です。   以下、例示を用いつつその意味を説得力を伴って示しているので、とても参考になります。

例えばエイズに100%効くワクチンを発見したと想像してみたまえ。 しかしそのワクチンは、一週間続く発疹という、穏やかな自動免疫反応[? 原語は"autoimmune reaction"]を、百万人に一名の確率で引き起こす、と仮定してみたまえ。 その副作用は、ワクチンをコーティングする内容成分を、他の同様に安価な内容成分に変更することで、除去できる。  この場合、当該ワクチンは欠陥設計なのである、たとえ素晴らしい社会的便益性があろうとも。  危険効用分析は、限界的な比較を意味するものなのだ。  すなわち、現在の設計に於ける危険性と効用を、代替設計と比較するのである。 それは、現在の設計の限界的な危険を、当該製品全体の効用性と比較するのではない

Michael D. Green, Negligence = Economic Efficiency: Doubts, infra. at 1634-35 (emphasis added)(訳は評者).

なお、この説明からも推察できるように、真の危険効用基準では限界的な安全性向上の余地が残っていれば欠陥性が認定され得るので、危険効用基準は企業寄り≠ネどとレッテルを貼るかつての日本の論議が的外れだったということの一例になるでしょう。

_____________________.

ある種の製品カテゴリー(i.e., 分類)全て(たとえば小型車という分類全て)の選択を、市場に委ねるのではなく、いち裁判所・司法府が、その撤退を決め付けてしまう(すなわち小型車という種類の自動車は全て売ってはいけない!)という大きなインパクト=市場へ与える拘束の程度の大きさ("undue-market-constraints")、を考えれば(すなわち裁判所が小型車は社会にとって良くないと決め付けてしまう)、そのような決定権(すなわちどのような種類の製品が社会にとって良くて、どのような種類が良くないか決め付ける権力)を司法府に与えるのは適切ではない、司法府の権限を越えている("limits-of-adjudication")、ということが大きな根拠になっています。

See James A. Henderson, Jr. & Arron D. Twerski, Achieving Consensus on Defective Product Design, 83 CORNELL L. REV. 867, 886 (1998).

marginallyに代替案と既存設計との比較により個々の製品の是非を問うこと(たとえばピント車[評者注*]の燃料タンクの位置を既存設計よりも車体中央部に移動させる代替案)であれば、司法府にも衡量ができるけれども(もっともその場合でも欠陥が認定されれば該製品が理論的には全て市場から排除されるのでそのインパクトに相応しい代替案の立証責任をきちんとπに課すべきですが)、そのようなmarginalな比較衡量の範囲を超えて、ある種の製品カテゴリー=分類全て(たとえば小型車というカテゴリー=分類全て)の社会にとっての是非を決め付けるという事業は、もはや司法府の権能を超えるものだという訳です。 何故ならば、適切な判断に至るためのデータが司法府には無く、裁判所が一部のconstituentsの主張にのみ依拠してある種の製品分類を排除してしまうのは不適切であり、それに比べれば行政府・立法府の方が適しているからです。

[評者注*: いわゆるフォード・ピント車事件に関しては、「フォード・ピント事件の真相」のページを参照下さい。]

See James A. Henderson, Jr. & Arron D. Twerski, Intuition and Technology in Products Design Litigation: An Essay on Proximate Causation, 88 GEO. L. J. 659, 683-85 (2000).

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欠陥概念について説得力のある業績を発表している有力な不法行為法学者のオゥエン教授も、概略以下のように指摘しています。危険効用基準を正しく当てはめる考え方を示してくれているので、非常に参考になります。

設計欠陥では危険効用基準がアメリカでほぼ受け入れられたが、何と何を比較すべきかについて未だ理解していない向きが多い。
ある製品の危険性の総数と効用性の総数とを比較するという「マクロ衡量」("macro-balancing")は誤りである。 / たとえば、可燃性のある化繊のTシャツを着た子供が火傷した事件に於ける該Tシャツの欠陥を判断する際に、化繊のTシャツという製品分類の効用と危険とを比較するのは誤りとなる。マクロ衡量を用いると、たとえば可燃性の危険があっても、アイロンが不要という利点や暖かいという利点等の効用面が凌駕すれば、πが敗訴してしまう。 / すなわち「製品分類全ての責任」("product category liability")を求めるような「マクロ衡量」は、「立法的」("legislaive")あるいは「多中心的」("polycentric")[評者注*1]であり、裁判所や陪審には適さない。製造業業者とその設計者や、立法府や規制行政機関にこそ適する作業である。W. KIP VISCUSI, REPORMING PRODUCTS LIABILITY 85 (1991)が指摘するように、ある製品をカテゴリー=分類としてそもそも販売すべきではないか否かを判断するのに適するのは、資源や専門性を備えた議会や行政機関であって、陪審員ではないからである。 / 更にマクロ衡量は、広範囲に過ぎて、曖昧で、抽象的で、政治的でもあり、かつ主観的(too broad, vague, abstract, politically rooted, and subjective)であるから、司法に不適切なのである。 たとえばフォード・ピント車[評者注*2]の欠陥性を判断する場合、そもそもあのような小型車のもたらす便益の総数をマクロ衡量で危険性の総数と比較するとなると、小型車のもたらす便益としてどのような要素までを衡量に入れるかの限界が不明だし、しかも、全体としての効用の総数がが危険の総数よりも大きければ[、たとえわずかな代替設計変更案で改善できる場合でも] 欠陥たり得なくなるのだ。
[評者注*1: 「多中心的」"polycentric"という概念については、前掲「現代の製造物責任法は無過失責任か?」の項を参照下さい。更に「ポリセントリック問題」のページも参照下さい。]
[評者注*2: いわゆるフォード・ピント車事件に関しては、「フォード・ピント事件の真相」のページを参照下さい。]
正しい比較は、πの提案する代替設計案がもたらす効用(便益)と、そのような代替案に伴う危険(もっと正確には費用)とを比較する「ミクロ衡量」("micro-balancing"である。 / 化繊の該Tシャツと、代替設計案としてたとえば織り方を工夫することで難燃性を持たせた化繊のTシャツとを、比較するのである。そうすれば、織り方を工夫することによる価格上昇や心地良さの喪失や他の効用を失う[ことや他の消費者に与える他の危険性の上昇]というミクロ費用が、安全性向上というミクロ便益と比較され、後者が上回れば欠陥認定が可能になるのである。 衡量すべき要素が拡散し過ぎてしまうマクロ衡量に比べて、ミクロ衡量ならば検討するに十分なだけ証拠も絞り込めて、practicableかつmanagiableである
ハンド・フォーミュラ[評者注*3]もミクロ衡量を支持していると解釈可能である。凾フ行為全体の是非がマクロ的に判断されているのではなく、事故回避策を怠ったという特定な点を問題にするからである。Stephen Gillesが正しくも「見えざるハンド・フォーミュラ」("Invisible Hand Formula")に於いて、限界費用と便益を比較衡量している。ハンド・フォーミュラに於いて事故回避策を採用して得られる「便益」とは、危険性の減少であり、多くの場合それは蓋然性の減少である。PxLは安全性の変化を表し、Posnerによれば正確には、「回避策を採用しない場合の損失発生蓋然性 マイナス 回避策を採用した場合の損失発生蓋然性」となる(P Non-Precaution − P Precaustion)。
[評者注*3:「ハンド・フォーミュラ」については前掲「欠陥基準」の項の最後を参照。更に「ハンドの定式」のページも参照下さい。]
ミクロ衡量こそが正しい基準であるが、その名称として相応しいのは、「危険・効用」衡量("risk-uility" balancing)ではなく、むしろ「費用・便益」衡量"cost-benefit" balancing)である。「危険・効用」衡量と言うと、製品の全ての危険(a products's global risks)を全ての便益(the product's global benefits)と比較するマクロ衡量を連想させて誤った当てはめ(macro-balance trap)になる虞があるからである。むしろ、代替設計案を採用して得られる「便益」をその代替案を採用することに伴う「費用」と比べるミクロ衡量には「費用・便益」衡量という名称が似つかわしいのである。 なお経済学理論に於いて「費用」(costs)とは、特定の変化から生じる全ての犠牲を含む概念であり、有益性の減少や[π以外の人々に対する]安全性の減少も含まれる。 / ハンド・フォーミュラも、費用便益衡量であれば、B<PxL→NegligenceCost<(Safety) Benefits→Defectsと代わることですんなりと理解できる。しかし危険効用衡量では、B < PxL→NegligenceUtility < Risk→Defectsとなるが、Burdenという負のイメージの語彙をUtilityという正のイメージの語彙に置き換えるのには、語句的に抵抗が感じられよう。

See オゥエン, 費用と便益を「ミクロ衡量する」, infra.

以上、非常に示唆に富む分析ではないでしょうか。

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新しい製造物責任法の潮流: カテゴリカリー(分類別)に製品の欠陥が問われる

製造物責任法の近年(64年以降)の歴史的発展を三つに分類するならば、以下のようになるのではないでしょうか。(なお、法律後進国の日本には、未だ@の段階に留まっている者が多く見受けられるのは残念なことです…。)

旧型PL:   @製造上の欠陥が中心だった「無過失責任」時代。
現代型PL: A設計および警告欠陥が主流になって来た「過失責任」に基づく欠陥基準の時代。
最新型PL: Bある製品分類全ての欠陥性が問われる時代。

Bの問題は、既に『リステイトメント(第三次)不法行為法:製造物責任』の起草者達が、以下の論文で鋭く指摘・分析済みであり、評者のような専門家の間では昔から論点になっていたものです。

James A. Henderson, Jr. & Arron D. Twerski,
Closing the American Products Liability Frontier: The Rejection of Liability without Defect
,
66 N.Y.U. L. REV. 1263 (1991).

しかし近年、更にBに該当する訴訟として、たとえば、タバコ訴訟、鉛塗料訴訟、熱いコーヒー訴訟、および、ファーストフード肥満訴訟、等のように、社会的・一般的なな関心が高まって来ているケースが増えているようです。

そこで、この新しい潮流を理解する上で非常に参考になる、指導的な不法行為法学者による新しい論文を、以下で紹介してましょう。

David G. Owen, Inherent Product Hazards, 93 KY. L. J. 377 (2004).

