"過失責任の死

The Death of the Strict Liability

中央大学教授(総合政策学部)
米国弁護士(NY州)

平野 晋

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without proof 未校閲版

目次

法と経済学的な解剖学(「双方的・一方的な予防」と「行為・注意レベル」の概念)

製造物責任法的な解剖学:無過失責任の根拠の欠如 --- 危険責任、報償責任、損失の分散、信頼責任。

無過失責任の不条理: 法と文学的な解剖学 (平野晋説)

無過失責任が肯定される諸類型

[判例法にて伝統的に肯定されて来た] 無過失責任も実はfaultに基くと解釈可能?!

π側も便益を得ていたり、帰責がある場合には、無過失責任が適用されないという判例法と矯正的正義の一致

過失責任も実は"無"過失的?(∵客観基準のreasonable person std.は達成不可能な高い基準)

無過失責任の死?!

法と経済学的な解剖学(「双方的・一方的な予防」と「行為・注意レベル」の概念

1.製造上欠陥(mfg. defect)                                          = 過失[厳格]責任strict liability[1]
2.設計上欠陥(design defect)                                           = 過失責任negligence)的
3.指示警告上の欠陥(inadequate instructions / warnings)   =  過失責任negligence)的

2.と3.は何故に過失的なのでしょうか? B<PL(Hand Formula)の概念を用いて、事故防止費用Burden)と[期待]事故費用(Probabilities x Lossの極小化という視点から考えてみましょう。すなわち、法と経済学では以下のように言われています。

加害者となる虞(おそれ)のある者によってactivity-levelを変化させることが事故防止の最も効率的な方法であるように思われると特定される諸活動の部類に於いては、かかる諸活動に従事する人々に厳格[無過失]責任を課すべきだという強い主張が存在します。 そして、逆に、被害者となる虞(おそれ)のある者によってactivity-levelを変化させることが事故防止の最も効率的な方法である活動部類に於いては、[過失責任が無ければ]責任を課すべきではないという強い主張が存在し、それは危険なスポーツへの参加者達へ危険の引受の法理を課すようなものです。  

ポズナー, 「法の経済的分析」, infra, at 178 (訳は評者)(emphasis added).

無過失責任が肯定される理由は、過失責任では凾フactivity-level[2]抑止効果が働かないからです。

加事故蓋然性を減少させる方法として、より多い注意と、より少ない活動との区別を思い返してみなさい。自動車事故を回避するための一つの方法は、更にゆっくりドライブすることです[すなわち注意レベルの回避策]。もう一つの方法は、ドライブ自体を減らすことです[すなわち活動レベルでの回避策]。 しかしながら裁判所は過失責任事件に於いて、事故に繋がる活動の最適レベルを決定しようとすることは稀です。   ….   そのような判断は難し過ぎて通常の不法行為法事件に於いて裁判所が下せないのです。

   単純な事件以外に於いては最適な活動レベルを司法府が決定し得ないという点は、過失制度の重大な欠点になり得るものなのです。  

Id. at 175-76 (訳は評者).

実際、リステイトメントもactivity levelに関する価値評価は行わないという立場を採っている、と有力な不法行為学者が以下のように解説しています。

リステイトメントも法は、問題のドライブがどんなに重要では無いものであったとしても、ハイウエイを運行する自由には、「注意深く運航しても伴ってしまう危険を凌駕するに足るだけの十分な効用がある」と、主張しています。

Stephen G. Gilles, On Determining Negligence: hand Formula Balancing, The Reasonable Person Standard, and the Jury, 54 VAND. L. REV. 813, 829 (2001).

そこで、無過失責任にすればPLな場合にも全ての事故費用が剔、の生産価格に反映され[て高額にな]るから[人々の需要が低下しこれにより生産量も低下するので]、延いては剔、のactivity-levelへの抑制が働く結果、最適な生産量に抑制されるはずです。伝統的・具体的に無過失責任が課されて来た以下のultrahazardous activitiesのような場合が、参考になります。 --- これが、いわゆるunilateral risks(一方的な危険)の場合だと考えられるでしょう。

超危険な諸活動(ultrahazardous activities)の概念を通じ、不法行為法は、行為者が注意を払っても実現可能な程度には回避できない高レベルな危険を伴う諸活動に対して、厳格[無過失]責任を課すのです。野生動物による傷害に対する厳格責任がその例です。もし私の隣人が一匹の虎のペットを飼っていた場合に、私には(合理的なコストでは)自身を守るためにほとんど何もできないのです。 ….  単に隣人が虎を飼わないことが、最も有効性の高い予防かもしれません。すなわち、活動レベルでの変化こそが最も効果的な予防になるのです。  ….

