「ハンドの公式」の研究

〜典型的な設計欠陥(classic design defects)に於ける欠陥基準の源泉となったハンド・フォーミュラの意味は何か?〜

Hand Formula

中央大学 教授 (総合政策学部)
米国弁護士 (NY州)
平野 晋

関連ページは、「現代製造物責任法の研究」「現代不法行為法理論」「フォード・ピント事件の真相」「ロボットPL」参照。

Susumu Hirano
Professor of Law, Faculty of Policy Studies, Chuo University (Tokyo, JAPAN)
Member of the New York State Bar (The United States of America)
Copyright (c) 2005 by Susumu Hirano.   All rights reserved. 但し作成者(平野晋)の氏名&出典を明示して使用することは許諾します。 もっとも何時にても作成者の裁量によって許諾を撤回することができます。

当ページ/サイトの利用条件はココをクリック
Terms and Conditions for the use of this Page or Site.

当サイトは「ハンドの公式」(Hand Formula)、「リーズナブル・パーソン・スタンダード」(reasonable persone std.)、「過失責任」(negiligence)、等の研究および教育用サイトです。

First Up-loaded on Mar. 2005.

【未校閲版】without proof

主要参考文献

<ハンド・フォーミュラについて>

<その他>

目次

ハンドの公式」とは何か?

「ハンド・フォーミュラ」を示した判例
B,P,L,の各要素に正確な数値を入れるのは困難だという批判に対するハンド判事の考え

「ハンド・フォーミュラ」を解釈する諸理論

「法と経済学」的な解釈 by リチャードA.ポズナー教授(現第七巡回区判事)

「L」の評価について: 安全利益(身体・生命)と活動の自由利益とは等価値か?

「P」の評価について: 

大衆は過大評価しがち。
very very lowなPの場合と、単にlowなPの場合

 WTP<WTAな場合には過失の有無が変わってく来るという指摘

「ハンドの公式」を巡る歴史

Henry Terryによるcalculus of risk論文
Bohlenによる『不法行為法(第一次)リステイトメント』起草
『不法行為法(第一次)リステイトメント』 291条〜293条ブラックレター部
第一次リステイトメントは凾フ行為の「社会的価値」を考慮に入れて、行為レベル≠ナ凾フ行為を禁じることなく、注意レベル≠フ責任を問うている。
第一次リステイトメントの考慮要素である「社会的評価」は、community valuationsを参照して客観的に決せられ、他人の利益への平等な尊重が求められる。
起草者Bohlenは凾フ行為の効用を考慮する重要性を指摘していた!
categorical liabilityとTerry/Bohlenフォーミュラの妥当性 : 平野晋説  熱いコーヒーは欠陥か?
最近の解釈
Green論文
Gilles論文
Simons論文

『不法行為法(第二次)リステイトメント』

『不法行為法(第三次)リステイトメント』(検討草稿:Discussion Draft

First Up-loaded on Mar. 2005.

 

「ハンドの公式」とは何か?

以下の公式で表されるのが、「ハンドの公式」Hand Formulaです。

B < PxL

B= Burden(事故回避費用、負担),

P= Probabilityまたは%(事故発生の蓋然性、頻度),

L= Loss, Injuries, あるはgravity of injuries(事故一件当たりの損害額、損害の大きさ)
@注意義務を決する際に関連性のある変数(BとPL)を特定したこと、および、
Aその変数はトレードオフな関係にあることを明らかにしたこと。

(*) See, e.g., David G. Owen, Inherent Product Hazards, 93 KY. L. J. 377 (2004).

First Up-loaded on Mar. 2005.

目次に戻る。

「ハンド・フォーミュラ」を示した判例

ハンド判事が上記「ハンド・フォーミュラ」を表したことで有名な判例は、以下です。  アメリカのロースクールに於ける「不法行為法」(torts)科目のテキスト(case book)のほとんどにて紹介されるほど有名な判例です。

[Th]e owner's duty, as in other similar situations, to provide against resulting injuries is a function of three variables: (1) The probability that she will break away; (2) the gravity of the resulting injury, if she does; (3) the burden of adequate precautions.   Possibly it serves to bring this notion into relief to state it in algebraic terms: if the probability be called P; the injury, L; and the burden, B; liability depends upon whether B is less than L multiplied by P: i.e., whether B less than PL.   Applied to the situation at bar, the likelihood that a barge will break from her fasts and the damage she will do, vary with the place and time; for example, if a storm threatens, the danger is greater; so it is, if she is in a crowded harbor where moored barges are constantly being shifted about.

United States v. Carroll Towing Co., 159 F.2d 169, 173 (2nd Cir. 1947) (emphasis added).

「ハンド・フォーミュラ」については、以下の判例もハンド判事が言及しているので参考になります。

Gunnarson v. Robert Jacob, Inc., 94 F.2d 170, 172 (2d Cir. 1938).

Conway v. O'Brien, 111 F.2d 611, 612 (2d Cir. 1940).

 

First Up-loaded on Mar. 2005.

目次に戻る。

B,P,L,の各要素に正確な数値を入れるのは困難だという批判に対するハンド判事の考え

しばしば見かけるこの批判に対しては、既にハンド判事自身、正確な数値を入れることの困難性を法廷意見に於いて以下のように指摘しています。

The injuries are always a variable ... which do not admit of even approximate ascertainment; and, although probability might theoretically be estimated, if any statistics were available, they never are; and, besides, probability varies with the severity of the injuries.  It follows that all such attempts are illusory, and, if serviceable at all, are so only to center attention upon which one of the factors may be determinative in any given situation.