あらゆる製品には生来的な危険性が伴うものです。それは、製品の目的を壊すことなく取り除くことができない危険なのでです。[評者注*1]  そのようなカテゴリー=分類全体を裁判所が欠陥と決め付けて良いか否かの問題は、製造物責任法に於ける「最後の開拓地」(the "last frontier")と呼ばれて来ました。
[評者注*1この概念を理解するためには、ナイフが欠陥か否かを思い浮かべると良いでしょう。ナイフは切れるからこそ「効用」があるので、「切れる」という危険を取り除けば効用も失われてしまうという問題が生じるのです。そのために、誰もナイフという製品カテゴリー=分類を欠陥だとは思わないと分析できるのではないでしょうか。しかし製品次第では、大衆が製品の危険性故にもたらしてくれる「効用」を忘れてしまって、製品を非難し始めるような場合もあるのではないでしょうか。たとえば、熱いからこそ香りと美味さが生じる熱いコーヒーを欠陥だと言ってみたり…?!  なお、人は「効用」を忘れがちで不合理な判断を下すという指摘については、評者による「認知科学・行動主義」の研究の中の「Affect Heuristics: 感情・愛情・情緒ヒューリスティックス」の項を参照下さい。 製造物以外でも、人は、効用を忘れて危険だけを認識して危険の過大評価に陥るために、たとえば、有害情報が問題になるとインターネットという媒体を安易に責めたり、迷惑メールが問題になるとケータイという媒体を安易に責めたりするのではないでしょうか。グーテンベルグによる活版印刷の発明も、聖書普及という効用だけを世界史は教えますが、実はその発明当初流行ったのは猥褻図画だったという危険があったのです。---それでも人類は、活版印刷の効用を信じて、文化・文明の発達に寄与させて来たことを忘れてはいけないでしょう。]
See オゥエン, 製品の生来的な危険, infra, at 377.
第三次リステイトメントは、「manifestly unreasonable design」は「egregiously(とんでもなく) unacceptablects」であるとして、代替設計によって危険性を排除できない場合でも欠陥と認定しえることを示唆しています。この「egregiously dangerous products」の例は少なく、多くの場合に裁判所はマクロ衡量を求められるそのようなケースを陪審員の判断に委ねることを拒絶します。
See オゥエン, 製品の生来的な危険, infra, at 386-87.
しかし裁判所は稀に、そのような製品の全体的な傷害費用がその全体的な社会便益を凌駕しているという理由により、設計に於いて欠陥であると性格決定し得るか否かという、根本的な社会福祉的問題に取り組むことがあります。  しかしながら、やはり稀に裁判所は、これらの事件の核心近くに存在する個人の自律(personal autonomy)の争点に取り組むこともあります。  自由な選択(free choice)と自己責任(individual responsibility)の概念は、明白かつ不可避的に危険な製品の利便性を受容するという選択したを消費者がその製品の危険性に対する責任も同時に受容しなければならないという思想を支えています。  この強力な理想は、法理的には製品欠陥の消費者期待基準と、ユーザに危険の引受を課すルールの中に、現れます。あるいは、常識的に知られた危険性に対しては製造業者を警告義務から免責するするという形で現れます【評者コメント】。 ...。 自己責任personal responsibility)は、確かに、何百何千人と毎年死んで行くアメリカ人喫煙者に対してタバコ製造業者達が[賠償金を]支払をすべきであるという点につき、裁判所と陪審員達を原告達が成功裡にほとんど説得できなかった理由なのです。
オゥエン, 製品の生来的な危険, infra, at 387 (評者による訳)(emphasis added).

【評者コメント】 このセンテンスから評者は、熱過ぎるコーヒーの欠陥性を否定したイースターブロック判事の「McMahon v. Bunn-o-Matic Corp.150 F.3d 651 (7th Cir. 1998) (Easterbrook, J.)事件判例を思い起こさせられたのですが、如何でしょうか。すなわち、同判事は、コーヒーの熱さという危険性が熱常識的に知られた危険性に属すると性格決定した上で、そのような危険性は日常生活を通じてユーザが学び、責任を負担すべきであると指摘しているのです。 See McMahon, 150 F3d at 656. 

もっともタバコ訴訟に於いては、喫煙による健康被害は常識であると凾ェ防禦主張したけれども、[タバコメーカーは以前、喫煙が健康に悪くないと公言しておきながら、逆な防禦主張をすることは]「倫理禁反言」(moral estoppel)であるとされ、一般に危険が知られていることが特定の疾病を生じさせることの知識にまでは至るものではないとか、あるいは、非常に依存性が高い製品であるなどと反論されたのです。
See オゥエン, 製品の生来的な危険, infra, at 396 & nn..85-86.
アスベストに関しては、断熱性に於いて非常に有用であるけれども、余りにも多くの死と疾病をもたらしたので、製品の総和としての社会費用と便益(aggregate social costs and benefits)の「マクロ衡量」("macro-balance")に於いて設計に於ける生来的な欠陥(inherently defective in design)であると公正(fairly)に見ることができるかもしれません。 しかしながらアスベスト訴訟はその当初から通常は、アスベスト自体が欠陥(defect pe se)であるという責任法理ではなく、労働者達に...注意喚起する充分な警告を製造業者達が怠ったという法理でした。
オゥエン, 製品の生来的な危険, infra, at 411 (評者による訳)(emphasis added).

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「分類別責任」とは程度≠フ問題

『不法行為(第三次)リステイトメント:製造物責任』の起草者達による著書and/or論文にて、概ね以下のように指摘されるように、「分類別責任」(category liability)となるか、あるいは、限界値を問題にするミクロ衡量が当てはまる欠陥問題になるのかの相違は、結局は、程度の差異にあります。

ハンドル幅の狭い自転車に乗って転んで怪我をしたπが「ハンドル幅の狭い自転車」が設計欠陥であると主張する場合、
それは、「ハンドル幅の狭い自転車」という製品分類を攻撃していると見れば、「分類別責任」に当たる。
しかし、自転車という大きな分類から見れば、「ハンドル幅の広い自転車」がより安全な代替設計案として比較されるというように分析可能であり、そうすると、分類別責任という訳でも無いように見える。
更に、「ハンドル幅の狭い自転車」が設計欠陥であると認定されて市場から駆逐されても、「自転車」という製品分類は市場に残るので、消費者から選択肢をそれほど多く奪うというものにもならずに済む。
このように、両者の相違は、程度の相違なのである。

HENDERSON & TWERSKI, infra, at 228-29 (両著者達の論文を紹介しつつ、程度の問題を分析している).

更に起草者達は、たとえ限界値を問題にするミクロ衡量が当てはまる設計欠陥問題のように見えても、実はそれが分類別責任に当たる虞のあることを、以下のように例示しています。

小型車の衝突耐性の設計欠陥に於いては、該自動車よりも重量が200〜250ポンド重くなっても一定方向からの衝突耐性を高めた設計を採用していればπの受傷を回避・減少し得たと主張される。
この主張が認容されてしまうと、しかし、他の方向からの衝突事故で受傷した他のπが、今度はやはり重量が更に重くなってもその方向からの衝突耐性を高めた設計を採用すればやはり受傷を回避・減少し得たと主張され、認容されて行くことになる。
そうすると、重量がどんどん重くなって行って、もはや小型車では無くなってしまう。

HENDERSON & TWERSKI, infra, at  240-41 (両著者達の会話形式を採りながら、程度の問題を分析している).

以降は、私見ですが、上の衝突耐性の例示の考え方を用いると、たとえばフォード・ピント事件も、「分類別責任」になり、本当は司法判断が裁くには不適切だったのではないかという疑問が沸いて来ます。

すなわち、わずか十数ドルかけてあと少し安全性を高める設計変更を行ってさえいればπの受傷が回避・軽減できたという同事件の主張が認容されてしまうと、同車が他の種類の事故に巻き込まれた際に、その事故のπ#2が、やはり、他の部位をあと少し安全性を高める設計変更を行ってさえいればπ#2の受傷が回避・軽減できたという主張も、また、認容されるというように、果てしの無い(open endedな)責任に拡大して行きます。

そうすると、そもそもフォード・ピント車のコンセプトは、「2000の限界」(limits of 2000)というアイアコッカ氏の目標、すなわち重量を2,000ポンド以下にし、かつ、コストも2,000ドル以下にするという[日本車に負けない]「小型車」の製品特性が、全く否定されてしまい、延いてはピントのような小型車という製品分類全てが否定されることを意味し得るからです。   See フォード・ピント事件の真相」のページ。

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熱いコーヒー≠ニ「分類別責任」

日本にも外電として報道された、マ○ド○ルドで購入した持ち帰り用ホット・コーヒーを零して高額賠償評決が下されたという事件。 これを「分類別責任」によって解剖≠オてみると、私見では以下のように分析可能だと思われますが、如何でしょうか...。

該「ホット・コーヒー」の熱過ぎた点が設計欠陥に当たる、もっと低い温度にすべきであった、というπの主張について。
熱過ぎると主張されている温度が、良い香りと美味しさに不可欠である場合、
その高い温度こそが、良い香りと美味しさを有する「ホット・コーヒー」という製品分類を形成しているので、
その高い温度を「欠陥」であると攻撃することは、すなわち、「ホット・コーヒー」という製品分類全てを否定することになる。
もしそのようなπの主張が裁判所によって認容されてしまうと、「ホット・コーヒー」という製品分類は理論上、全てが欠陥ということになり、この世の中から「ホット・コーヒー」が無くさなければならないことになる。
すると、高い温度だからこそホット・コーヒーという製品分類から良い香りと美味しさという「効用」を得ている多くの消費者から、その効用を奪うことになる。

設計欠陥の判断に必要な、上のような分析さえせずに陪審員による欠陥認定を許してしまった「Liebeck v. McDonalds'」事件は、果たして正しかったのでしょうか?

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更に私見ですが、「ホット・コーヒー」の熱さの欠陥性を判断するということは上述のように「分類別責任」を問うているから、「分類別責任」が許容されるかもしれない極例外的な「"egregiously(とんでもなく) dangerous products"」な場合のマクロ衡量(その製品分類が全体として提供する小さ過ぎる便益に比べて危険が大き過ぎる)を当てはめてみると、以下のようになると思われますが、如何でしょうか...。

B  = 熱いホット・コーヒーが多くの消費者にもたらしている効用の喪失。
P・L = 熱く無くすことで得ようとする重度な火傷になる期待事故費用(expected accident costs
    = Probability x [gravity of] Loss
この比較の結果は、おそらく失われる効用が大き過ぎるのに比べて極めて稀な頻度で発生する重度の火傷という期待事故費用が安過ぎるので、「B>>P・L」となって、Bが大き過ぎるから、欠陥性は否認されるべき。
もっとも、このようなπの事故費用も凾ノ内部化させて価格を上昇させても、市場から撤退する程ではなく望ましいという法の経済学的分析手法を用いた反論もあり得るかも。
しかし逆に法の経済学的分析手法を用いると、当事故は多くの消費者にとっては回避できる(&回避すべき)事故であるという「双方向的な防止(bilateral precaution)」であるから、無過失責任は望ましくなく過失責任を採用して、πに回避義務を履行させるような誘因を作出すべきであるという再主張があり得よう。
これに対する再々反論としては、認知科学的立場から、人はうっかりする行動をとりがちであるということが判明している以上、個人の自律・自治・選択権よりも、認知的な欠点から生じた受傷へ補償を与えるべきである、という再々主張が出て来るかもしれない。
しかしこれに対する再々主張としては、このように通常人の注意を怠る程稀なπ側のうっかりした不注意まで認知科学を理由に凾ノ責任を課すべきだとなれば、凾フ責任は果てしなく(open-ended)拡大して行き、もはや矯正的正義(corrective justice)・フェアネスからは肯定し得ない場合にまで責任を課すことと理解され、それならばもはや補償が目的になっているのだろうが、補償が目的ならば運用費用(administrative costs)が高額過ぎて非効率な不法行為訴訟制度で行うのは望ましくなく、更にいくら補償が目的になったとしても訴訟で凾敗訴させるということは非難可能(blameworthy)であったという印象を世間に与えるから、矯正的正義論から非難可能では無いのにも関わらずそのような汚名を生じさせる点に於いても望ましくなく、補償を拡大したいのならば不法行為訴訟ではなく、むしろ、セーフティネット的な社会保障制度を採用した方が効率的でもある、という指摘が可能かもしれない。

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ファースト・フード≠ニ「分類別責任」

前掲の指導的な不法行為法学者オゥエン教授によって、「究極の分類別責任訴訟」(the "ultimate," type of generic liability lawsuit)と呼ばれたのが、このファースト・フード訴訟です。 See オゥエン, 製品の生来的な危険, infra, at 415.

これも日本に外電として報道された、マ○ド○ルドでファースト・フードを食べ過ぎて肥満になった責任を同社に求める事件。 これも、もし高カロリーな食品という分類全体が欠陥であると認定されれば、前掲「熱いコーヒー」事件と同様に、分類別責任に当たるのではないでしょうか?