   超危険な諸活動に対する厳格責任のもう一つの分野は、爆発物による爆発です。建設会社が如何に注意深くても、[爆発物を使えば不可避的に]事故が起こります。そして建設は何処でも行われますから、そのような事故を極少化する最適な方法は、被害者となる可能性のある者達がその活動を変更することである蓋然性は低いのです。[むしろ]最適な方法は、[建設]会社の方がもっと危険性の少ない破壊の代替方法に変更することかもしれません。そして厳格責任は、そのような代替方法[への変更]を検討させる誘因を作出するのです。

Id. at 178(訳は評者).

しかし以下のように、過失責任はπ側のactivity-levelには影響を与えないので、逆に非効率になる場合があり、その場合は過失責任が望ましいのです。 --- bilateral risks[3]

[鉄道(凵jからの火花で隣接農家(π)の収穫物が消失する期待事故費用PxL)を$150と仮定して、更に…]

たとえば農夫の作物に対する損害の鉄道会社による防止費用の方が、たとえその防止費用が注意レベルのものであれ活動レベルのものであれ、作物の期待事故費用である150ドルよりも大きいと仮定してみて下さい。そのために、鉄道会社は何も[防止策を]しないことになるのですが、農夫は100ドルの費用で耐火性の作物に変更することにより損失を防止できると仮定してみて下さい。厳格責任のルールの下では、 Suppose that the cost [i.e., ’s B=Burden] to the railroad of preventing damage to the farmer’s crops, whether by more care or less activity, is greater than $150, the expected loss, so that the railroad will do nothing, but that the farmer could prevent the loss by switching to a fire-resistant crop at a cost of $100  [i.e., ?’s B=Burden].   Under a rule of strict liability, he will have no incentive to do so, because … the railroad will have to pay for the damage.   But under a regime of negligence liability, since the railroad will not be liable for the damage, the farmer will switch to the fire-resistant crop, a switch that will now give him an expected gain of $50.   Thus, strict liability … discourages [activity-level changes] by potential victims, while negligence liability encourages activity-level changes by potential victims ….

Id. at 177.

製造上の欠陥は、ultrahazardous activitiesに似ています(すなわちπ側のcare-level / activity-levelでは避けられない危険であって、剔、のactivity-level於ける抑制が望まれる)。

[W]here … --- a soft-drink bottle with mouse parts in it, for example ---- the manufacturer had taken optimal hygienic[4] measures, and the defective item was a one in a million product failure that could not be prevented at a cost less than the (tiny) expected accident cost.   The manufacturer would nevertheless be liable.   This is genuine strict liability and can be explained by reference to the discussion in the previous section of activity-level.   There is nothing the consumer can do at reasonable cost to prevent the one in a million products failure.   ….   [The accident cost borne by the manufacturer through strict liability] will lead him to increase his price [];   and although the increase will be small [], it will lead some consumers to substitute other, and probably safer [], products.   The activity consisting of the manufacture and sale of this soft drink brand will diminish slightly and with it the number of product accidents.  

Id. at 181 (emphasis added)(脚注は付加).

しかし、製造上の欠陥以外の製品事故に於いては、剔、の方が効果的に事故防止できるとは限らず、π側の方が効率的に事故防止が可能な場合も多く、そこでは無過失責任が適するとは限りません。

[P]roducers are not always the cheapest cost avoiders.   Sometimes, consumers are able to bear some product-related risks more cheaply than producers, and in such cases, it may be better to shift these risks to them.  

Richard C. Ausness, When Warning Alone Won’t Do: A Reply to Professor Phillips, 26 N. Ky. L. Rev. 627 (1999)(emphasis added).

 

なお、π側のactivity-levelor care-levelによる事故防止の方が一見すると効率的なように思えるのに凾ェ有責とされる以下の場合の理由は、やはり凾ェ安価に事故回避可能だと考えられたからである、と指摘されています。

This is the doctrine of foreseeable misuse …   A manufacturer sells a machine whose moving parts are not shielded, and a worker is injured when he sticks his hand in them.   He was careless in doing so, the danger being apparent, and yet the manufacturer could have shielded the moving parts, and thus prevented the accident, at a trivial cost.   In many states, he would be held liable to the worker.