Moisan v. Loftus, 178 F.2d 148, 149 (2d Cir. 1949)(emphasis added) cited in Keating, infra, at 331..

すなわち上の最後のフレーズで示唆されているように、重要なのは数値ではなく、むしろ考え方、すなわち、@BPLの諸要素が注意義務を決する要素であることと、ABとPLが相互にトレードオフな関係にあることを明らかにしたこと---前掲)にあるのではないでしょうか。

First Up-loaded on Nov. 2005.

目次に戻る。

「ハンド・フォーミュラ」を解釈する諸理論

Gilles教授は、「ハンド・フォーミュラ」を解釈する諸法理を、以下のように5分類しています。  参考までに、紹介しておきましょう。  

1.富の極大化(to maximize wealthとみる見解。 金銭的な文脈で、いくらまでなら[事故予防費用を]支払う気があるのか、というアプローチ。 Posner & Landesによる。
2.社会福祉の極大化(to maximize social welfareとみる見解。  効用の文脈で、功利主義的(utilitarian)なアプローチ。 
3.個人の全体的な利益を極限化する(to maximize the overall well-being of individuals)とみる見解。 行動の自由とセキュリティとの衡量の文脈で、社会契約(social contract)的アプローチ。 Rawlsian的な社会協調の公正な説明を中心としている。  
4.平等主義的アプローチ(The egalitarian approach)。 平等な資源の平等主義的な目的に資するような解釈で、Ronald Dworkinが『LAW'S EMPIRE』にて提唱。
5.美徳(The virtue-based)に基づくアプローチ。  ハンド・フォーミュラを上手に取捨選択しつつ、より害悪の少ない道を本能的に選択する際に同フォーミュラの諸要素を考慮しようという解釈。

See Gilles, supra, at 818-20.

ハンド・フォーミュラに関しポズナー判事はB,P,Lの諸要素の情報が金銭化(manetized)され挿入可能であると前提しているけれども、実際には金銭化が困難等ゆえに、Gilles教授はポズナー流の「富の極大化(wealth mazmizing)」的な解釈が必ずしも当てはまらないと指摘しています。

Id. at 853.

Keating教授も、B、P、Lの各要素のウエート付に経済学的基準を当てはめた点に誤りがあると主張しています。

See Keating, infra, at 330.   

更にGilles教授は、第一次リステイトメントもポズナー流の「富の極大化(wealth maximizing)」を目指したものではなく、むしろ、「福祉の極大化(welfare maximizing)」を目指したものだと解される、と指摘しています。  その理由は、第一次リステイトメントが他人の利益を尊重して行動すべきであるという広く支持された倫理的概念を表明し、かつ補強するからだということです。 興味深い指摘ではないでしょうか。

See Gilles, supra, at 842.

目次に戻る。

「法と経済学」的な解釈 by リチャードA.ポズナー教授(判事)

「法と経済学」の旗手、ポズナー判事が、以下の論文に於いて、ハンドの定式が経済学的分析を示した判例だと解釈して有名です。

Richard A. Posner, A Theory of Negligence, 1 J. LEGAL STUD. 29 (1972).

 

First Up-loaded on Mar. 2005.

目次に戻る。

「L」の評価: 安全利益(身体・生命)と、活動の自由利益とは、等価値か?

「L(magunitudegravidy)」の要素の評価に関して、法と経済学(wealth maximizing)ではBと、身体生命(life and limb)に関する利益とを均等で(proportional)であると捉えている点が、批判されているようです。

すなわち、倫理哲学的な立場からは、安全利益の方が活動の自由=経済利益よりも、相当程度(substantiallyに)上回るはずであり、そのような"disproportional test"をハンド・フォーミュラ的に示すと、以下のようになるという指摘があります。

CP(cost of precaution)  PM(___) 

""は単なる""よりも相当程度(substantially)上回ることを示します。

See, Keating, infra, at 353-54. 

しかし私見では、という概念を用いずとも、B<PLの式のママでも「L」自体の評価に於いて身体生命の価値を高く値付すれば、意味が同じになる気がしますが、やはり式に表す際に身体生命の価値が「相当程度上回る」点をという概念をわざわざ入れることで明確に表したいということかもしれません。。

First Up-loaded on Nov. 2005.

目次に戻る。

「P」の評価について

大衆は蓋然性(P=Probability)を過大評価しがちである。

大衆の危険意識のページを参照下さい。

Keating教授も以下のように指摘しています。

Human beings are notoriouslly poor at the kind of probabilisic reasoning that is necessary for rationally evaluating the low probability, high magnitude harms that are the daily bread of negligence law.

Keating, infra, at 351 (emphasis added). 

目次に戻る。

First Up-loaded on Nov. 2005.

very very lowなPの場合と、単にlowなPの場合

Keating教授は、法と経済学においてだけではなく、倫理哲学(社会契約説)の見地に於いても、蓋然性の低い危険には防止義務が課されないとまずは指摘しています。すなわち発生蓋然性がvery very lowな場合には凾ノ防止義務がなく、その理由は、そのようなvery very lowな危険に対しては、活動の自由を奪う程には値しないとしています。通常の活動を通常に行えば、それに伴う基本的な危険を人々が相互に与え合うものゆえに、責任を課さないのだという訳です。

See, Keating, infra, at 351. 以下のように指摘しています。

Each activity creates some risk of accidental injury, however small in probability, and trying to reduce that risk below the rough level of characteristic of ordinary activities is likely to be a game not worth the candle. ... [R]isks of this kind can only be eliminated by ceasing the activity altogether.

