カフカと法と文学の研究 

中央大学 教授 (総合政策学部)
米国弁護士 (NY州)
平野 晋

関連ページは、「法と文学」参照。

Susumu Hirano
Professor of Law, Faculty of Policy Studies, Chuo University (Tokyo, JAPAN)
Member of the New York State Bar (The United States of America)
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〈ブリーフ〉

「弁護士とは,1万字にも達する書類を書きながら,それをブリーフ≠ニ言う人である。」

フランツ・カフカ

【未校閲版】without proof

No author of imaginative literature seems to have had more to say about law than Kafka, himself a lawyer, whose great novel The Trial ....

RICHARD A. POSNER, LAW AND LITERATURE 127 (revised and enlarged ed. 1998).

[M]any law-and-literature proponents advocate that law students, lawyers, and judges read works such as Kafka's The Trial [] to become more empathetic to the abused, poor, or otherwise powerless members of society. n18
n18.  Ronald Dworkin, Law as Interpretation, 60 Tex. L. Rev. 527 (1982); Linda R. Hirshman, Bront, Bloom, and Bork: An Essay on the Moral Education of Judges, 137 U. Pa. L.Rev. 177 (1988); Richard H. Weisberg, Three Lessons from Law and Literature, 27 Loy. L.A. L.Rev. 285 (1993).

Michael I. Swygert and Katherine Earle Yanes, Featured Article, A Unified Theory of Justice: The Integration of Fairness into Efficiency, 73 WACH. L. REV. 249, 255 (1989) (emphasis added).

そこで、このフランツ・カフカに関する法と文学を、研究してみましょう。

法と文学の視点から『審判』などの法律系カフカ作品を研究する上で、非常に有用な論考は、以下です。特に、その103頁から127頁までの部分を読むことを、高くお勧めします。

Douglas E. Litowitz, Review Essay, Frank Kafka's Outsider Jurisprudence, 27 LAW AND SOCIETY INQUIRY 103 (2002)(カフカの履歴・背景を詳しく紹介しながら、その法律関連諸作品も解説・分析した上で、カフカの法と文学スタイルを「situational outsider jurisprudence」に位置付けできるとし、それは、今アメリカで流行っている人種やジェンダー等のマイノリティーな「アウトサイダー法学」と異なって、マイノリティーでは無い人が突如、アウトサイダーとされ扱われる様を描いていると指摘する論文).

目次

判例(法廷意見)に出て来るカフカ

フランツ・カフカの略歴

フランツ・カフカ雑学

カフカ作品は、理解し難く疎外させる法制度の外部者の視点から法を描いている。 --- Litowitzによる解釈。

解釈の諸説概要 --- Litowitzによる紹介。

『審判』 (THE TRIAL [DER PROZESS] 含『掟の門』 (BEFORE THE LAW) [VOR DEM GESETZ]

あらすじ
『審判』は、司法制度の不正・不正義を訴える法律物語なのか? --- ポズナーによる解釈。
しかし『審判』が、司法手続に巻き込まれた一般市民の悪夢を描いていることは否定できない。 --- ポズナーによる解釈。
『審判』は、古い大陸法的な司法手続を表している。 --- ポズナーによる解釈。
『審判』は、法の、人間性との乖離を描いている。 --- 多くのコメンテイターの指摘。
『審判』は、個人が己を管理できない恐怖、すなわち個人情報データベースを勝手に他人が構築・利用する恐怖をたとえるのに最適である。  --- Soloveによる解釈。
『審判』に於いてヨーゼフ・K.は権威と罰に服することに同意しているけれども、その同意は人々の福祉やオートノミーや正義の向上に反するから、かかる同意を与える権威とのヒエラルヒー的な関係を疑ってかからなければならない。  --- ロビン・ウエストによる解釈。

『掟の問題』 (THE PROBLEM OF OUR LAWS) [ZUR FRAGE DER GESETZE]

『流刑地にて』 (IN THE PANEL COLONY)  [IN DER STRAFKOLONIE] 

『______________』 (THE REFUSAL) 

『新しい弁護士』 (THE NEW ADVOCATE) [DER NEUE ADVOKAT]

『中庭の門』 (THE KNOCK AT THE MANOR GATE) [DER SCHLAG AUS HOFTOR]

『______________』 (THE STOKER) 

判例(法廷意見)に出て来るカフカ

...; Wassell v. Adams, 865 F.2d 849, 852 (7th Cir. 1989) (Kafka's The Metamorphosis); United States v. Notorianni, 729 F.2d 520, 523 (7th Cir. 1984) (Kafka's The Trial).  The Wassell and Notorianni opinion were written by Judge Posner. For an imitation of Edgar Allan Poe's The Raven, see In re Love, 61 Bankr. 558 (Bankr. S.D. Fla. 1986). Posner, in his conclusion, notes that great works of literature, such as Antigone, Bleak House and Billy Budd, can stimulate reflections on justice (Posner, p. 355). Posner calls for a broadening of legal education as against the "trade-school" mentality of today's law schools: "[T]he well educated lawyer should have some acquaintance with current controversies in literary theory and their potential bearing on legal interpretation." Id.