ポズナー, 「法の経済的分析」, infra, at 182 (emphasis added).


[1] “Strict liability means that someone who causes an accident is liable for the victim’s damages even if the injury could not have been avoided by the exercise of due care (PL might be $150 and B $300).[]”   ポズナー, 「法の経済的分析」, infra, at 175.

[2] なお、どこまでがcare-levelで、どこからがactivity-levelなのかという分岐点を特定するのは難しく、両者の違いは結局は程度の違いに過ぎないとも考えられる。

[3] ポスナー判事の以下の記述が理解に役立つであろう。

"[M]ost tort situations are collisions between two activities, such as driving and walking, and there is no presumption, such as warrant a general rule of strict liability, that the injurer was in a better position than the victim to have prevented the collision.”

ポズナー, 「法の経済的分析」,infra, at 180.

[4] 「衛生管理上の」

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製造物責任法的な解剖学:無過失責任の根拠の欠如 --- 危険責任、報償責任、損失の分散、信頼責任。

無過失責任を肯定する理由として、挙げられていた「報償責任」と「損失の分散」は製造上の欠陥には当てはまっても、典型的(clasicc)な設計欠陥には以下のように該当しません。従って、無過失責任を典型的な設計欠陥に当てはめる理論的根拠もありません。

危険責任 --- 危険を作り出した者こそが責任を負うべしという思想。しかし、多くの製品事故の危険は、製造業者だけが作り出した訳ではなく、「先の行為者」たるユーザーと、「後の行為者」たる製造業者等との間の、自律的行為の接点で生じています。更に多くの場合、ユーザーこそが回避義務を履行せずに危険を作り出しているのです。

報償責任 --- 利益を得ている企業が責任を負担すべしという思想。しかし、ユーザーも製品を使用することで「効用」を享受しているのだから、企業ばかりを責めるのは「平等」の倫理や「公平」の倫理に反します。

損失の分散 --- 無過失責任で負担する損害賠償等のコストを製品価格に広く薄く転嫁すれば良いという思想。製造上の欠陥に於いてならば通常○○万個に一件の割合でしか発生しない程度の蓋然性に於ける損失なので当てはまっても、それ以外の場合に迄拡大適用された途端に、そもそも訴訟に頼って取引費用が掛かり過ぎる非効率な不法行為責任の欠点が露呈してしまいます。(コミュニタリアニズムの倫理・価値から受傷者を広く救済したいのならば社会保障制度や賠償保険制度をユーザー自らが付保した方が効率的。)

最安価事故回避者 --- 最安価に事故を回避できる者(cheapest cost avoider)にこそ責任を課すことが、事故費用と事故防止費用[と運用費用?]の総和を極小化するのにふさわしいとするカラブレイジの理論。古典的な製造上の欠陥では確かに、外れ玉をユーザー側が発見して事故回避することは難しいと言ます(前掲ポズナー「法の経済的分析」 at 181からの引用参照 )。しかし、通常の製品事故ではユーザーこそが最安価事故回避者である場合も多いので、当てはまりません(Id. at 182参照)。

自己のコントロールにある者こそ有責 --- 製造上の欠陥については事故原因が凾フコントロール下にあるという論理もある程度肯定され得ますが(もっとも他原因を排除し切れないのではないかという問題は残りますが)、その他の多くの製品事故は、πのコントロール下で生じるので、この無過失責任肯定の論拠も必ずしも当てはまりません。

なお、「信頼責任」については、製造上の欠陥であれば、πがまさか自分の製品だけが他の同じ図面の製品から外れて貧乏くじを引かされたことから信頼を裏切られたと言えるけれども、設計欠陥や指示警告欠陥の場合は、ケース・バイ・ケースに分析して本当に製品が信頼を裏切っているのか、あるいは、ユーザーこそが最安価事故回避者だったのか等の判断をしなければ、一概に常に信頼責任があると断定するのは乱暴過ぎます。

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無過失責任の不条理: 法と文学的な解剖学 (平野晋説)