Id. (italics is original).

なお私見ですが、very-very-low probabilityな場合とは、すなわち、そもそも凾ェ注意義務を負うzone of dangerの範囲外にあるというPalsgraf事件判決のような見方も可能であるばかりか、同様にproximate causeの範囲外であるという分類分けも可能な気がします。

___________.

ところで、very very lowな程ではなく、単にlowな場合には、危険に晒される利益が身体生命(すなわちL)であればその価値が多大であるために、経済利益と安全利益を等価とした場合には注意義務が無くても、倫理哲学(社会契約説)の見地からは注意義務が肯定される場合があると分析しています。

See, Keating, supra, at 352-53. 

目次に戻る。

First Up-loaded on Nov. 2005.

WTP<WTAな場合には過失の有無が変わって来るという指摘

英国のケースBolton v. Stone, [1950] 1 K.B. 201 (C.A.); Bolton v. Stone, [1951] 1 A.C. 850を用いながら、Hofman & Spitzerが概ね以下のように指摘しています。

刄Nリケット・クラブから柵を越えて飛んできたボールでπが受傷。ボールはめったに柵を越えず、柵を高くして防止するためのコストを$100であると仮定。更に、πのWTPは$50に過ぎないけれども、WTAは$150になると仮定する。
もしWTPを基準として裁判所が採用すれば、[PxL=$50に対してB=$100となるからB>PLとなり] 凾ノは責任無しになる。
しかしもし、WTAを基準として裁判所が採用すれば、[PxL=$150に対してB=$100となるからB<PLとなり] 凾ノ責任アリとなる。

[平野] つまりπにそもそも権利があるとして出発するのか(その際はWTAが基準になる)、逆に、凾ノ権利があるとして出発するか(WTPが基準となる)か次第で、過失の有無が異なってしまいます。 したがって、どちらに権利があるかを決める公式としてB<PLが使えないことになります。なぜなら、先に権利がどちらにあるかを決めなければ、公式の結果が異なってしまうからです。Hofman & Spitzerが「circular」(循環理論)に陥っている、と指摘しているのは、こういう意味だと解釈できます。

See Hofman & Spitzer, supra, at 106.

この循環を脱するためには、そもそも現状[の利益](たとえば住民による「きれいな空気の権利」)を享受していた者がそれに対して既得権を有していると考えていけば解決されるという指摘も、Hofman & Spitzerは紹介しています。

See id. at 107.

しかしこの説に対し、そもそも何故、現状の利益を享受していた者に対して既得権を付与するという判断が正当化されるのかという理由・根拠が薄弱である、とHofman & Spitzerは批判しています。すなわち、現状に対しては相反する主張が双方に存在するのであるから、享受している側の主張のみの肩を持つことが正当化される理由は存在しないという訳です。

See id. at 108.

目次に戻る。

First Up-loaded on Nov. 2005.

「ハンドの定式」を巡る歴史

1947年の「キャロール・トーイング」事件判決に於いてハンド・フォーミュラが表されて「危険効用基準」やPL法上の欠陥基準に影響を与えた歴史の概観は、以下の通りです。

前掲Green教授によれば、ハンド判事は後掲ボーレン教授(第一次リステイトメント起草者)と親交もあり、後者起案の第一次リステイトメント草稿が後のハンド判事の諸判例とハンド・フォーミュラに影響を与えたということです。  Green, supra, at 1629.

1915 年  Henry Terryによる後掲「Negligence」論文。--- "calculus of risk"概念の登場。

1934 年  Bohlenによる『不法行為法第一次リステイトメント』起草/ALIでの採択。 --- リステイトメントによる「危効用基準」の採用。

1938 年  Learned Hand判事による前掲「グナーソン」事件判決。

1940 年 Learned Hand判事による前掲「コンウエイ」事件判決。

1947 年  Learned Hand判事による前掲「キャロール・トーイング」事件判決。 --- ハンド・フォーミュラの完成。

1965 年  William L. Prosserによる『不法行為法第二次リステイトメント』起草。 --- 第一次リステの踏襲。

1972 年  Richard A. Posnerによる前掲「A Theory of Negligence」論文。 --- ハンド・フォーミュラが「富の極大化」(Wealth Maximization)、「結果主義」(Consequentialists)思想を示すという解釈の出現。

1973 年  John Wadeによる後掲「On the Nature of Strict Tort Liability for Products」論文。 --- 設計欠陥基準に関する「危険効用基準」(Risk-Utility Test)、いわゆる「ウェード法務研究科長の7要素」(Dean Wade's 7 Factors)の出現。