そうなれば、ファースト・フードを楽しむという効用が消費者から奪われることになるという見方も可能になります。

すなわち、分類別責任というものは、選択権を[事件毎に異なる判断が出てしまうばかりか充分な検討能力・資源も欠く裁判所によって]消費者から奪っても良いのか、という問題を孕むのです。

それでも分類別責任を肯定すべきという論は、自治権や個人の選択権や活動の自由の尊重という利益よりも、むしろ、パターナリスティックな保護の必要性やcompensationの拡大という利益の方に、高い価値を置いているのかもしれません。

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「消費者期待基準」が駄目な理由

消費者期待基準が設計欠陥等に於いて機能しないためにアメリカで排斥された理由は、基準として曖昧過ぎて裁量を広範囲に渡し過ぎてしまうことに因る、と分析されています。  そのために、「危険効用基準」が消費者期待基準にとって代わったという訳です。

See, e.g., Michael D. Green, Negligence = Economic Efficiency: Doubts, infra, at 1638.

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曖昧な欠陥基準が駄目な理由

欠陥基準は「行為規範」でもあるので、曖昧では弊害が大きくなります。

法と経済学に於いても、曖昧なルールは「取引費用」が増す原因の一つに挙げられています。

See, e.g., ロバート・D.クーター&トーマス・S.ユーレン(太田勝造訳) 『新版 法と経済学』 ___頁(___年、商事法研究所).

曖昧なルールは、資源の無駄になる、とも指摘されています。

See, e.g., Gilles, The Invisible Hand Formula, 80 VA. L. REV. infra, at 1021, 1026-27.

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EU型な日本PL法の欠陥基準が駄目な理由

日本のPL法はEUのクローン≠ナある、と以下のように指摘されています。

[T]he EU Directive and its clones ... such as Japan, ....

Stapleton, infra, at 1230 (emphasis added).

そして、日本の欠陥基準の元になったEU指令の欠陥基準は、循環理論に陥っていると以下のように批判されています。

[T]he definition of defectiveness in Article 6 is, at best, circular.

Id. at 1232 (emphasis added)

すなわち、EC指令はアメリカでの経験を組み込まなかったために、典型的な設計欠陥事件(classic design cases)を如何に裁判所が扱うべきかに関する条項を欠いているという欠点が指摘されているのです。 See id.

EUおよび日本の欠陥基準への批判については、更に、以下「平野晋説を支持する第三次リステイトメント起草者の論文」の項を参照下さい。

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過失責任のリーズナブル・パーソン・スタンダード≠燻タは消費者期待基準同様に曖昧という問題アリ?!

不法行為法リステイトメントの示す「危険効用基準」あるいは「ハンド・フォーミュラ」のような基準を示さずに、単に「リーズナブル・パーソン・スタンダード」を事実認定者に示しても、果たして何が基準なのかが不明であるという「果てしの無い」問題になる、と指摘されています。

[T]he conventional negligence instructions, which present the reasonable person standard as an open-ended invitation to imagine how a nonnegligent person might have behaved, ....

Gilles, The Invisible Hand Formula, infra, at 1027.

製造物責任に於ける問題(すなわち消費者期待基準を独立した基準とすると何が基準なのかが曖昧で果てしの無い問題になってしまう)と同様な問題が、実は、過失責任の世界にも既にあった訳です。興味深いことではないでしょうか?

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更に詳しく『リステイトメント(第三次)不法行為法:製造物責任』の起草者達の立場を説明すると...

既に、欠陥の三分類と、欠陥基準については紹介してきましたが、ここで改めて、世界が学ぶべき製造物責任法の最先端の規範となる、『リステイトメント(第三次)不法行為法:製造物責任』(1998年)の起草者達の立場を紹介しておきましょう。

出典:  James A. Henderson, Jr.  & Aaron D. Twerski, Achieving Consensus on Defective Product Design, 83 CORNELL L. REV. 867 (1998).

「RAD」とは、Reasonable Alternative Designの略語。
全ての道は、理に適った代替設計に通ず」 ("[A]ll roads ultimately lead to reaonable alternative design")   ヘンダーソン & トゥワースキー, 「総意への到達」, supra at 894.
製品は、... 該製品によって生じる危害の予見可能な虞が、該販売者、他の頒布者、または、頒布の商業的連鎖の先行者によって理に適った代替設計案を採用されれば減少または回避が可能であった場合で、かつ[評者注*]、該代替設計案の不採用が該製品を理に適って安全では無くしている場合に、設計に於いて欠陥である。 (訳は評者)
[評者注*: 要件として、@単に代替設計案RADの立証のみならず、それに加えて、ARAD不採用により理不尽に不安全にしているという要素までも求められる理由については、後掲「RADの要件に加えて、その不採用が該製品を理不尽に不安全にしているという要件も課される理由」の項を参照下さい。]
1. いわゆる「___________」(demonstratively defective designs)な場合。
第三次リステイトメントはの§3は、πがRADを示さなくても済む場合として、製品の誤作動malfunctionにより、製品が明白な設計の意図に副って安全に機能しない場合に、レス・イプサ型の欠陥推定a res ipsa inference of defectを認める[評者注*]。  ヘンダーソン & トゥワースキー, 「総意への到達」, supra at 906-07.
[評者注*: 「誤作動の法理」」(the "malfunction doctrine")に関しての更に詳しい解説は、「ロボットPL 2」のページ内の「意図した機能に反した事故発生時の責任 (米国)」の項を参照下さい。]
2. 特定の製品郡等に属する場合。
中古品および処方箋薬は、判例が伝統的に消費者期待基準を課して来た類型である。
第三次リステイトメントは、§2(b)の一般原則の例外的な類型として、§5の構成部品、§6の処方箋薬と医療器具、§7の食品製品、および§8の中古商品、という項目を置いている。  ヘンダーソン & トゥワースキー, 「総意への到達」, supra at 906-07 & n. 162.
3. 裁判例の傍論dictumにて示されるような、危険性が大きすぎて効用を与えない場合。
第三次リステイトメントの§2のコメントeと、コメントbにも言及されているのは、余りにも被害の虞が高いにもかかわらず取るに足らない社会的効用しかない製品設計が、たとえRADを示されなくても、欠陥であると認定され得る可能性の示唆である。  ヘンダーソン & トゥワースキー, 「総意への到達」, supra at 907.
もっとも、この、効用が低過ぎるのに危険過ぎる製品についてRADを求めないという点(?寄り弁護士のALIに於ける発案?!)については、起草者としては不満が残るようです。理由は前掲「危険効用基準」の真の意味を参照下さい。

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RADの要件に加えて、その不採用が該製品を理不尽に不安全にしているという要件も課される理由

このように二重の要件(dual requirement)を課されることに因り、単に代替設計案が利用可能であったという立証だけでは欠陥認定が阻まれます。

これにより、代替設計案が、既存設計が消費者に与えている価値のある重要な特徴を奪ってしまうかもしれないという問題を、際立たさせる効果があります。

See Henderson & Twerski, Intuition and Technology in Products Design Litigation, infra, at 666 n.40.

すなわち、πにとっては望ましい代替設計案というだけでは欠陥認定されず、その代替設計案が他の多くの消費者に与えている効用(たとえば安価だとか高利便性とか)を既存設計から奪ってしまってもそれでも消費者全体にとって代替設計案の方が望ましいということにならなければ、欠陥とは言えないということでしょう。

欠陥であると認定するためには、オゥエン教授が指摘するように倫理哲学的にも、πの利益のみならず他の多数の消費者達の利益をも衡量の検討要素に組み入れるべきですから、そのような要請を第三次リステイトメント§2の要件は実現できるように賢く考え出されている、と言えるでしょう。 [なお、オゥエン教授の倫理哲学の日本に於ける紹介論考については、拙考「アメリカ不法行為法第三次リステイトメント製造物責任における機能的設計欠陥基準」『損害保険企画』(199712〜981月)を参照下さい。]]

これすなわち、実際の設計現場での悩み(i.e., polycentricな問題解決の難しさ。前掲「現代の製造物責任法は「無過失責任」か?」参照)に近い状態へ法廷を置くことが可能になる欠陥基準だ、と推察できるのではないでしょうか?

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“消費者期待基準”を欠陥基準の原則とすることの誤り(平野晋 説)

誤解を恐れず正義・真実の為に正直に言うと...

既に筆者が他に先駆けて日本に紹介して来ましたように、製造物責任に於ける最も重要な要素である欠陥概念に、消費者期待基準的な文言を用いることには、規範として大きな疑問が残ります。

すなわち、前掲の通り、そもそも製造物責任法の世界の母国、アメリカに於いて、消費者期待基準は、日本が製造物責任法を立法した1994年の時点から遡ること約30年もの昔『リステイトメント(第二次)不法行為法』§402Aのコメントiに見られたものに酷似した欧州EC指令を真似たようなものになっています。

ところが母国アメリカでは30年前の消費者期待基準が誤りであったと反省し(前掲の通り設計/指示警告欠陥の一般原則としようとしたことが誤りでした)、過失責任に起源を置く危険効用基準を主たる欠陥基準とすることで『リステイトメント(第三次)不法行為法:製造物責任』が整理されたのでした。

すなわち日本はアメリカに30年遅れている、と解されても止むを得ないような事態を招くことになってしまったようです。

筆者は製造物責任法の母国アメリカに於いて第三次リステイトメントの起草者ヘンダーソン教授のコーネル大学に於いて最先端の同法を学んでいたため、以上の点を日本が同法制定論議の際にもいち早く伝えて来たところです[注*]。

いづれにせよ制定法化された上は、少なくとも今後の解釈に於いては日本もグローバル・スタンダードな最先進国アメリカの法律を学ぶ姿勢を示すべきことを願うばかりです。。

[注* 前掲拙書の他、NBL等掲載の過去の拙考を参照下さい。]

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平野晋説を支持する第三次リステイトメント起草者の論文

前掲の平野晋説を肯定する論文が、第三次リステイトメント起草者たるジェームズA.ヘンダーソンJr.教授とアーロンD.トゥワースキー教授によりパブリッシュされていますので、以下、紹介してみましょう。