無過失責任は、不条理です。非難可能性が無いのに責任を課すこと程に、この世の中に不条理なことはありません。この平野晋説を言い換えれば、例えばリチャードA.ポズナーが、フランツ・カフカの『審判』に於ける主人公K.の境遇を以下に表すようなものになるでしょう。

ある朝、目覚めて特定されない訴追理由に因って逮捕されたことに気づき、更に、何の訴追理由なのかを発見することも不可能であることに気づいたことを想像してみたまえ。 しかも、如何なる法の違反も思い浮かばないのである。 これは人生の不条理(life's unfairness)説得力のある象徴であり、厳格[無過失]責任  -- すなわち、非難可能ではない行為の結果に対する法的責任 --  であって、十分に酷なもの(bad enough)なのだ。 ヨーゼフ・K.は、自らの行為の非難可能性とは無関係に罰せられるのだ。 彼は何もしていないのである。

RICHARD A. POSNER, LAW AND LITERATURE 134 (revised and enlarged ed. 1998) (emphasis added) (訳は評者).

 ところで、何故、不条理だと感じるのでしょうか。

私見では、無過失責任は倫理観に反するからこそ、納得できないのではないでしょうか。

特に、アリストテレスのcorrective justiceの倫理観に反するのではないでしょうか。

もし無過失責任論者がcorrective justiceを軽視してcompensationを重視すると言うならば、それは非効率ゆえに否定されるべきです。なぜならば、不法行為制度よりも社会保障制度の方が運用費用を抑えて更に効率的にcompensationの目的を達成できるからです。

社会保障制度を用いずに、わざわざ高い運用費用を掛けて黒白はっきりさせるという不法行為法制度の仕組みを考えれば、その主な理由・目的はcompensationよりも、むしろ、corrective justiceの実現にこそ在ると解釈した方が、説得力があるはずです。

だとすれば、やはり、faultに基準を置き、πの権利を侵害して剋ゥ身の利得を得た者のみをcorrective justiceに基づき有責とすべきではないでしょうか。

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無過失責任が肯定される諸類型

無過失責任(米国では「厳格責任」と呼ばれる)が認められる主な類型は以下の通り。

  1. 異常なまでに危険な活動 (abnormally dangerous activities)
  2. 使用者の代理責任 (vicarious liability)
  3. 製造上の欠陥 (manufacturing defects)
  4. 労働災害 (workers' compensation)

出典: James A. Henderson, Jr., Why Negligence Domainates Tort, 50 UCLA L. REV. 377, 399-400 (2002) (過失責任こそが基本であるという故Gary Schwartz教授の説を支持しつつ).

出典: Kenneth W. Simons, The Hand Formula in the Draft Restatement (Third) of Torts: Encompassing Fairness As Effficiency Value, 54 VAD. L. REV. 901, 905 (2001) (emphasis added).

過失責任制度は...、特殊な状況に於ける厳格責任の場合を除き、回避するよりも生じさせたままの方が安価であるような残余事故損失(residual accident losses)に対する保険者として商業的な企業体を機能させないことにより、...付保不可能な問題を回避している。過失の下では、企業関連事故の被害者が残余事故損失の保険に対して主に責任を負担する者となる。 ...。 ここで指摘していることは、裁判所が課す厳格エンタープライズ責任に比べれば、損害保険の方が機能するということなのである。

出典:  Henderson, Negligence Domainates Tort, infra at ____.

被害者には危害を最少限化する力がほとんどない多くの場合を考えてみたまえ。そのような状況に於いては、功利主義的分析はしばしば厳格責任を支持するであろう。しかし裁判所は、この分析が証明するよりもはるかに稀にしか厳格責任を課していない。このように裁判所が厳格責任よりもフォールとを好むことは、完全な帰結主義のアプローチではアメリカ不法行為法に於ける敷衍的役割を十分説明できないことの更なる指摘である。

出典: Kenneth W. Simons, The Hand Formula, infra, at 913.

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[判例法にて伝統的に肯定されて来た]無過失責任も実はfaultに基くものであると解釈可能?!