1998 年  James A. Henderson & Arron Twerskiが起草した『不法行為法第三次リステイトメント:製造物責任』がALIに於いて採択
。 --- 設計欠陥と指示警告欠陥基準として、危険効用基準を更に機能化させて「ミクロ衡量」(Micro balancing)を明確化し、RADを(Reasonable Alternative Design)用いつつも、その不採用が原告以外のステークホールダー達にとっても不合理といえるか否かをも欠陥判断として検討することを要求する「dual requirementを採用。

xxxx 年  Gary Schwartzが『不法行為法第三次リステイトメント:一般原則』(検討草稿:Discussion Draft)を起草。

目次に戻る。

1915年 Henry Terryによるcalculus of risk論文

「危険の計量」(calculus of risk)に関する有名な以下の論文を1915年に発表。
Henry Terry, Negligence, 29 HARV. L. REV. 40 (1915).
ハンド判事が3つの要素で式を表したのと異なり、テリーは以下の5つの要素で表していました。
ハンド・フォーミュラの右辺[P x L]に相当するのは、@危害の可能性(the chance of harm)、A危害されたものの価値(the value of what will be harmed)
左辺(B for Burden)に相当するのは、B行為者の目的の価値(the value of the actor's goal)、Cその目的達成に於ける行為者の行為の効用(the utility of the actor's conduct in achieving that goal)、及び、Dその目的達成のための行為者の行為の必要性(the necessity of the actor's conduct to achive that goal)。  

Gilles, supra, at 826.

目次に戻る。

1934年 Bohlenによる『不法行為法(第一次)リステイトメント』起草

上記Terry論文に大きく依拠しつつ、Bohlenが第一次リステイトメントを起草しALIにて採択。  Gilles, supra, at 826.

不法行為法(第一次)リステイトメント

ハンド・フォーミュラがハンド判事の前掲「グナーソン」判決によって提示されるよりも四年も前の、1934年にパブリシュされた、第一次リステイトメントです。(下線は評者が付加)

以下291条〜293条の条文(i.e., ブラックレター部)が表すように、activity level」での凾フ行為の価値を問題にしつつ衡量をしています。→ この点が、ハンド・フォーミュラと少し異なる部分です。 即ちハンド・フォーミュラでは凾フ行為の「activity level」での社会的な有用性等を問題にせず、単に「care level」に於ける費用と便益を衡量するだけで済むように単純化しています。 

ハンド・フォーミュラとの相違を表で表すと、以下のようになるでしょうか。See also Gilles, supra, at 826-28.

左辺 右辺
Terryの定式
1915
凾フ行為・効用の「社会的価値」
- the value of the actor's goal
- the chance of harm [= "P"]
-
the value of what will be harmed [= "L"]
- the utility of the actor's conduct in achieving that goal
-
the necessity of the actor's conduct to achive that goal
[以上の3要素はHand Formulaの"B"に近い。但し、この効用サイドにも「程度」と「蓋然性」という期待値の概念を取り入れている点がハンド・フォーミュラよりも精緻。]
第一次リステイトメント
1934
凾フ行為・効用の「社会的価値」
- §292 (a) the social value which the law attaches to the interest which is to be advanced or protected by the conduct [= Terry's "value of the actor's goal"] .
π側の「社会的利益」
- §293 (a) the social value which the law attaches to the interests which are imperiled.
- §292(b)the extent of the chance that this interest will be advanced or protected by the particular course of conduct [= Terry's "utility of the risk"].

- §292(c)
the extent of the chance that such interest can be adequately advanced or protected by another and less dangerous course of conduct [= Terry's "necessity of the risk"].
- §293 (b) the extent of the chance that the actor's conduct will cause an invasion of any interest [= "P"].

- §293 (c)  the extent of the harm likely to be caused to the interests imperiled [= "L"].

- §293 (d) the number of persons whose interests are likely to be invaded [= "L"].
ハンド・フォーミュラ
1947年
- Burden

(但し左欄のような「評価要素」(evaluative factor, value judgment)の概念はハンド・フォーミュラでは表されていない。)
- Probability
- Loss, or injuries


(但し「評価要素」(evaluative factor, value judgment)の概念はハンド・フォーミュラでは表されていない。)

§ 291. Unreasonableness; How Determined; Magnitude of Risk and Utility of the Conduct

この291条は、「危険効用基準」の採用を表しています。

(1) Where an act is one which a reasonable man would recognize as involving a risk of harm to another, the risk is unreasonable and the act is negligent if the risk is of such magnitude as to outweigh what the law regards as the utility of the act or of the particular manner in which it is done.  
(2) ....

§ 292. Factors Considered in Determining the Utility of the Actor's Conduct

この292条の条文は、凾ノよる行為の価値を問題にし、その価値を計る方法を示しています。

In determining what the law regards as the utility of the actor's conduct for the purpose of determining whether the actor is negligent, the following factors are important:
(a) the social value which the law attaches to the interest which is to be advanced or protected by the conduct,
(b) the extent of the chance that this interest will be advanced or protected by the particular course of conduct, and
(c) the extent of the chance that such interest can be adequately advanced or protected by another and less dangerous course of conduct.

§293.  Factors Considered in Determining the Magnitude of the Risk

In determining the magnitude of the risk for the purpose of determining whether the actor is negligent, the following factors are important:
(a) the social value which the law attaches to the interests which are imperiled;

(b) the extent of the chance that the actor's conduct will cause an invasion of any interest of the other or of one of a class of which the other is a member;

(c) the extent of the harm likely to be caused to the interests imperiled; and

(d) the number of persons whose interests are likely to be invaded if the risk takes effect in harm.

First Up-loaded on Mar. 2005.

目次に戻る。

第一次リステイトメントは凾フ行為の「社会的価値」を考慮に入れて、行為レベル≠ナ凾フ行為を禁じることなく、注意レベル≠フ責任を問うている。

Gilles, supraは、第一次リステイトメントが考慮する凾フ諸活動の「社会的価値」として、たとえば、製造(manufacturing)という活動には「社会全体("the whole community")」に対する便益が含まれるという例を挙げています。

そして以下のコメント部を紹介しています。

製造業には付き物の、従業員と外部者への危険性...は不合理だとは扱われない。その理由は製造業を営む者にとって利益が上がるからではなく、社会全体(the whole community)が製造業から利便を得ていると信じられているからである。
RETSTATEMENT (FIRST) OF TORRTS §292 cmt. a (訳は評者).