Judith Schenck Koffler, Book Review, Forged Alliance: Law and Literature, 89 COLUM. L. REV. 1347, 1391 n52 (1989).

n7  State v. Rios, 12 Ariz. 143, 144 539 P.2d 900, 901 (1975) (trial where the accused is able to observe but not comprehend the criminal processes comes close to being an invective against an insensible object."

Virginia E. Hench, What Kind of Hearing? Some Thoughts on Due Process for the Non-English Speaking Criminal Defendant, 24 MARHSALL L. REV. 251, 252 n7 (1999).

なお、LEXISに於いて、Feb. 17, 2005に、連邦(「Federal Case Law」)控訴審レベル(「Court of Appeals」)のデータベースから期限を限定せず(「All available dates」)に、「Franz Kafka」のキーワード検索したところ7件が検出され、その内以下が興味深い法廷意見および反対意見上の記述でした。

Ours is not the system of criminal administration that left Franz Kafka's Joseph K. wondering "Where was the Judge whom he had never seen? Where was the high Court, to which he had never penetrated?" even as his death sentence was carried out. Franz Kafka. The Trial 228-29 (Willa and Edwin Muir, trans., Schocken Books 1992) (1937). The public trial is "a safeguard against any attempt to employ our courts as instruments of persecution.

United States v. Candy, 126 F.3d 352, _____; 1997 U.S. App. LEXIS 26400 at *29 (2nd Cir. 1997) (emphasis added).

The majority's ruling in this case is the ultimate triumph of procedure over substance: the person is now irrelevant to the process. This is the nightmare world of The Trial; it is not American justice. Like Josef K, David Lewis Rice was sentenced to death in absentia, and, like Josef K, Rice will go to his grave asking, "Where is the judge whom I have never seen?" Franz Kafka, Der Prozess194 (1935, 1979) ().

Rice c. Wood, 77 F.3d 1138, 1150 (9th Cir. 1996) (Nelson, J. dissent) (emphasis added).

フランツ・カフカの略歴

1901〜06年。 プラハのGerman Karl-Ferdinand Universityにて法律を学び、3回課される国家試験をパスしてa doctorate in law (doctor of jurisprudence)を取得。従ってカフカは、Dr. Kafkaであった。

law schoolでの最後の年には、地方の法律事務所でロー・クラークの非常勤職を得ている。

卒業後、プラハの民事および刑事裁判所にてコート・クラーク職に就く。

1907年。 コート・クラーク職を終えて、叔父のコネにより保険会社に就職。長時間労働ゆえに、小説を書く時間が無くなり嫌になる。 ちなみに願書(job application)には、法律職に居る気が無い(he vever inended to remain in the legal profession)と書いていた。   

Prague Commercial Collegeの科目を履修し、労災局への転職を画策する。

1908〜1922年。 労災局(Worker's Accident Insurance Institute for the Kingdom of Bohemia in Prague)に就職。 労災局は、国家が創設し、民間企業が基金を拠出するという準政府機関(semigovernmental)。  労災保険の執行という法律職(in a legal capacity)に14年間携わる。 職務内容は、企業をそのリスク毎に類別し、調査を組織し、企業からの異議に対して控訴状を作成し、裁判所に於いて労災局を代理すること、も含まれていた。  工場を調査してリスク評価するため、工業住宅を巡回し労働者達の生活を観察することもあったことは、作品に影響を与えた模様。 当時、工場では事故が絶えなかった。

TB結核により退職。[療養]

1924年。 死亡。41歳。

Litowitz, supra at 106, 108-110.

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フランツ・カフカ雑学

彼の故郷プラハではその作品が、何十年もの間、禁書となっていた。はじめはナチ政権によって。次はスターリン政権によってである。  Litowitz, supra at 104.

カフカが法学者達の間で特に受ける理由は、カフカ自身が実務法曹であり、法と法制度に関してしばしば書いているからである。  Litowitz, supra at 104.

カフカは法が嫌いだった。しかし多くの作品で法を描くという、愛憎関係(love-hate relationship)にあったのだ。  Litowitz, supra at 106.

法が嫌いだったカフカは、法律学の勉強とは、数えきれないくらい多くの学生が既に噛んで来たアイデアを噛むことだ(study of law involved chewing ideas that countless students had already chewed)、と言っている。   Litowitz, supra at 108.

労災局の仕事を通じて、労働者達が事故を不可避的なものとして受容する(accepted their injuries as inevitable)姿から多くの影響を受けた模様。 官僚主義の中で被災労働者達が[救済され]ない姿から、法に対する見方が形成された。   Litowitz, supra at 111.

Canon Law(教会法)とRoman Lawを学んだことからも、影響を受けたに違いない。法律が秘密の法典(a secret code)であってミステリアスなものと表現され、僧侶により解釈され、予備判事(examining magistrates)が手続に於いて積極的に関与するところなどである。   Litowitz, supra at 111.