オックスフォード大学のBirks教授は、以下のような指摘しています。  説得力のある指摘ではないでしょうか。

厳格[無過失]責任の引き金を引く事実は、faultの存在を法上推定(conclusibe presumption of fault)することによって、厳格責任となるよう理解され得る場合がしばしばあります。 それならば厳格責任というのは、たとえ実際には厳格[無過失]であったとしても、やはりfaultに基礎を置くと認識されるものなのです。...。
...。 非難可能性(blameworthiness)の基準が、救済義務[が凾ノ課される]説明になるのです。

Birks, infra, at 43 (訳は評者)(emphasis added).

以下は私見ですが、製造物責任法(第三次リステイトメント)に於いても、無過失責任を認容する製造上の欠陥や、πの立証責任を大幅に軽減させている誤作動の法理(the malfunction doctrine)や食品への異物混入等は、無過失責任とは云え、その類型から推して常識的に、凾フfaultが認容されるべき類型であり、従って無過失責任とは云えその実はfaultの概念(倫理哲学)に依拠していると言えるのではないでしょうか。

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π側も便益を得ていたり、帰責がある場合には、無過失責任が適用されないという判例法と矯正的正義の一致

UCバークレーの法学教授Gordleyは、πにも損害に対して帰責性があったり、危険な活動から便益を得ていたような場合には、判例上、無過失責任が課されず、それは、矯正的正義にも適っていると、以下のように指摘しています。

[凾ノよる]爆発音がπのミンクを驚かせた為にミンクが互いに殺しあってしまっても、凾ノは責任が課されませんでした【評者注*1】。アリストテレスの[矯正的正義の]観点から、このような厳格[無過失]責任の例外は、完全に意味を成すものです。損害はπが異常なまでに繊細な活動を追行するという決定に因るものであることは、凾ェ異常なまでに危険な活動を追行しようと決定したことに因るのと、同じなのですから。
 更に、π自身がその[凾フ異常なまでの危険な]活動に参加していた場合にも、厳格責任は課されて来ませんでした。たとえば、航空会社は航空機がクラッシュした際に地上に生ぜしめた損害に対しては厳格責任を負いますけれども、空中で衝突した際には乗客に対する損害について厳格責任を負いません。野生動物の所有者は通常は厳格責任とされるのに、動物園の入園者がキリンにたたかれても過失の立証がある場合にのみ動物園は責任を有します。国立公園も入園者が熊に攻撃されても責任を課されませんでした。ここでもやはり、厳格責任の例外はアリストテレス的に意味を成します。これらのケースでは、もはや、凾ェ自身の便益を得るためにπに危険を課したとは言えないのです。πと凾ヘ共通の便益を追行するために、該危険を作出した活動に参画したのです。更にその活動は、そこからπが、該危険に晒される程度と大まかに比例した便益を享受するものなのです...。

Gordley, infra, at 156 & nn. 121-124.

【評者注*1 これはロースクールのケースブックに出て来る有名な判例です。Madsen v. East Jordan Irrigation Co., 125 P.2d 794 (Utah 1942).

以下は私見ですが、製造物責任に於いて、π側の誤使用や、πが効用を享受していたにもかかわらず、凾ノばかり厳しい責任を課す風潮に対して、上の指摘は倫理哲学的な視点の回帰の必要性を訴える際の手が掛かりになると思うのですが、如何でしょうか。  --- たとえば、安全装置を取り外したπに対する凾フ責任や、ラスト・クリア・チャンス法理や、コーヒー訴訟や肥満訴訟、隣人訴訟、等々です。

そのような問題のある訴訟に多くの人々が問題だと思う(i.e.,納得できない)理由は、分析して行くと、アリストテレス的な正義観に反するからこそ問題だと感じるのではないでしょうか。

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過失責任も実は"無"過失的?∵客観基準のreasonable person std.は達成不可能な高い基準)

やはりオックスフォード大学のBirks教授は、以下のような指摘しています。  これも説得力のある指摘ではないでしょうか。

[過失責任の]客観基準は凾フ実際の能力を無視しています。更に、現実世界に於いては、リーズナブル・マンであってさえも、ミスをしょっちゅう犯すし、それでもリーズナブルで注意深いという評判を失うことはないという事実を、客観基準は考慮に入れません。 ...。
 すなわち、結局は、コモン・ローの過失の現実(the reality of the common law negligence)は、効果として、悪い慣行(bad practice)に対し厳格[無過失]責任を課しているのです...。

Birks, infra, at 45 (訳は評者)(emphasis added).