更に続けて、このことが、何故に我々が危険な鉄道業を過失責任に服させしめるだけで禁止しないのかという問に対する解答になっていると指摘します。

See Gilles, supra, at 829 & n.51.

示唆に富む分析ではないでしょうか。

もっとも行為レベルでの禁止を云々しない点に限界があるという点も以下のように指摘しています。

[T]he Restatement argues that the law regards the freedom to travel by highway "as of sufficient utility to outweigh the risk of carefully conducted traffic," regardless of how unimportant a particular trip may be.[] Now, this refusal to engage in case-by-case evaluation of social value ... illustarates the limits of the Restatement....

Gilles, supra, at 829.

そこで、ポズナー判事達ロー&エコ学者が指摘するように、ultra-hazardous activitiesのような、いわゆるunilateral precaustion(一方的な予防)の場合には、事故費用+事故防止費用の総和を極少化して効率的な資源の利用を導き出すために、行為レベルへの無過失責任の適用が必要になってくるのかもしれません。

Through the concept of ultrahazardous activities, the tort law imposes strict liability on activities that involve a high degree of danger that cannot feasibly be prevented by the actor’s being careful or potential victim’s altering their behavior.   An example is strict liability for injuries by wild animals.   If my neighbor has a pet tiger, there is little I can do (at reasonable cost) to protect myself.   ….   The most promising precaution may consist simply of his not having a tiger --- an activity-level change. []   ….

RICHARD A. POSNER, ECONOMIC ANALYSIS OF LAW 178 (4th ed. 1992).

目次に戻る。

第一次リステイトメントの考慮要素である「社会的評価」は、community valuationsを参照して客観的に決せられ、他人の利益への平等な尊重が求められる。

Gilles, supraは、Bohlrenが第一次リステイトメントを起案した同時代の学者Warren Seaveyの分析に基づきながら、概ね以下のように指摘しています。

行為者の利益と、それにより利益を脅かされる者との価値の比較が求められますが、それはいわゆる倫理の質(moral qualities)の評価が求められているのです。凾フ行為は社会の諸価値(community valuations)に参照して決せられるので、その意味で客観的なものなのです、と。

See Gilles, supra, at 831-32.

更に続けて、概ね以下のように述べています。

リーズナブル・パーソンの基準による判断は、他人の利益への平等な尊重も求めていて、その点でSeaveyの倫理基準(Seavey's standard of morality)が第一次リステイトメントに活きている、と。

See id. at 832.

リーズナブル・パースンは、「他人の安全をリーズナブリーに考慮し、かつ、自ら自身の利益ばかりに依拠しない

RETSTATEMENT (FIRST) OF TORRTS §283 cmt. d (訳は評者).

平等な配慮という点に関しては更に、以下のようにも概ね指摘しています。

BohlenとSeaveyは、中立性(impartiality)と他人への配慮(consideration for othersという倫理的規範(ethical norms)を過失基準が表すべきだと信じていたのだ。 ... その意味に於いて第一次リステイトメントは、矯正的正義論者が強調する不法行為法の構造的・機関的特徴の多くの重要性に対してとてもsensitiveであるように思われる、と。

更に平等な配慮という点は、不法行為法の根拠の一つである「公正(fairness)」という[倫理哲学的根拠]からも肯定化される旨を、概ね以下のように指摘しています。

他人への危険を回避すべき負担を超えて危険を他人に課した者は、自らの利益あるいは厚生を他人の利益あるいは厚生よりも優先させたことに於いて、「公平な配慮という倫理的規範に違反している("violates the ethical norm of equal consideration")」...。 リーズナブル・パーソンは、社会的厚生全体を向上させる予防措置を採ることにより、他人の厚生に対して平等な尊重を払うという規範を遵守しているのだ、と。

Id. at 855.

ここからは評者の私見ですが、Gillesl教授の示唆を、凾フ活動の効用性に対しても平等な尊重を払うべきだと受け止めれば、むらみやたらと凾ノ責任を課すような誤った判断を回避するための重要な指摘であると理解できるのではないでしょうか。

 

起草者Bohlenは凾フ行為の"効用"を考慮する重要性を指摘していた!

Gilles, supraは、興味深いことに、概ね以下のように指摘します。

Bohlenは、効用を危険と量りに掛ける役割を陪審員に託すことができないと主張した。陪審員はπの傷害と凾フ富裕さに衝き動かされてしまい、事実上の無過失責任の規範(a defacto norm of strict liability)をしばしば採用してしまうであろう、と訴えた。 たとえ陪審員がリーズナブル・パーソン・スタンダードを適用したとしても、凾フ行為の効用に対しては小さなウエートしか置かないであろうとBohlenは示唆したのだった、と。

See Gilles, supra, at 837.