 James A. Henderson, Jr. and Aaron D. Twerski , What Europe, Japan, and Other Countries Can Learn from the New American Restatement of Products Liability, 34 TEX. INT'L L.J. 1 (1998).
コメントe. 設計欠陥: 明白に理不尽な設計の可能性。いくつかの裁判所は、何らかの製品が、低い社会効用しか提供せず高い程度の危険性を有するという意味で、危険であることが余りにも明らかであるゆえに、RADの立証がたとえ無くても責任を課すべきである、と示唆している。 問題は、多くの部分に於いて、関連するRADの範囲を如何に規定するかにある。例えば、硬いゴム製の弾丸を子供に怪我を負わせるのに十分な高速度で発射するおもちゃの銃は、サブセクション(b)のルールの下に於いて設計の欠陥であると認定され得るだろう。この危険なおもちゃに対し、怪我を負わせる蓋然性の無いおもちゃの銃は、RA[D]になるであろう。従って、ピンポン玉や、柔らかなジェル上の弾丸や、水を発出するおもちゃの銃が、硬い弾丸を発射する銃の、RADに認定され得るのである。しかしながら、もし、硬い弾丸の銃のリアリティーこそが、すなわちその作り出す怪我を生じさせる能力こそが、そのような製品を購入し使用する者達にとって重要であるために、裁判所が、硬い弾丸を発射することによってリアリティ-を達成するようなおもちゃの銃のみに検討対象を限定することを十分正当化するような場合には、はじめて、仮想事例としての話ではあるけれども、理に適った代替案が利用できないということになる。 そのような場合に於いては、どの代替案までが関連性を有するのか(relevant)を定義付ける設計上の特徴(design feature)自体が、すなわち硬い弾丸の銃とその怪我を与える能力というリアリティーこそが、正に、ユーザーが価値を置く特徴であり、かつ、πが責める特徴なのである。もし裁判所が該製品のこの性格を採用し、かつ、この怪我を与える能力を子供によって使われるおもちゃの品質として余りにも受容し難いと看做したならば、RADの立証無しに責任を課すという結論を下し得よう。裁判所は、その製品の使用または消費によって生ずる非常に高い危険性が、その無視して良い程しかない社会的有用性を実質的に凌駕しているために、如何なる合理的な理に適った人であろうとも、関連する事実を十分に知れば、該製品を使おうと選らばないであろうし、あるいは、子供に使うように選ばせないであろうという理由により、その製品設計が欠陥であって理に適って安全ではない、と宣言するであろう。
 [評者注*___] ここでジム・ヘンダーソンらが語っている不法行為法の原理について知りたい人は、評者の「現代不法行為法理論」の頁の中の、特に「法理(総論)」内の「賠償・抑止論」や「経済学的抑止論 」や「矯正的正義論 」の項を参照下さい。]
 [評者注* 米国では非常に権威があり支持されている不法行為法の基本書です。W.P. KEETON, ET AL., PROSSER AND KEETON ON TORTS (5th ed. 1984).]
すなわち同書は、以下のように消費者期待基準を批判しているのだ。
[消費者期待基準の]意味は曖昧で、その基準を具体的な問題に当てはめることはとても困難である..。 消費者期待基準は、裁判所や陪審員が結論にしたいほとんど如何なる結果をも説明するために利用され得るのだ。そのような曖昧な概念の当てはめは、ほとんどの場合、多くの指針を与え無い...。
ヘンダーソン&トゥワースキー, 「欧州、日本、および他の諸国 , supra at 18 & n.93 (前掲PROSSER AND KEETON at 699頁を引用しながら。訳は評者、下線は付加). [評者注*]
[評者注* 消費者期待が駄目なのは、やはり、ルール/規範になっていない、という点にあると思われます。法はルールであり、法治国家がルール・オブ・ローに支配されるべきである以上、ルールは、先に結果ありきな恣意的運用を許す虞のあるものではよろしく無い、ということではないでしょうか。]
[評者注* もっとも日本の立法も、条文の文言はジム・ヘンダーソンらの指摘通り消費者期待基準を連想させ、規範になっておらず曖昧で恣意を許すものと言わざるを得ないものとなってしまっているようですが、その解釈に関する公式見解(国会に於ける政府答弁として立法者の意図を推察し得るもの)に於いては、第三次リステイトメントの提案する諸要素の衡量という考え方に近いものを打ち出すことができており、今後の解釈上の救いになっているとも考えられるでしょう。]

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警告欠陥

多過ぎる警告表示は、本当に危険な警告を希釈化させて却って危険性を増すことになります。

このような情報コスト(information cost)こそが、警告欠陥を判断する際の難しい特徴です。すなわち、πは、自分が被った危害についてある警告表示がありさえすれば回避できたはずだ(ここには実は因果関係の立証という論点も出て来ます)と主張して、刳驪ニを責めます。しかし、そのような警告が、注意を欠いたπには必要だとしても、他の多くの注意深い消費者全体にとっては警告追加により他の本当に重要な危険性の警告を希釈化させるという不利益を生む訳です。

その場その場での紛争の解決しかできない、能力に限りのある司法・裁判システムによって警告表示義務を課して行くと、個々の事件に於いてπ救済に傾いて、結果的に、全体としては警告過剰な状況を生むおそれも指摘されています。すなわち、警告の効果の希釈化によって却って危険な状況を生んでしまう訳です。

そこで警告表示義務の基準作りについては、“場当たり的”な司法府に委ねるよりも、安全基準等による統一的・総合的な判断に委ねた方が社会全体の政策的には望ましい、という見解も出てきます。裁判所もかかる安全基準を尊重する、といった具合にです。

出典は筆者のNBL論考等を参照下さい。

See also W. Kip Viscusi, Individual Rationality, Hazard Warnings, and the Foundations of Tort Law, 48 RUTGERS L. REV. 625, 628, 666 (1996) (上の筆者の指摘と同様に、次のように述べています。"Firms may potentially incur tort liability penalties for underwarning.  Yet there are no penalties levied for overwarning.  The uncertainty of whether warnings meet the liabilty test consequently incentives for firms to overwarn, thus potentially diluting the efficacy of warning in other contexts as well." 更に次のようにも述べています。"The problem of information ... can be alleviated to some extent through the use of a common format and structure. One possibility is to adopt a uniform hazard warnings vocabulary."更に、警告表示の統一基準を企業が遵守すれば免責されるというルールにすることで、警告過剰の問題が解決される得ると、Viscusiは続けています。).

 人が情報を提供されても、その情報を留意(attend)する訳ではない、多過ぎる情報は処理不能になり人の認知システムはoverloadする、人は情報の一部にしか留意しないという指摘については、以下を参照。

Jacoby, Is It Rational to Assume Consumer Rationality?, infra, at 118.

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望ましい警告欠陥の基準・正しい危険効用衡量の仕方

多過ぎる警告表示は却って危険性を増すかもしれないのに、πが受損した該事故を回避する表示さえしていれば云々というπの主張が安易に容認されておかしな結果になっていることに対する解決策として、以下のような指摘があります。

そもそも警告義務とは、危険性[やその回避・減少方法]を知らせるという効果的なコミュニケーションが目的です。
B<PLの中に於いて、πの主張する代替警告表示案を採用するというBは、P(該事故発生の蓋然性・確率)を減少させるという「効用」が左辺Bに生まれます。 
警告欠陥訴訟では、πの主張する代替警告表示案を採用すればそのような「効用」が生まれるだけで、トレードオフとなる「損失」面は発生しないと思われがちなところが誤謬を生んでいます。しかし損失面も生じているのです。すなわち、↓
πの主張する代替警告表示案は、同時に、他の事故#1を生じさせるというP1の増加も右辺に生むばかりか、更なる他の事故#2〜#nも生じさせるというP2〜Pnの増加も右辺に生みます。
従ってπの主張する代替警告表示案によって生じた全ての負の面の増加分P1〜Pnを、B<PLの右辺にきちんと加えた上で、それでもπが受損した該事故を回避・減少でき得たことにより得られる左辺の効用の方上回れば、始めてそこで、代替警告表示が肯定され得るという訳です。
理論上はこのように説明できても、実際には定量的あるいは科学的に上で求められるデータ[や衡量]をきちんと提案できる専門家(experts)が欠乏しているために、正しい警告欠陥の認定が阻まれているというのが問題なのです。

See Jankowski, Evaluating Design and Warning Decisions, infra, at 327-39.

前掲の最終段落で指摘した問題点は、ヘンダーソン & トゥワースキー両教授も以下のように指摘しています。

警告懈怠のクレームに関連する工学技術的なデータが…欠けている…。

See Henderson &  Twerski, Intuition and Technology in Products Design Litigation, infra, at 670.

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警告表示の意義

警告表示は、安全政策に於いて、以下の両極端の間の中庸な政策としての意義があるという指摘があります。

Viscusi, Individual Rationality, Hazard Warnings, supra, at 629.

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警告欠陥の類型

アメリカでは、以下の二種類に分類され得ると言われています。

  1. 製品の安全な使用方法を指示するもの。
  2. インフォームド・チョイス型。
2.の類型が1.と異なるのは、危険性を下げることができないけれども、そのような危険性があることを消費者に知らせた上で、それでもその危険性を引き受けるか否かの選択権を付与するというもの。例えば副作用が不可避な薬品、等。

出典は筆者のNBL論考等を参照下さい。

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警告欠陥と設計欠陥の関係

警告をしてさえいれば免責される訳ではなく、設計が主に危険効用基準で欠陥であるとされればやはり責任を逃れられないとするのがアメリカの諸州の大勢だと言われています。

このアメリカ法の立場は、RESTATEMENT (THIRD) OF TORTS: PROD. LIAB. §2 cmt. l (Relationship between design and instruction or warning) (1998) に於いて示されています。

更に上の立場は、認知科学・行動主義的な分析からも、以下の論文に於いて主張されています。

Howard Latin, "Good" Warinings, Bad Products, and Cognitive Limitations, 41 UCLA. L. REV. 1193 (1994) (人は、認知科学的に警告をうっかり見落としたり危険を過少評価するおそれがあることが実証されているのだから、警告さえ貼っていれば設計欠陥の責任を免れ得るとされていた旧リステイトメントを批判。).

詳しくは、「ロボットPL」のページの中の「指示警告の前に求められる安全設計 (米国)」の項を参照下さい。

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ハンド・フォーミュラ(ハンドの定式)に於ける警告の意味

製造物責任訴訟に於いて、警告があったという要素や、明白な危険の要素は、ハンド・フォーミュラに於いてどのように位置づけられるべきでしょうか?

それらは、「B<PL」の中の右辺の、事故発生の蓋然性と発生時の損害の程度に関係してくる、と指摘されています。すなわち要素そのものにはなっていないけれども、要素Pと要素Lに影響を与える二次的要素として考えれば良いという訳です。

See Michael D. Green, Negligence = Economic Efficiency: Doubts, infra, at 1636.

具体的な意味については、前掲「望ましい警告欠陥の基準・正しい危険効用衡量の仕方」の項も参照下さい。

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 「留意の推定」heeding presumption

警告欠陥(警告懈怠)型の請求に於いてはπは、仮にこんな警告さえ添付されていたならばπはその警告に留意して事故を回避し得た「はず」だと主張します。

しかし、πの主張するような警告が仮に貼ってあったとしても、πは本当に、留意したでしょうか?どんな警告が貼ってあろうとも、留意せずに事故の回避は不可避だったのではないでしょうか?

にも拘わらず、アメリカでは、仮にπの主張するような警告が貼ってあればπはそれを留意したはずだという推定が働きます。

詳しくは、次の出典を参照下さい。 平野 晋 『アメリカ不法行為法 infra, at 177-78.

しかし、消費者は[他の人々と同様に]ヒューリスティックスに基づいて意思決定を行ってしまうから、たとえ情報を提供しても効果がないという指摘も存在します。警告ラベルに関する研究は、警告情報に対する消費者の理解度が僅か10%〜20%に止まっていると指摘しているのです。即ち、情報を取得[&提供]しても、これを正確に認識あるいは理解することを保証するものではないのです。 (出典は以下参照。「ヒューリスティックス」については「法と行動科学(認知心理学)」を参照。) --- この指摘に鑑みれば、「留意の推定」は説得力を欠くのではないでしょうか…。

Jacoby, Is It Rational to Assume Consumer Rationality?, infra, at 115, 120-21.

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 安全規制法令順守の場合は免責を付与する提案

ロボットPL 2」のページ内の「安全規制法令順守の効果 (米国そのIII)」を参照。

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日本の製造物責任(制定)法

平成六(1994)年七月一日法律第八十五号 施行日は一年後(1995年)

一番重要な要件である「欠陥」は、以下のように曖昧、かつ、時代遅れな定義をされました。

第二条  ...。
 この法律において「欠陥」とは、当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいう。

この条文からは、メーカーがどこまで安全を図れば十分なのかがサッパリ読み取れません。 如何に行為規範としての意味が無いものかが自明でしょう。

恣意的運用を許し、The Rule of Lawの原則からあまり褒められないカフカ的な法だとも言えます。

なお、製造物責任法には行為規範として明確な基準が必要であるという評者の指摘は、以下のように、アメリカの代表的な不法行為法学者の論文中にも発見できたので、紹介しておきましょう。

Rule of Lawの原則は、法に従い拘束される行為者に対して、事故が生じるよりも前の時点に於いて、最低でも、如何なる種類の行動が禁止されているのかに関する何らかの告知を、与えなければならない…。この原則に従って賠償責任ルールを設計すれば、裁判制度も原則に従って機能できるし、市民も『適正』だと正しく表現できる法手続を与えられるのである。

See also オゥエン, 費用と便益を「ミクロ衡量する」, infra, at 1681.