更にオックスフォード大学のHonore教授も、以下のように同様な指摘をしています。

...不法行為法に於いて求められる注意と技能の程度は厳しいものだとしても、驚くには当たりません。過失基準はほとんどいつも、客観的なものなのです。ですから凾ヘ、たとえ、急ぎ過ぎていたり、不器用過ぎだったり、あるいは愚か過ぎだったりした為にfault[を侵すこと]が止むを得なかった(could not help)としても、リーズナブル・パーソンならば侵さなかったであろうfaultについては責任を課され得るのです。過失責任は名目(nominally)上はfaultについての責任ですけれども、実質的に凾ヘ厳格[無過失]責任に服するのです

Honore, infra, at 89 (訳は評者)(emphasis added).

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無過失責任の死?!

無過失責任主義の衰退現象は法律先進国アメリカでは既に多く指摘されているところですが、興味深い指摘をいくつか紹介してみましょう。

厳格[無過失]製造物責任法の正式な死亡通知が発行されるまでには長い時間が掛かったけれども、...しかし、それにもかかわらず厳格[無過失]製造物責任の核は爆発し去ったのである。

オーエン、「欠陥性を言い直す」, infra, at 786 (訳は評者).

厳格責任理論は一時、多くの不法行為法に適しかつ正当化されたのであるけれども、世界の視点の変化と法的な判断の変化に因ってもはやそうではなくなり、厳格責任はその座を落ち度の理念(fault ideal)に譲り渡したのである。厳格責任法理はもはや不法行為法の全てに対する引力的な力を有してはないけれども、例えば労働災害とうのような局部的な領域に於いてならばまだ引力的な力を行使することができるかもしれない。

Jonathan H. Blavin, & I. Glenn Cohen, Note, Gore, Gibson, and Goldsmith: The Evolution of Internet Metaphors in Law and Commentary, 16 HARV. J. L. & TECH. 265, 285 (2002) (法に於けるメタファーの変化はその意味を全て失う訳ではなく局部的な意味は生き残る、という主張の文脈に於ける指摘)(訳は評者、斜体はオリジナル、下線は付加).

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過失責任

"Negligence liability, moreover, is associated with strong fairness values."[更に過失責任は強い公正さの価値観に関係している。]

出典: Gary T. Schwartz, The Beginning and the Possible Rise of Modern American Tort Law, 26 GA. L. REV. 601、607 (1992).

[過失に於けるreasonable person std.の]基準では、行為者が理に適った人ならばしたであろう行為を怠らなければならない点を強調することにより、faultを強調している 

出典: Kenneth W. Simons, The Hand Formula, infra, at 931(訳は評者)(強調は付加).

『不法行為法第三次リステイトメント:物理的危害に対する賠償責任(基本原則)』に集大成した...Gary Schwartzの学問の一つの主要なテーマは、厳格責任ではなく過失こそがアメリカ不法行為法の核心的原則である、ということなのだ。
過失は[無過失責任よりも]更に広範囲なスケールで本格的に機能する。その理由は、過失が「不法行為者に支払わせる」("let the wrongdoer pay")という、本能的に訴えて来る倫理に依拠するものだからであり、かつ、...損失をコントロールする行為者にこそ残余事故損失へ付保する責任を課すからなのだ。

出典: Henderson, Negligence dominate[s] Torts, infra, at 404, 405 (訳は評者) (強調は付加).

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過失責任基準は何故単純では無いのか?

過失責任法が非常に一般的過ぎるためである。、...主に契約法と物権法で認識された私的権利以外の残余の膨大なカテゴリーを含むものだからである。
人が何をすべきかを決定するためには、多様な価値観に関する複雑な判断をする必要があるから、過失判断をする際に、広範囲な諸価値を検討しなければならず、かつ、そのような分析を構築する最適な方法について確実性を有していないかもしれないことは、驚くことではない。 ...。 [何が過失責任かという]規範的問題を解決するための単純な演繹的手続は存在しないのである。

出典: Simons, The Hand Formula, infa, at 928-29 (訳は評者)(強調は付加) .

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経済効率性に基づく過失論

[経済効率性に基づけば、過失基準とは] 富の最大限化(wealth maximization)、又は、功利主義的選好の充足(utilitarian preference-satisfaction)を意味する。

出典: Simons, The Hand Formula, infa, at 908 (訳は評者) .

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参考文献

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