ここからは評者の私見ですが、凾フ効用に対しても、きちんと平等な考量をしてあげるべきであるという、現代製造物責任法にも通じるとても興味深い指摘ではないでしょうか。

この文章から評者がインスパイアされたのは、製造物責任に於ける典型的な設計欠陥や指示警告欠陥の認定に於いても、「効用」という要素がきちんと考量されるべきだという倫理の重要性です。 消費者期待基準を独立した欠陥認定基準にしてしまうと、そのような配慮が失われる虞があるのではないでしょうか。

なおBohlenが抱いた陪審員への不審に関してGilles, supraは更に概ね以下のようにも指摘しています。

陪審員は、あと知恵(hindsight)により、かつ、厳格[無過失]責任へ直感的に引き摺られることにより被害者への同情に左右される傾向にある...、と。

Id. at 839.

なおGillesは別の論文に於いて、ハンド・フォーミュラが好ましい理由の一つとして、上のような陪審の偏見を排除できる点を、以下のように指摘しています。

ハンド・フォーミュラの重要な利点は、リーズナブルネスに関連性を有する唯一の要素は追加的な注意の費用と便益(costs and benefits of additional care)として特定できるものだけである、という明確なメッセージを同フォーミュラが送ったことにある。これにより、凾ェ利潤を生む諸活動に従事しているとか、πの状態に対する同情のような諸考慮を排除している点で重要である。更になお重要なのは、ハンド・フォーミュラは明らかに行為者が合理的で予見可能な危険を責任無しに創出可能であることを明確に認識しているために、陪審員が抱くかもしれない厳格[無過失]責任への直感を禁じたことにある。 ...これは効率性(efficiency)の点からも、法による統治(rule-of-law)の点からも、好ましい...。

Gilles, Invisible Hand Formula, supra, at 1044 (訳は評者)(斜体はオリジナル)(下線は付加).

First Up-loaded on Mar. 2005.

目次に戻る。

1947年 ハンド・フォーミュラの「キャロールトーイング判決の」登場

TerryやBohlenの第一次リステイトメント上の検討要素から、evaluative factorあるいはvalue judgmentな要素を取り除いて単純化したものが、ハンド・フォーミュラである。

See Gilles, supra, at 828.

平野晋 説: 製品の設計欠陥に於けるcategorical liabilityの概念においては、ハンド・フォーミュラよりもむしろTerry/Bohlenフォーミュラを当てはめた方が、欠陥の有無の妥当性が判り易いのではないでしょうか?

ここは評者の私見ですが、ハンド・フォーミュラでは、Gilles, supraが指摘するように、凾フ行為やπの利益の社会的効用に関する評価要素が省略されているので、製品の特性が不可避的に危険性を伴う類型(すなわち危険性こそが効用になっているような場合)には、争点となるべき効用の評価をより明確化させてくれるTerry/Bohlenフォーミュラ(第一次リステイトメント)を当てはめた方が妥当ではないでしょうか???

たとえば、熱いコーヒーが欠陥であるか否かが問題になっている場合、熱いコーヒーというcategorical liabilityに属しますが、そこで真に問題になっているのは、味と香りという効用生み出していることに不可避的に伴う熱さ≠ニいう製品特性です。その欠陥性を判断する際には、凾フ行為(コーヒーを熱くするという行為)の効用や社会的な価値の評価≠求めるTerry/Bohlenフォーミュラ(第一次リステイトメント)を当てはめた方が、果たして熱いコーヒーが欠陥か否かを直感≠ノ頼らずに、むしろ本件の本質である熱さゆえに生まれる味や香りの効用面にきちんと評価対象としての焦点を当てさせることが可能な分だけ、優れているのではないでしょうか?

1st Up-loaded on Oct. 30, 2005.

目次に戻る。

最近の解釈

ハンド・フォーミュラはアメリカの不法行為法学(及び「法と経済学」)に於ける非常に重要な概念であるだけに、様々に解釈したり分析する論文を発見できます。以下、紹介してみましょう。

Simons論文

   ハンド・フォーミュラは経済効率性のみならず、公正的論理も包含できる比較衡量基準である旨を説くものとして、前掲Simons

ハンドの基準が経済学的功利主義分析と同一でなければならないと看做すのは、根拠が無い。 .... ハンドの基準は、負担と利得とを法的に認識すべきであり、かつ如何にそれらを価値付けるかとする多くの異なる概念と一致するものでる。経済的な効率性は、それら諸概念の一つに過ぎないのだ。
過失の比較衡量基準は、概ね、部分的功利主義的見解から完全な非功利主義的見解に至る、不法行為法に於ける多様で異なる規範的諸アプローチと一致するのである。

出典: Simons, The Hand Formula, supra at 907, 913 (訳は評者)(強調付加).

更に同論文は、裁判所が経済効率性のみならず公正という視点からも責任を課して来た例として以下のように述べています。

[効率性では説明できない過失責任の]他の例としては、emergency doctrineがある。仮に将来に於ける最適な行動のみを懸念するのであれば、純粋な緊急時には責任を課さない方が意味を成すはずである。なぜならば、突然の緊急事態に直面した場合に人々が不法行為法の命じる責任ルールに応じるように奨励されるという[考え方]には疑念が生じるからである。それにもかかわらず、公正さの問題として、緊急時に於いても全く強制力を無くすのではなく、通常より緩やかな注意義務を課すことが、適切である。

Id. at ___ (訳は評者). 更に、Simonsによる以下の分析も興味深い。

[B<P・Lを経済効率性のみで解釈すると] 貧乏な人達の地域に於いては富裕層の地域に於けるよりもスピードを出して運転しても良いと示唆してしまう。なぜならば、予見される事故費用の平均が前者に於いて安くなるからである

Id. at ___ (ポズナー自身が自認している記述として)(訳は評者).