さて、日本のPL法の曖昧なルールは、適正といえるでしょうか????

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欠陥の三分類を否定する日本の一部解釈の誤り

欠陥を三分類してそれぞれの立証要件を「機能的」に明記するというアメリカの英知に対し、日本では、原告の立証負担が重くなる云々という感情論により否定的な見解が散見されます。

しかし、アメリカの方が原告に厳しいと結論付けるそのような日本の一部解釈は、短絡的に過ぎて論理的な冷静さを欠いています。

なぜならば、アメリカでも、明らかに本来意図された機能を発揮しない製品事故が生じたような場合には、いわゆる「malfunction doctrine」(誤作動の法理)によって、原告が欠陥を特定せずとも欠陥が推認され、それが『不法行為法(第三次)リステイトメント:製造物責任』の§3に於いても採用されているからです。

誤った短絡的な理解に基づいてアメリカは「企業寄りだ」などとレッテルを貼って思考停止状態に陥るような愚考については、猛反省すべきです。

むしろ、冷静に、先達者たるアメリカの英知を学んで、日本の今後の解釈に活かすという姿勢こそが、生産的ではないでしょうか。

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「危険効用基準」が「企業寄り」だとレッテルを貼る日本の一部解釈の誤り

日本では、「危険効用基準」が「企業寄り」な基準であるという誤解が、広くまかり通っているようです。

これも、やはり、本当の危険効用基準を知らないで感情論的にレッテルを貼るという、日本の議論のいけないところです。

本当の危険効用基準は、実は、企業にとって厳しいものです。

なぜならば、例えば不法行為法(第三次)リステイトメント:製造物責任』の§2のコメントl (エル)が明記しているように、たとえ「明白な危険」であっても、原告が、更に理に適った代替設計案(RAD:a reasonable alternative design)を提示することが許されていて、事実認定者は設計欠陥を判断することが許されているからです。

すなわち危険効用基準は、その基準に満たないような設計をすればたとえ明白な危険であったとしても、(更にはユーザの予見可能な誤使用に対しても)、企業・メーカが必ずしも免責されるとは限らないという、厳しさがあるのです。

危険効用基準が原告に有利であるとする、アメリカ法律論文上の指摘例を以下挙げておきましょう。

第二次リステイトメントの消費者期待基準の下でも有利な事件でればファースト・フードの責任を成立さ得る一方で、第三次リステイトメントの複数要素を勘案する危険効用基準はファースト・フードの原告にとって更に相当程度有利です。危険効用基準に於いては消費者期待を沢山の諸要素の内の単なる一つにウエート付けすることによって、第三次リステイトメントは消費者期待が…[原告を]ノックダウンさせる抗弁となることを廃したのです。

Caleb E. Mason,Doctorinal Considerations for Fast-Food Obesity Suits, 40 TORT TRIAL & INS. PRAC. L. J. 75, 98 (2004)  (ファースト・フード肥満訴訟として有名なPelman事件に於いて当初訴え却下に至った理由は、請求原因の仕方がまずかったのであり、請求の仕方・請求理由次第で勝率がある(べきだ)と主張する論文です).

同様に、πにとっては危険効用基準[の拡大解釈の方]を、[消費者期待基準よりも]好んだというアメリカ法律論文上の指摘例を以下に挙げてみます。

原告側弁護士達は、社会的な喫煙の享受[という便益]が健康維持への増大したコストという[危険性の]結果を凌駕しないという根拠で、この[危険効用の]理論を、タバコ産業へ適用できると感じたのです。… / … 州によってはタバコのロビイスト達が、危険効用基準ではなく、むしろタバコ製造業にとってもっと都合の良い消費者期待基準を裁判所が採用するように求める制定法を通過させるように立法者を口説きさえしたのです。」

Bryce A. Jensen, Note, From Tobacco to Health Care and Beyond -- A Critique of Lawsuits Targeting Unpopular Industries, 86 CORNELL L. REV. 1134, 1341 (2001) (emphasis added) (本来ならば立法府にて解決すべき政策問題となるHealth Maintenance Organizationによる治療費削減策への訴訟や、鉛塗料訴訟、銃訴訟等は三権分立に反する等として批判する論文です).

____________________.

更に、真の危険効用基準(費用対便益分析)では、たとえ該製品の全体としての危険面(risk)より効用面(utility)が凌駕していても、限界的な安全性向上策採用の余地が残っていれば欠陥性が認定され得ること(macro-balancing; cost-benefit balancing)から、やはり危険効用基準(費用対便益分析)が「企業寄り」だとレッテルを貼るのは誤りでしょう。なお、「費用対便益分析」に関しては、前掲「危険効用基準」の真の意味を参照下さい。

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製造物責任法の立法・解釈を、「企業寄り 対 消費者寄り」というダイコトミーな短絡的理解をする日本の解釈の誤り

製造物責任立法時の論議に参加してきた筆者の考えでは、日本は同法を、「“企業寄り”対“消費者寄り”」などという短絡的な対立構造で捉えがちなので、これはナンセンスです。 

日本の解釈が短絡的だと筆者が指摘する一つの理由は、日本の解釈が、「原告=一般消費者」ではない、という事実を理解していない点にあります。

すなわち、製品事故に巻き込まれる原告の中には、注意深かった原告もいれば、逆に、本来は自分が不注意の責を負うべき原告も居るはずです。

ルール・基準としての製造物責任法に求められているのは、どの原告の損失を被告側に転嫁し、どの原告の損失は転嫁しないままにすべきなのか、という基準を明らかにすることです。

全ての原告を勝訴させることは、本来は自ら不注意の責を負うべき原告の損失までを被告敗訴を通じて他の一般消費者に転嫁することになるので、それは一般消費者の利益に反することになります。 公正としての正義にも反するのではないでしょうか。

だから原告=消費者ではないのです。

以上をきちっと理解すれば、被告が勝訴するからイコール企業寄り、などという短絡的なレッテルにならないはずです。むしろ、一般消費者の利益のために被告を勝訴させるべき場合もあるのです。そのような場合が何なのかを明確にすべく、欠陥基準等を設定する必要があるのです。

本来在るべき製造物責任法が、誰寄りなのかと問われて敢えて応えるならば、それは、原告以外の多数の消費者も含む者寄り、すなわち合理的な人寄り、の基準なのです。 (ですから客観化した過失基準たるa reasonable person std.と変わらなくなってくるのです!!)

従って、例えば「消費者期待基準」の「消費者」を「原告」であると誤解せず、これを「一般合理人」だと理解するならば、それはすなわち「危険効用基準」が「消費者期待基準」を更に詳しくしたものになるので両者はその意味で一致するということも理解できるはずです。  一致するだけでなく、曖昧で恣意的な消費者期待基準よりも基準として明確な危険効用基準の方が、法治国家/「ルール・オブ・ロー」の原則からも望ましいということを理解すべきです。

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今後の解釈・運用による、制定法の欠点を克服する可能性

立法過程に於ける資料・説明から、以下の諸要素が例示列挙され、これらを考慮の上で、「通常有すべき安全性を欠いている」か否かを判断すべきだとされています(立法意思)。  See, e.g., 第129回国会 商工委員会 第7号 平成六年六月二十日(月曜)会議録 (政府委員により立法者に対して閣法案の以下の趣旨を説明).

「当該製造物の特性」
製造物の効用・有用性 (危険との比較考量
製造物の表示 (事故を防止するための表示等)
製造物の価格対効果 (同価格帯の製造物の安全性の水準との関係)
製造物の通常使用期間・耐用期間
被害発生の蓋然性とその程度
「その通常予見される使用形態」
製造物の合理的に予見される使用
製造物の使用者による損害発生防止の可能性
「その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期」
製造物が引き渡された時期 (当該製造物が引き渡された時点の社会において要請される安全性の程度等引渡し時の社会通念)
技術的実現可能性 (同時点における合理的なコストによる代替設計の可能性
「その他の当該製造物に係る事情」
製造物のばらつき状況(アウスライサー)
天災等の不可抗力の存在

上の諸要素は、その文言から、アメリカの最近のトレンドを解釈上日本でも採用して運用することを可能ならしめる可能性を示しています。(特に強調した部分は危険効用基準の採用を可能ならしめる文言です。)

なお、前掲会議録によれば、消費者期待基準を採用すべきだという一部の議員の要求に対し、答弁者は最後まで、肯定しないでおります。 → 消費者期待基準を排除した、という解釈の蓋然性。

_______________________________.

立法者意思である諸要素には難点もあります。それは、異なるレベルの要素が一緒に混ぜて列挙されており、どの要素をどのように比較するかといった精緻な分析・分類を欠いている点です。(そのようなおおざっぱさは、そもそも欠陥概念をきちんと3分類することを諦めている--設計欠陥の考慮要素も指示警告欠陥の考慮要素も製造上の欠陥の考慮要素もごっちゃに例示列挙されている--態度からもうががえます。) たとえば、同じく「危険効用」と言っても、activity-levelの比較なのか、care-levelの比較なのか、という議論さえも先進国アメリカでは行われているのですが、そのような精緻な分析に基づく分類は日本の諸要素ではなされていません。 明らかにこれからの課題として残されている問題です。 → 正しい比較衡量の仕方に関する最先進国アメリカの知見については、前掲「危険効用基準」の真の意味の項を参照下さい。

なお、諸要素を単に挙げ連ねるだけで留まっていて、相互の関連性をきちっと示さないルールというものは、混沌とした「洗濯物リスト」(a form of laundry list)に過ぎなくなる、という指摘があります(これに反してハンド・フォーミュラはBとPLが対象要素であることを示すだけでなく両者がトレードオフな関係にあることも示した点で秀逸であると指摘する文脈での分析です)。 See, Gregory C. Keating, Reasonableness and Rationality in Negligence Theory, 48 STAN. L. REV. 311,328 (1996).   このKeatingの分析は、日本のPL法にも当てはまるのではないでしょうか...?!

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いわゆる「ウエイド」法務研究科長の7要素

1. The usefulness and desirability of the product -- its utility to the user and to the public as a whole.
2. The safety aspects of the product -- the likelihood that it will cause injury, and the probable seriousness of the injury.
3. The availablity of a substitute products which would meet the same need and not be as unsafe.
4. The manufacturer's ability to eliminate the unsafe character of the product without impairing its usefulness or making it too expensive to maintain its utility.
5. The user's ability to avoid danger by the exercise of care in the use of the product.
6. The user's anticipated awareness of the dangers inherent in the product and their avoidability, because of general public knowledge of the obvious condition of the product, or of the existence of suitable warning or instruction.
7. The feasibility, on the part of the manufacturer, of spreading the loss by setting the price of the product or carrying liability insurance.

出典: John W. Wade, On the Nature of Strict Tort Liability for Products, 44 MISS. L. J. 825, 837-38 (1973).  更に以下も参照: John W. Wade, Strict Tort Liability of manufacturers, 19 SW. L. J. 5, 17 (1965)(同様な要素のリストを列挙).