なおハンド・フォーミュラが過失基準として優れている点について、Simonsはこんなことを言っています。

事実と価値の双方に於ける時間の経過に伴う変化を取り入れるフォーミュラは、貴重な柔軟性を有している。

Id. at ___ at 929 (訳は評者).

更にSimonsは、大衆文化的には企業に責任を課す傾向があっても、ハンド・フォーミュラ的な比較衡量的判断をする場合が自然人よりも多い企業がそのような判断をしてクリアした場合にはきちんと過失責任を課さないとすべきと示唆しています。  Id. at 935.

目次に戻る。

Green論文

アイオワ大学ロースクールのGreen教授は、ハンド・フォーミュラが必ずしも法と経済学的な立場と一致する訳ではないと主張する論文の中で、以下のように興味深い指摘をしています。  

すなわち、ハンド・フォーミュラは限界的(marginal)な場合を求める式なので、具体的で特定された狭い比較対象を当てはめないと外れてしまうという指摘です。  これは、製造物責任法に於ける危険効用基準を実際にあてはめる際に参考になる指摘ではないでしょうか。

ハンド・フォーミュラの左辺のBurdenまたはcost of precautionは、「限界的」(marginal)な追加的事故[]を抑止するために要求される限界的な追加的注意であると理解されなければならない。   すなわち、もしその注意を採用してさえいれば原告(π)の被害は防止できたであろうという、何らかの特定され、かつ、採用されなかった事前の注意が存在していなければならないのだ。 / 限界の比較に於いて、例えばシートベルト付の自動車とシートベルト無しの同型車との比較のように比較的狭い限界を比較する場合もあれば、逆に、例えばある製品の全ての効用と全ての危険とを比較する[categorical liabilityの]ような究極的な場合もある。 限界が広範囲になればなる程それだけ比較が困難になるのだ。 / 経済学的な不法行為法分析によれば、例えば重心が高いSPV(Sport Utility Vehicles)に安全装置を付けるべきかという「注意レベル(care level)」と、例えばSPVの操縦を45歳以上に限定すべきかという 「活動レベル(activity level)」とで区別し、後者はcategorical liabilityに近い。 

Green, supra, at 1612, 1614 & n.35 (1997)(要約は評者).

更にGreen教授は、新規で複雑で理解し難い工学技術に対して大衆や裁判所が偏見を抱く場合も、危険効用基準から逸脱していると指摘しています。とても参考になる指摘でしょう。  See Green, supra, at 1622.

目次に戻る。

Gilles論文

Gillesは、以下の2点の重要性を主張しています。

@ハンド・フォーミュラに於ける検討対象諸要素に対して価値評価(value judgment)」を加えるべきこと。
   および
A他人の利益に対しても自らに対するのと同程度のウエイト付けをすべきこと。

特に上記Aの主張は、彼の以前の論文、Stephen G. Gilles, The Invisible Hand Formula, 80 VA. L. REV. 1015 (1994)を読んでも彼の昔からの主張(*)のように読めます。

(*) 他人の利益をも自らと同等に尊重すべきであると主張して、たとえば以下のように指摘しています。
[T]he reasonable person is expected to value the interests of others on a par with his or her own equivalent interests, we might call it the altruistic reasonable person standard.[]

Id. at 1038.

ところで以下のGillesの分析は、「危険効用基準」に於ける限界値という概念を理解する一助になると思われますので、要約して掲載しておきましょう。

ハンド・フォーミュラの3要素よりも、後掲Henry Terryによる1915年の論文の5要素の方が、争点が「追加的予防の限界的な危険と効用」であることを更に明確にしている。  Gilles, supra, at 826 n.39.
Terryは5要素を説明する際に、有名な「Eckert v. Long Island Raillroad Co.」, 43 N.Y. 502 (1871)事件判決[*評者注]を題材にしている。同事件では、列車に轢かれそうな少年を助けようとした原告が受傷し、被告(凵j鉄道会社は原告が無謀な救出行為に出た寄与過失(contributory negligence)を主張した。  Id.
[*評者注 ちなみにこの事件も、不法行為法のケースブックに出て来る有名なものです。過失責任の中の、Calculus of Risk(危険の計量)という概念を学ぶ際の判例として学生が読まされる判例です。]
この事件をハンド・フォーミュラに当てはめると、「原告が列車に轢かれる蓋然性」x「原告の命の価値」が右辺のPxLになり、少年の命が左辺のB for Burdenに相当し、両者を比較する。  Id.
しかし、Terryの5要素を用いると、原告の行為によって少年の命が助かることにどれだけ貢献したかという諸要素が衡量されることになる[ので、それだけ限界値を求めようとする作業に相応しくなる]。 もし少年がどのみち助からなければ、Bはゼロ価値になってしまう。同様にもし少年がどのみち助かれば、やはりBはゼロ。 言い換えれば、Bは、原告の行為によって助かる蓋然性の変数に少年の命の価値を乗じたものを表すこととなる。   Id.
Terryは、上のB for Burdenを変数で表すことの重要性が大きいと感じていたに違いない。何故なら、同事件では実際に少年が助かったのだから。  Id.

___________________.

ハンド・フォーミュラを当てはめる際には、要素に対して値付けをしなければならない。困難。例えば、医師が1,000ドルの検査を患者に施せば、手術の結果、患者の足を切断しなければならなくなるに至る1%の確率を回避できると仮定する。 この場合、判断を下す者(a decision-maker)は、1,000ドルに1%を乗じた値を比較するためには、[足の値段を決めるという]価値判断(a value judgment)を強いられるのである。  Gilles, supra, at 8818-19.

___________________.

ハンド・フォーミュラはB、P、Lを如何に価値付けるかについて黙っている。しかし、TerryはPL、Bに価値を付けるように求めているので、異なる。  第一次リステイトメントも、Terryの影響を受けて如何に要素を判断するかを語っている。  Id. at 827.
すなわち第一次リステイトメントの293条は、ハンド・フォーミュラのPに相当する、行為者の行為が危害を生じさせる「可能性の程度」と、ハンド・フォーミュラのLに相当する「危機にさらされる利益に生じる蓋然性のある危害の程度」を考慮するように求めるだけではない。 加えて同条は、「危機にさらされる利益に対して法が付与する社会的な価値」も考慮するように求めており、これは、事故の危険性に対して如何に価値判断を下すべきかを特定しているのである。  Id.

___________________.

過失基準たる「a reasonable person std.」を更に詳細にしたものとして、第一次リステイトメントはハンド・フォーミュラ的な危険効用基準を採用した。 しかし危険効用基準は明らかに「a reasonable person std.」に取って代わるものではなく、むしろ、「a reasonable person std.」の一局面(an aspect)を表すものである。  Id. at 823-24.
判事も陪審員はエコノミストではないので、むやみと費用対便益分析(cost benefit analysis)を基準にすると抵抗があろう。 そこで、ハンド・フォーミュラは「a reasonable person std.」に代替されるとするよりは、むしろ、「a reasonable person std.」の中心的な特徴(central featre)である、として示した方が受け入れ易かったのだ。  Id. at 825.

First Up-loaded on Mar. 14, 2005.

目次に戻る。

 

目次に戻る。

目次に戻る。

不法行為法(第二次)リステイトメント

以下、ハンド・フォーミュラが判決で現れる以前に起草&パブリッシュされた第一次リステイトメントを踏襲した第二次リステイトメントの条文に当たるブラック・レター・ルール部です。

§291.  Unreasonableness; How Determined; Magnitude of Risk and Utility of Conduct

Where an act is one which a reasonable man would recognize as involving a risk of harm to another, the risk is unreasonable and the act is negligent if the risk is of such magnitude as to outweigh what the law regards as the utility of the act or of the particular manner in which it is done.

§292.  Factors Considered in Determining Utility of Actor's Conduct

In determining what the law regards as the utility of the actor's conduct for the purpose of determining whether the actor is negligent, the following factors are important:

(a) the social value which the law attaches to the interest which is to be advanced or protected by the conduct;

(b) the extent of the chance that this interest will be advanced or protected by the particular course of conduct; [and]

(c) the extent of the chance that this interest can be adequately advanced or protected by another and less dangerous course of conduct.

§293.  Factors Considered in Determining Magnitude of Risk

In determining the magnitude of the risk for the purpose of determining whether the actor is negligent, the following factors are important:

(a) the social value which the law attaches to the interests which are imperiled;

(b) the extent of the chance that the actor's conduct will cause a invasion of any interest of the other or of one of a class of which the other is a member;

(c) the extent of the harm likely to be caused to the interests imperiled; [and]

(d) the number of persons whose interests are likely to be invaded if the risk takes effect in harm.

First Up-loaded on Mar. 14, 2005.

目次に戻る。

不法行為法(第三次)リステイトメント (検討草案:Discussion Draft

RESTATEMENT (THIRD) OF TORTS: GENERAL PRINCIPLES (DISCUSSION DRAFT) (Apr. 5, 1999)

§4. Negligent

An actor is negligent in engaging in conduct if the actor does not exercise reasonable care under all the circumstances.  Primary factors to consider in ascertaining whether conduct lacks reasonable care are the foreseeable likelihood that it will result in harm, the foreseeable severity of the harm that may ensure, and the burden that would be borne by the actor and others if the actor takes precuations that eliminate or reduce the possbility of harm.
(emphasis added)

これまでの「理に適った人の基準」(a reasonable person std.)が前面に出されずに、ハンド・フォーミュラが積極的に採用されています。

つまり、過失の基準は、「全ての状況に於ける理に適った注意」であるとしつつも、理に適って注意深かったか否かの判断に於ける「主要な諸要素」([p]rimary factors to consider)は、「予見可能な蓋然性」(the foreseeable likelihood)と「予見可能な危害の程度」(the foreseeable severity of the harm)と「危害の可能性を削除あるいは減少するための予防策を採った場合のコスト負担」(the burden that would be borne by the actor and others if the actor takes precautions that eliminate or reduce the possibilty of harm)であるとして、ハンド・フォーミュラが全面的に採用されたのです。

もっとも、うっかりした不注意(inattentive failure to advert to the risk)の場合には、ハンド・フォーミュラを用いるまでもないとして、「理に適って注意深い人」(the std. of the reasonably careful person)の基準を直接当てはめて評価する、としています。[評者注]

[評者注: この思想は、製造物責任に於いて、うっかりした設計ミス(inadvertent errors)に於いては、わざわざRADの基準を課さずとも、消費者期待基準だけでも十分である、という思想と近似しているように評者には思われますが、如何でしょうか?]

Gilles, supra, at 850-51.

 

目次に戻る。

 

目次に戻る。

【未校閲版】without proof

トップページに戻る。