なお、この有名なウエイド法務研究科長の7要素の最初の2つの要素は、前掲「危険効用基準」の真の意味の項にて紹介した、誤った危険効用衡量分析(i.e., 該製品自体の全ての効用面と全ての危険面を比較してしまうこと)になる「マクロ衡量」を誘発する虞がある、と最近では指摘・批判されています(正しい衡量の仕方は、「ミクロ衡量」=代替安全設計案のコスト面とその採用によって得られる便益面とを比較します)。もっともウエイド法務研究科長が7要素を提案した当時は未だ、費用便益衡量の精緻な発展が見られる以前の時代だったので仕方が無いのかもしれませんが…。

See オゥエン, 費用と便益を「ミクロ衡量する」, infra, at 1683 n.74.

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危うい解釈

日本の製造物責任法の解釈には、法律家の解釈の中にさえ、先進国アメリカに於けるような精緻な分析を退け、短絡的に原告寄りでおおざっぱ過ぎる傾向をうかがわせる点も散見されるので、非常に嘆かわしいことです。

すなわち、原告を勝訴させることが良いことである、という「結論先に在りき」な議論になってしまっているのです。

だからこそ、製造物責任=「無」過失責任であるとか、エンタープライズ責任を肯定するような解釈が幅をきかせているようです。

しかし、原告を常に勝訴させることが良いという前提から議論を始めるのはおかしなことです。何故ならば、勝たせるべき原告か否かは、事例毎に異なるはずだからです。場合によっては、多くの大衆の視点から見てさえも自己責任と判断されるべきで原告敗訴にすべき事例もあるはずです。   前掲「製造物責任法の立法・解釈を、「企業寄り 対消費者寄り」というダイコトミーな短絡的理解をする日本の解釈の誤り」参照。

本当に必要なのは、どのような場合に原告を勝訴させ、どのような場合に被告を勝訴させるべきか、という判断の基準なのです。

なお、手続法的な不備(例えば不十分な開示手続ディスカバリー制度)のために勝つべき原告が勝てないとか、司法制度的な不備(例えば法曹の数が少な過ぎる)のために被害者がなかなか救済されないといった問題は、それぞれの手続的不備の改善や、法曹人口のきちんとした増加によって解決することこそが健全な議論であるはずです。 それにもかかわらず、手続法的・司法制度的な不備をきちんと解消しないままに、実体法上の欠陥基準や責任基準をおかしくいじって原告を勝訴し易くする結論に無理やり導こうとするからこそ、歪んだ議論になってしまうのです。

在るべき判断の基準を検討するためには、原告を勝訴させ、被告を敗訴させて欠陥のレッテルを貼ることから生じる、原告以外の一般消費者に与える悪影響(社会効用の喪失)も考慮しなければならないはずです。原告への同情や感情論だけで決めてはいけない問題のはずです。   前掲「製造物責任法の立法・解釈を、「企業寄り 対消費者寄り」というダイコトミーな短絡的理解をする日本の解釈の誤り」参照。

そのような、原告以外の一般消費者に与える悪影響も含む公共政策的な配慮も入れた判断の在るべき基準を探るためには、原告への同情や感情論ばかりに左右させずに、先進国アメリカの知見を謙虚に学ぶ同時に、理知的かつ冷静な態度を維持しつつ科学的視点を持つことが必要です。   前掲「製造物責任法の立法・解釈を、「企業寄り 対消費者寄り」というダイコトミーな短絡的理解をする日本の解釈の誤り」参照。

それにもかかわらず、感情論と同情に大きく左右されて、原告を勝訴し易くする「結論先に在りき」な日本の論調では、科学者たる資格を欠くのではないでしょうか。そのような感情論と同情にばかり支配される解釈は、グローバルな視点からすると日本の法律学の後進性を如実に表す状態とも理解され、嘆かわしいことです。

更に、判断の基準を、曖昧な客観・抽象的な消費者=一般合理人[ちなみにそれならば過失責任基準=a reasonable person standardと同じ!]の基準だとか(それならば客観・抽象的な消費者ならばどのように判断すべきかの基準を示すべきなのに示さなければ何も基準を与えていないのと同じことです)、欠陥類型を分類せずに何でも「通常有すべき安全性を欠く」という曖昧な基準のママで済ませる(それならば条文以上の意味のある基準を何ら示しておらず何が通常有すべき安全性を欠くのかが全く判らない)ことを是認し、判事のいわば「直感」(intuition)あるいは「恣意!?」に頼らせたままで善しと甘んじ、きちんと知的な判断(intelligent decisions)を導き出すための理解可能な基準を定立しようとしない態度も、嘆かわしいことに違いありません。 何故なら、基準の定立を避けて曖昧なママで善しとするならば、もはや法律学者は不要だからです。

原告への同情と感情論に左右される弊害を、[法学者と]判事は避けるべきであるという警告を、アメリカの例から以下のように指摘しておきましょう。

(以下は、陪審員が原告への同情と感情論に左右される弊害を除去すべく、判事が積極的に介入すべきだという文脈です。)

... Bohlen argued that juries cannot be trusted to weigh utility against risk. Bohlen claimed that juries, moved by the plaintiff's injuries and the defendant's wealth, will often employ a de facto norm of strict liability. [] Even if the jury did apply the reasonable person standard, he suggested that it would give scant weight to the utility of the defendant's conduct in light of its injurious consequences. Court could appropriately intervene to override "the jury's insistence on an overly stringent standard of conduct." []

Stephen G. Gilles, On Determining Negligence: Hand Fromula Balancing, The Reasonable Person Standard, and the Jury, 53 VAND. L. REV. 813, 837 (2001) (emphasis added) (危険効用の検討をすべきなのに原告への同情に左右される陪審員には偏見に因って困難なので裁判所が積極的にその役割を担うべき、と第一次リステイトメント起草者が指摘している部分から) .

更に同じ出典から、以下の指摘も参考になるはずです。

[H]e [, Bohlen,] urged courts to modifay their reasonable-person instructions to juries: "the Reporter can see no danger and some hope of gain in calling to the jury's attention the fact that their judgment should be cantrolled not merely as to what a reasonable man would do, but as to what a reasonable man would do with his attention centered upon the risk which his conduct involves and the gain to society or to himself, and through himself to society, which is likely to result from his conduct."[]

Id. at 838 (emphasis added).

加えて、そもそも人は、責任の有無を精査しないまま、むやみに行為者に責任を課そうとする偏見が存在し、貧乏人よりも無尽蔵な資源を持っていると看做される企業に責任を課そうとする偏見があるという指摘も以下に見出すことができ、参考になるのではないでしょうか。  

The concept universal among all primitive men, that an injured should be paid for by him who causes it, irrespective of the moral or social quality of his conduct, while it has disappeared from legal thought, still dominates the opinion of the cort of men who form the average jury.  There is, besides, the perhaps natural prejudice in favor of a poor man injured by a rich man, and particularly by a corporation which is always assumed to have unlimited resources.

Michael D. Green, Negligence = Economic Efficiency: Doubts, 75 TEX. L. REV. 1605, 1624 (1997) (emphasis added).

Green教授は上に続けてその論文の脚注において、第一次リステイトメント起草者が過失責任基準を詳細に規定した理由として、陪審員が被告・企業に偏見を抱いておかしな評決を下してしまうことへの歯止めを挙げています。  Green, supra, at 1634 n.88.

日本でも、欠陥基準が曖昧だと、恣意的裁量の許容範囲が大きくなり過ぎて、人としての判事による上記偏見を許し、個々の事件ではいわゆる救済になるでしょうが先例としてはおかしく、または全体としてはおかしな結果を招来する危険性があるのかもしれません。

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「経験則」による「事実上の推定」を柔軟に活用するという主張の危うさ

日本の製造物責任法の論議に於いては、「推定規定」を採用せよとか、「経験則」による「事実上の推定」を柔軟に活用せよ等と指摘する言説を、しばしば目にします。

しかし、柔軟に…と言っても、誤った推定は、正義に反するはずです。

そもそも「経験則」とは、「経験的知識から個人差を除去して一般化したもの」と定義される概念です。(『法律学小辞典』207頁増補版、有斐閣) 経験則には、「日常生活の常識的な思惟法則」が含まれます。 Id. 証拠の評価は裁判官の自由な判断に任せられているとはいえ、経験則に違反した判断は上訴審で破棄理由になるものです。Id.

しかし世界の法律学の最先進国であるアメリカに於いては、近年、行動科学・認知心理学と法律学との間の学際研究(以下「法と行動科学(認知心理学)」という)が活発になり、人の判断や行動には誤謬が生じることが実証研究によって明らかになって来ました。そして「経験則」と呼ばれる経験的知識に頼る判断・行動は、そのような誤謬が生じる虞を最も指摘されている分野の一つなのです。

従って、「事実上の推定」をむやみやたらな「経験則」に基づいて行うことについては、慎重な再検討が求められるべきでしょう。

たとえば「あと知恵の偏見」や、「結果的偏見」(outcome bias)、「損失回避」や「ヒューリスティック」等が、経験則を誤らさせて、事故の責任を不当に凾フ所為(せい)に帰させてしまう虞があります。

特に、事故の発生自体から過失(+因果関係?)を推認させたり、欠陥(+因果関係)を推認させたりする「過失推定則」(res ipsa loquitur)や「欠陥推定則」(defect ipsa loquitur)の推認は、仮に、稀にしか発生しない事故が発生したという事実から過失・欠陥が原因であるに違いないという推認を安易に許容してしまえば、それは「逆転錯誤」(inverse fallacyの虞があります。「逆転錯誤」については、「法と行動科学(認知心理学)」の頁内の、「inverse fallacy (逆転錯誤)」の項を参照。

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問題のある裁判例

仙台地判平13・4・26 [フロント・サイドマスク負傷事件]
評価: 「本件事故が、...唯一の事故であり、その構造、性能、用途、X[原告]の判断能力等に照らすと、容易かつ安全に使用することができる製品であるところ、設計上の欠陥を肯定するには疑問の残るものである。設計に関係する諸事情を検討し、その欠陥の有無を判断すべきであるが、そのような検討、判断が十分に行われたものとも言い難いものである。」 升田純『最新PL関係 判例と実務』285頁(2004年、民事法研究会).
徳島地判平14・10・29 [磁気活水器養殖ヒラメ全滅事件]
過失責任の一般不法行為責任とは別に、欠陥責任たる製造物責任(strict liability in tort)が肯定されて来たのは、そもそも、「生命・身体」という高度の保護法益への侵害という安全性の欠如がそもそもの理由だったはずです。しかるに、生命・身体への危険とは無関係な、すなわち安全性を欠くものでは無いにもかかわらず、瑕疵的問題に製造物責任を課すのは、全く趣旨を逸脱しています。  財産損害も保護法益となるのは、趣旨からきちんと解釈すれば、あくまでも身体・生命への危険がある、すなわち安全性を欠く欠陥が、結果的に、財産への拡大損害のみを生じたという場合(例えば家電品から火災が生じたけれども家屋を延焼しただけで生命身体には害は生じなかったけれども、火災というのはその性質上身体・生命への危険であるから安全性を欠くと解釈される場合)に限られているはずなのです。   身体・生命への危険すなわち安全性を欠くという場合で無いのに、本件のようにヒラメ(財物)が死んでも人の身体・生命へは無関係な場合には、瑕疵担保責任や債務不履行の問題であって、身体生命という高度の安全性を保護法益すべき製造物責任法とは無縁な事故であるべきです。
生命・身体への危険=安全性の欠如、とは無関係な場合にまで、拡大適用するのであれば、製品に限らずサービスに対しても、例えば保護され過ぎている金融機関に対しての様々な財産的な損害への責任も、公平性の観点から、もっと課さなければおかしい、という議論になるべきです。

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生命・身体(健康)への危険以外の場合には、製造物責任法を適用すべきではない

そもそも日本に於いて、「安全性の欠如=生命身体への危害」以外の場合にまでも製造物責任法が適用されるかのごとき混乱が生じた理由には、「通常有すべき安全性」という語句の中の「安全性」の定義をきちっとしていなかったことに由来するのかもしれません。 

すなわち、「通常有すべき安全性」の意味が将来の判例と学説に委ねられたのと同時に、「安全性」の意味も同様に将来の判例と学説に委ねられてしまったと解釈できるのかもしれないのです。 

評者が、同法の審議に関する国会での全ての会議録に対し、「安全」や「財産」「身体」といったキーワード検索を行ってブラウズしてみたところ、「安全性」をきちっと説明するものに出会うことができませんでした。

そのように会議録を調べた結果、判明したのは、「通常有すべき安全性」の意味が将来の判例発展等に委ねられているという趣旨の政府委員および参考人の説明だけでした。

そこで、生命身体への危険以外の場合には、製造物責任法を適用すべきではない、というパブリック・ポリシー(法目的)の解釈を支持する資料として、製造物責任法発展の発祥地であり、かつ、最先進国でもあるアメリカの、以下が参考になるのではないでしょうか。

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製造物責任「法の原理」

RESTATEMENT (THIRD) OF TORTS: PRODUCTS LIABILITY §21 Reporrters' Note to cmt d (Harm to the defective product itself) (1998) (economic lossにまで厳格不法行為責任適用拡大を支持するintermediate ruleを採用するminorityな州に於いてさえも、適用する場合は"the product was dangerous in that it presented risks of harm to persons or other property"に限定し、しかも裁判所によっては追加要件として、"the product must have failed in a sudden and calamitous manner"を要求すると指摘).

以下の有名な判例は、マクファーソン判決やエスコラ判決、更には『契約の死』などの著名判例&学説をを引用しつつ、製造物責任法の法目的(パブリック・ポリシー)をよく表しています。

East River Steamship Corp. v. Transamerica Delaval, Inc., 476 U.S. 858 (1986) (連邦最高裁の全員一致判決に於いて、以下のように指摘している)
Products liability grew out of a public policy judgment that people need more protection from dangerous products than is afforded by the law of warranty.    See Seely v. White Motor Co., 63 Cal2d 9, 15, ... 403 P.2d 145, 149 (1965).  It is clear, however, that if this development were allowed to progress too far, contract law would drown in a sea of tort.   See G. Gilmore, The Death of Contract 87-94 (1974).   ....
East River, at 866 (emphasis added).
The paradigmatic products-liability action is one where a product "reasonably certain to place life and limb in peril," distributed without reinspection, causes bodily injury.   See, e.g., MacPherson v. Buick Motor Co., 217 N.Y. 382, 389, 111 N.E. 1050, 1051, 1053 (1919).   The manufacturer is liable whether or not it is negligence because "public policy demands that responsibility be fixed whenever it will most effective reduce the hazards to life and health inherent in defective products that reach the market."   Escola v. Coca Cola Bottling Co. of Fresno, 24 Cal.2d, at 462, 150 P.2d, at 441 (opinion concurring in judgment).
East River, at 866-67 (emphasis added).
For similar reasons of safety, the manufacturer's duty of care was broadened to include protection agaisnt property damage.   See Marsh Wood Products Co. v. Badcock & Wilcox Co., 207 Wis. 209, 226, 240 N.W. 392, 399 (1932); Genesee County Partners Fire Relief Assn. v. L. Sonnerborn Sons, Inc., 263 N.Y. 463, 469-473, 189 N.E. 551, 553-555 (1934).   Such damage is considered so akin to personal injury that the two are treated alike,   See Seely v. White Motor Co., 63 Cal2d, at 19,  ... 403 P.2d, at 152. 
East River, at 867 (emphasis added).
But the injury suffered -- the failure of the product to function properly -- is the essence of a warranty action, through which a contracting party can seek to recoup the benefit of its bargain.
East River, at 868 (emphasis added).
... [C]ases attempt to differetiate between "the dissapointed users ... and the endangered ones," Russel v. Ford Motor Co., 281 Or. 587, 595, 575 P.2d 1383, 1387 (1978), and ....   The Alaska Supreme Court allows a tort action if the defective product creates a situation potentially dangerous to persons or other property, and loss occurs as a proximate result of that danger and under dangerous circumstances.  Northen Power & Engineering Corp. v. Caterpillar Tractor Co., 623 P.2d 324, 329 (1981).
East River, at 870 (emphasis added).
The tort concern with safety is reduced when an injury is only to the product itself.   When a person is injured, the "cost of an injury and the loss of time or health may be an overwhelming misfortune," and one person is not prepared to meet.  Escola v. Coca Cola Bottling Co. , 24 Cal.2d, at 462, 150 P.2d, at 441 (opinion concurring in judgment).
East River, at 871 (emphasis added).

上のEast River判決でも引用されていた、Seely v. White Motor Co., 63 Cal2d 9, 15, ... 403 P.2d 145, 149 (1965)判決の該当部は、以下のように言っています。

[The rationale of Greenman case] rests, rather, on the proposition that '(t)he cost of an injury and the loss of time or health may be an overwhelming misfortune to the person injured, and a needless one, for the risk of injury can be insured by the manufacturer and distributed among the public as a cost of dosing business.' (Escola v. Coca Cola Bottling Co., 24 Cal.2d 453, 462, 150 P.2d 436 (concurring opinion).)  That rationale in no way justifies requiring the consuming public to pay more for their products so that a manufaturer can insure against the possibility that some of his products will not meet the business needs of some of his customers.

Seely, 403 P.2d, at 151 (emphasis added).

East River判決の後に、再度エコノミック・ロスに関して連邦最高裁が下したSaratoga判決を分析したところ、本件のトピックへの回答になるようなことは法廷意見にも反対意見にも言及されていませんでした。   Saratoga Fishing Co. v. J,M. Martinac & Co., 520 U.S. 875, _____ (1997).

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通常有すべき「安全性」の意味に関する日本の法源例

不法行為法上の「製造物責任」と共に論じられることの多い、契約・債務不履行(民法415条)上の請求原因たる「安全配慮義務」違反について、最高裁判所の以下の定義が、「安全」の意味・定義の解釈上の参考になるでしょう。

「ある法律関係にもとづいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間に、その法律関係の付随義務として、相手方の生命及び健康等を危険から保護するような配慮をすべき義務」

最判昭50・2・25 民集2929巻2号143頁

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予見可能性の無い場合にまで責任を課す立場はアメリカでも衰退 -- 開発危険の抗弁

有名なアスベスト事件判決のBeshada v. Johns-Manville Products Corp., 447 A.2d 539, 547, 549 (N.J. 1982)に於いて、製造時には知り得ない危険にまで凾ノ責任を課したことは、経済学的な危険効用基準に反すると、ポズナーらによって指摘されていましたが、今日ではもはや予見不能な場合にまで責任を課す立場は衰退していると言われています。以下を参照下さい。

RESTATEMENT (THIRD) OF TORTS: PRODUCTS LIABILITY §2, cmt. m reporters' note (Proposed Final Draft 1997).
See also オゥエン, 費用と便益を「ミクロ衡量する」, infra, at 1690 (四半世紀に渡る論議の結果、予見不可能な危険性に対して、製造業者は、「厳格」("strict")任の下でさえも責任を課されないようになった、と指摘).

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ヨーロッパの製造物責任法

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EC理事会指令

Commission of the European Communities
PUBLICATION DATE: August 7, 1985
Official journal NO. L 210, 07/08/1985 P. 0029 - 0033
DOCUMENT DATE: July 25, 1985 COUNCIL DIRECTIVE
of 25 July
1985
on the Approximation of the Laws, Regulations and Administrative Provisions of
the Member States Concerning Liability for Defective Products (85/374/EEC) THE COUNCIL OF THE EUROPEAN

COMMUNITIES,

Having regard to the Treaty establishing the European Economic Community, and in particular Article 100 thereof,

Having regard to the proposal from the Commission,

Having regard to the opinion of the European Parliament,

Having regard to the opinion of the Economic and Social Committee,

Whereas approximation of the laws of the Member States concerning the liability of the producer for damage caused by the defectiveness of his products is necessary because the existing divergences may distort competition and affect the movement of goods within the common market and entail a differing degree of protection of the consumer against damage caused by a defective product to his health or property;

Whereas liability without fault on the part of the producer is the sole means of adequately solving the problem, peculiar to our age of increasing technicality, of a fair apportionment of the risks inherent in modern technological production;

Whereas liability without fault should apply only to movables which have been industrially produced; whereas, as a result, it is appropriate to exclude liability for agricultural products and game, except where they have undergone a processing of an industrial nature which could cause a defect in these products; whereas the liability provided for in this Directive should also apply to movables which are used in the construction of immovables or are installed in immovables;

Whereas protection of the consumer requires that all producers involved in the production process should be made liable, in so far as their finished product, component part or any raw material supplied by them was defective; whereas, for the same reason, liability should extend to importers of products into the Community and to persons who present themselves as producers by affixing their name, trade mark or other distinguishing feature or who supply a product the producer of which cannot be identified;

 [*37]  Whereas, in situations where several persons are liable for the same damage, the protection of the consumer requires that the injured person should be able to claim full compensation for the damage from any one of them;

Whereas, to protect the physical well-being and property of the consumer, the defectiveness of the product should be determined by reference not to its fitness for use but to the lack of the safety which the public at large is entitled to expect; whereas the safety is assessed by excluding any misuse of the product not reasonable under the circumstances;

Whereas a fair apportionment of risk between the injured person and the producer implies that the producer should be able to free himself from liability if he furnishes proof as to the existence of certain exonerating circumstances;

Whereas the protection of the consumer requires that the liability of the producer remains unaffected by acts or omissions of other persons having contributed to cause the damage; whereas, however, the contributory negligence of the injured person may be taken into account to reduce or disallow such liability;

Whereas the protection of the consumer requires compensation for death and personal injury as well as compensation for damage to property; whereas the latter should nevertheless be limited to goods for private use or consumption and be subject to a deduction of a lower threshold of a fixed amount in order to avoid litigation in an excessive number of cases; whereas this Directive should not prejudice compensation for pain and suffering and other non-material damages payable, where appropriate, under the law applicable to the case;

Whereas a uniform period of limitation for the bringing of action for compensation is in the interests both of the injured person and of the producer;

Whereas products age in the course of time, higher safety standards are developed and the state of science and technology progresses; whereas, therefore, it would not be reasonable to make the producer liable for an unlimited period for the defectiveness of his product; whereas, therefore, liability should expire after a reasonable length of time, without prejudice to claims pending at law;

Whereas, to achieve effective protection of consumers, no contractual derogation should be permitted as regards the liability of the producer in relation to the injured person;

Whereas under the legal systems of the Member States an injured party may have a claim for damages based on grounds of contractual liability or on grounds of non-contractual liability other than that provided for in this Directive; in so far as these provisions also serve to attain the objective of effective protection of consumers, they should remain unaffected by this Directive; whereas, in so far as effective protection of consumers in the sector of pharmaceutical products is already also attained in a Member State under a special liability system, claims based on this system should similarly remain possible;

Whereas, to the extent that liability for nuclear injury or damage is already covered in all Member States by adequate special rules, it has been possible to exclude damage of this type from the scope of this Directive;

Whereas, since the exclusion of primary agricultural products and game from the scope of this Directive may be felt, in certain Member States, in view of what is expected for the protection of consumers, to restrict unduly such protection, it should be possible for a Member State to extend liability to such products;

Whereas, for similar reasons, the possibility offered to a producer to free himself from liability if he proves that the state of scientific and technical knowledge at the time when he put the product into circulation was not such as to enable the existence of a defect to be discovered may be felt in certain Member States to restrict unduly the protection of the consumer; whereas it should therefore be  [*38]  possible for a Member State to maintain in its legislation or to provide by new legislation that this exonerating circumstance is not admitted; whereas, in the case of new legislation, making use of this derogation should, however, be subject to a Community stand-still procedure, in order to raise, if possible, the level of protection in a uniform manner throughout the Community;

Whereas, taking into account the legal traditions in most of the Member States, it is inappropriate to set any financial ceiling on the producer's liability without fault; whereas, in so far as there are, however, differing traditions, it seems possible to admit that a Member State may derogate from the principle of unlimited liability by providing a limit for the total liability of the producer for damage resulting from a death or personal injury and caused by identical items with the same defect, provided that this limit is established at a level sufficiently high to guarantee adequate protection of the consumer and the correct functioning of the common market;

Whereas the harmonization resulting from this cannot be total at the present stage, but opens the way towards greater harmonization; whereas it is therefore necessary that the Council receive at regular intervals, reports from the Commission on the application of this Directive, accompanied, as the case may be, by appropriate proposals;

Whereas it is particularly important in this respect that a re-examination be carried out of those parts of the Directive relating to the derogations open to the Member States, at the expiry of a period of sufficient length to gather practical experience on the effects of these derogations on the protection of consumers and on the functioning of the common market,

HAS ADOPTED THIS DIRECTIVE:

Article 1

The producer shall be liable for damage caused by a defect in his product.

Article 2

For the purpose of this Directive "product' means all movables, with the exception of primary agricultural products and game, even though incorporated into another movable or into an immovable. "Primary agricultural products' means the products of the soil, of stock-farming and of fisheries, excluding products which have undergone initial processing. "Product' includes electricity.

Article 3

1. "Producer' means the manufacturer of a finished product, the producer of any raw material or the manufacturer of a component part and any person who, by putting his name, trade mark or other distinguishing feature on the product presents himself as its producer.

2. Without prejudice to the liability of the producer, any person who imports into the Community a product for sale, hire, leasing or any form of distribution in the course of his business shall be deemed to be a producer within the meaning of this Directive and shall be responsible as a producer.

3. Where the producer of the product cannot be identified, each supplier of the product shall be treated as its producer unless he informs the injured person, within a reasonable time, of the identity of the producer or of the person who supplied him with the product. The same shall apply, in the case of an imported product, if this product does not indicate the identity of the importer referred to in paragraph 2, even if the name of the producer is indicated.

 [*39]  Article 4

The injured person shall be required to prove the damage, the defect and the causal relationship between defect and damage.

Article 5

Where, as a result of the provisions of this Directive, two or more persons are liable for the same damage, they shall be liable jointly and severally, without prejudice to the provisions of national law concerning the rights of contribution or recourse.

Article 6

1. A product is defective when it does not provide the safety which a person is entitled to expect, taking all circumstances into account, including:

(a) the presentation of the product;

(b) the use to which it could reasonably be expected that the product would be put;

(c) the time when the product was put into circulation.

2. A product shall not be considered defective for the sole reason that a better product is subsequently put into circulation.

Article 7

The producer shall not be liable as a result of this Directive if he proves:

(a) that he did not put the product into circulation; or

(b) that, having regard to the circumstances, it is probable that the defect which caused the damage did not exist at the time when the product was put into circulation by him or that this defect came into being afterwards; or

(c) that the product was neither manufactured by him for sale or any form of distribution for economic purpose nor manufactured or distributed by him in the course of his business; or

(d) that the defect is due to compliance of the product with mandatory regulations issued by the public authorities; or

(e) that the state of scientific and technical knowledge at the time when he put the product into circulation was not such as to enable the existence of the defect to be discovered; or

(f) in the case of a manufacturer of a component, that the defect is attributable to the design of the product in which the component has been fitted or to the instructions given by the manufacturer of the product.

Article 8

1. Without prejudice to the provisions of national law concerning the right of contribution or recourse, the liability of the producer shall not be reduced when the damage is caused both by a defect in product and by the act or omission of a third party.

 [*40]  2. The liability of the producer may be reduced or disallowed when, having regard to all the circumstances, the damage is caused both by a defect in the product and by the fault of the injured person or any person for whom the injured person is responsible.

Article 9

For the purpose of Article 1, "damage' means:

(a) damage caused by death or by personal injuries;

(b) damage to, or destruction of, any item of property other than the defective product itself, with a lower threshold of 500 ECU, provided that the item of property:

(i) is of a type ordinarily intended for private use or consumption, and

(ii) was used by the injured person mainly for his own private use or consumption.

This Article shall be without prejudice to national provisions relating to non-material damage.

Article 10

1. Member States shall provide in their legislation that a limitation period of three years shall apply to proceedings for the recovery of damages as provided for in this Directive. The limitation period shall begin to run from the day on which the plaintiff became aware, or should reasonably have become aware, of the damage, the defect and the identity of the producer.

2. The laws of Member States regulating suspension or interruption of the limitation period shall not be affected by this Directive.

Article 11

Member States shall provide in their legislation that the rights conferred upon the injured person pursuant to this Directive shall be extinguished upon the expiry of a period of 10 years from the date on which the producer put into circulation the actual product which caused the damage, unless the injured person has in the meantime instituted proceedings against the producer.

Article 12

The liability of the producer arising from this Directive may not, in relation to the injured person, be limited or excluded by a provision limiting his liability or exempting him from liability.

Article 13

This Directive shall not affect any rights which an injured person may have according to the rules of the law of contractual or non-contractual liability or a special liability system existing at the moment when this Directive is notified.

Article 14

This Directive shall not apply to injury or damage arising from nuclear accidents and covered by international conventions ratified by the Member States.

 [*41]  Article 15

1. Each Member State may:

(a) by way of derogation from Article 2, provide in its legislation that within the meaning of Article 1 of this Directive "product' also means primary agricultural products and game;

(b) by way of derogation from Article 7(e), maintain or, subject to the procedure set out in paragraph 2 of this Article, provide in this legislation that the producer shall be liable even if he proves that the state of scientific and technical knowledge at the time when he put the product into circulation was not such as to enable the existence of a defect to be discovered.

2. A Member State wishing to introduce the measure specified in paragraph 1(b) shall communicate the text of the proposed measure to the Commission. The Commission shall inform the other Member States thereof.

The Member State concerned shall hold the proposed measure in abeyance for nine months after the Commission is informed and provided that in the meantime the Commission has not submitted to the Council a proposal amending this Directive on the relevant matter. However, if within three months of receiving the said information, the Commission does not advise the Member State concerned that it intends submitting such a proposal to the Council, the Member State may take the proposed measure immediately.

If the Commission does submit to the Council such a proposal amending this Directive within the aforementioned nine months, the Member State concerned shall hold the proposed measure in abeyance for a further period of 18 months from the date on which the proposal is submitted.

3. Ten years after the date of notification of this Directive, the Commission shall submit to the Council a report on the effect that rulings by the courts as to the application of Article 7(e) and of paragraph 1(b) of this Article have on consumer protection and the functioning of the common market. In the light of this report the Council, acting on a proposal from the Commission and pursuant to the terms of Article 100 of the Treaty, shall decide whether to repeal Article 7(e).

Article 16

1. Any Member State may provide that a producer's total liability for damage resulting from a death or personal injury and caused by identical items with the same defect shall be limited to an amount which may not be less than 70 million ECU.

2. Ten years after the date of notification of this Directive, the Commission shall submit to the Council a report on the effect on consumer protection and the functioning of the common market of the implementation of the financial limit on liability by those Member States which have used the option provided for in paragraph 1. In the light of this report the Council, acting on a proposal from the Commission and pursuant to the terms of Article 100 of the Treaty, shall decide whether to repeal paragraph 1.

Article 17

This Directive shall not apply to products put into circulation before the date on which the provisions referred to in Article 19 enter into force.

 [*42]  Article 18

1. For the purposes of this Directive, the ECU shall be that defined by Regulation (EEC) No 3180/78, as amended by Regulation (EEC) No 2626/84. The equivalent in national currency shall initially be calculated at the rate obtaining on the date of adoption of this Directive.

2. Every five years the Council, acting on a proposal from the Commission, shall examine and, if need be, revise the amounts in this Directive, in the light of economic and monetary trends in the Community.

Article 19

1. Member States shall bring into force, not later than three years from the date of notification of this Directive, the laws, regulations and administrative provisions necessary to comply with this Directive. They shall forthwith inform the Commission thereof

2. The procedure set out in Article 15(2) shall apply from the date of notification of this Directive.

Article 20

Member States shall communicate to the Commission the texts of the main provisions of national law which they subsequently adopt in the field governed by this Directive.

Article 21

Every five years the Commission shall present a report to the Council on the application of this Directive and, if necessary, shall submit appropriate proposals to it.

Article 22

This Directive is addressed to the Member States.

Done at Brussels, 25 July 1985.

For the Council

The President

J. POOS

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EC理事会指令の代表起草者(タッシュナー教授)による解説論考

EC指令起草にあたって指導的役割を果たしたタシュナー教授自身が、指令を以下のロージャーナル論考にて解説しています。

Hans Claudius Taschner, Hamonization of Product Liability Law in the European Community, TEX. INT’L L. J. 21 (1999).

同論考に於ける、タシュナー教授による「欠陥」の定義の解説は以下の通りです。

D. Article 6: The Concept of Defect
Article 6 defines defectiveness. The basic element of this concept is "safety." Product liability seeks to protect the product user against any threat to life, health, and property. It does not guarantee the serviceability of a product which is a problem of sales law. However absolute safety is not required. It is up to the judge to decide what degree of safety may be expected. The term "entitle" relates to court decisions. The expectation is not that of the injured party, but that of the public at large. The concept is an objective, not a subjective one. As has been discussed above, the Directive does not distinguish between the three categories of defect normally identified.
All the circumstances of a product liability case have to be taken into account in designating a product as safe or defective. Articles 6(1) (a), (b), and (c) provide some examples. The most important example is from Article 6(1)(c); the producer is liable only if the defect is caused during the manufacturing process. Any impairment of the product occur[sic]ing after it has been put into circulation, caused for example by bad transportation, bad storage, misuse or abuse, is not the responsibility of the producer.
According to this principle, any defect must be identified when the product is put into circulation, not at the time the damage was caused. Once a product is deemed to be non-defective, it does not become defective if the safety expectations of the general public change. This principle is laid down in Article 6(2).

Id. at 30.

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主要参考文献・主要出典(拙書で引用済のものの多くは除外)

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近年の論文

Winter, 1999,  words, ARTICLE:**

Fall, 2000, 10 Kan. J.L. & Pub. Pol'y 55, 1830 words, ARTICLE: The Role of the Restatement in the Tort Reform Movement: ALI Reporters' Response, James A. Henderson, Jr., and Aaron D. Twerski

 April, 2000, 88 Geo. L.J. 659, 14777 words, ESSAY: Intuition and Technology in Product Design Litigation: An Essay on Proximate Causation, James A. Henderson, Jr. * and Aaron D. Twerski **

Spring, 1998, 26 Hofstra L. Rev. 667, 9092 words, SYMPOSIUM ON THE AMERICAN LAW INSTITUTE: PROCESS, PARTISANSHIP, AND THE RESTATEMENTS OF LAW: THE POLITICS OF THE PRODUCTS LIABILITY RESTATEMENT, James A. Henderson, Jr. *, Aaron D. Twerski **

【未校閲版】without proof

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