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カフカ作品は、理解し難く疎外させる法制度の外部者の視点から法を描いている。 --- Litowitzによる解釈。

カフカは法曹で実務経験を有しているにもかかわらず、彼は、沢山の下級役人法律職から構成される、理解し難く疎外させる司法制度(an unknowable and alienating legal system)に服する「外部者」(outsiders)の視点から、法を描いたのである。そのような外部者の視点は、法に入る許可を待つ間に死んでしまう田舎から来た男の比喩物語『BEFORE THE LAW』に於いて顕著である。[評者注: 以下、『審判』の「あらすじ」の最後の方に出て来る比喩物語を参照下さい。]  Litowitz, supra at 104.

カフカが外部者の視点を有して描けた理由・背景は、以下の2つ。  1つは、彼自身の置かれた生来的な身分が、チェコに居住するユダヤ人でドイツ(オーストリア・ハンガリー二重帝国)の支配下にいたという、外部者だったことに因る。チェコ人からもドイツ人からも嫌われ疎外されるのがユダヤ人だった。  2つ目の理由・背景は、彼の職業上の立場が、労働災害保障局勤務の法曹だったことである。ドイツの法制度で統治されたチェコ人労働被災者は、経済的にも言葉的(チェコ語しか判らないのにドイツ語のオーストリア型法制度に服さねばならない)にも疎外されていて、そういう彼らを擁護する立場にカフカは居たのである。  ドイツ語の素養の無いチェコ人にとって法はいわば秘密の法典(a secret code)だったのである。  Litowitz, supra at 104, 111 & n2.

カフカ作品では、法が保護の象徴のようであり、被害者は法に近づこうと努力するけれども決して到達しないというアンビバレントなものである。下級官吏達によって執行される法は結局、幻影に過ぎない。『掟の問題』や『THE REFUSAL』に於いては法を探求するけれども、それは虚しいレトリックに過ぎず、『BEFORE THE LAW』に於いて法は終わることなく消耗させる遅延であり、田舎から来た男は待った挙句に死んでしまうのだ。   Litowitz, supra at 106.

現代の法曹作家であるスコット・トゥローやジョン・グリシャムと異なる。彼らの作品に登場するキャラクターは法を理解し操れる(maneuver)。外部者では知らない隠された実務を明かすのが特徴である。[評者注]。彼らの作品では、たまに腐敗するよはいえ、きちんと法の支配(the rule of law)が存在する。 ところがカフカ作品では法の支配が曖昧で、多くの言い訳の末に幾重にも重なった門番が邪魔をしているのだ。   Litowitz, supra at 106-07.

[評者注: 確かに、現代リーガル・スリラーの旗手達である彼らの作品の特徴--それが受ける理由でもある、と言うのはトゥロー自身--は、特殊な法曹世界の内幕を明かして一般読者の興味を惹く点にあるようです。詳細は、評者の「ジョン・グリシャム」「スコット・トウーロー」のページを参照下さい。]

例えば、カフカの『審判』に似て、トゥローの最近の作品『囮弁護士』の冒頭では主人公格の弁護士がいきなり逮捕されるシーンであるけれども、そこでは以下[Litowitzの原文では引用されていますが、本頁では省略]のようにきちんとした刑事手続が記載されている。[評者注]   Litowitz, supra at 107.

[評者注: 『囮弁護士』と『審判』の冒頭シーンのLitowitzによる比較は、とても興味深いと思われます。『囮...』では確かに詳細に刑事手続が記載され踏襲されていますが(原作者トゥローはそもそも元検事補で同作品の題材となった囮捜査に関与していました)、作品全体のイメージはやはり不条理というか、突然に囮役を押し付けられることになる腐敗した弁護士の姿が描かれていると評価できるのではないのでしょうか。同作品については、評者の以下のページを参照下さい。「スコット・トウーロー」の中の「囮弁護士」。]

グリシャム作品『評決のとき』などは、不当[?]に逮捕・訴追される被告人が出て来るとはいえ、法制度を何とか利用して無地を勝ち取るけれども、カフカ作品では登場人物達の訴えが否定されることを遂には期待し享受さえするように描かれる。   Litowitz, supra at 107.

カフカ作品は一見すると、ばかげていてシュール(surrealism)でありファンタジーのように映る。 しかし実際は司法制度を描く上で現実的だったと言える。何故ならば、司法制度が外部者には如何に映るのかを描いたからである。  法律業界誌に於いて、法曹が『審判』を読むように薦める判事が指摘するように、「司法制度に対する依頼人の視点という限りに於いては、『審判』は実際のところファンタジーというよりも現実に近い」のである。  Litowitz, supra at 108.  

カフカの法律系作品は、プラハの政治的不安定さが反映されている。  Litowitz, supra at 112. 

カフカは物語毎に完全な孤独を描いている。法が存在せず、あるいは、理解を超えていて、裁判制度も近づくことができないような、把握することができない司法構造のために馬鹿げた生活になる毎日を描いているのだ。 『審判』や『城』に於いてK.は自らの運命をコントロールする権威に出会うために虚しく捜し求める。 『審判』に於いてK.は最後まで本当の裁判官には出会えない。『THE REFUSAL』も『掟の問題』も同じテーマを扱い、本当に法が存在するか否かを疑わせる程に法は秘密裏に隠されている。決定権を有する者は誰一人存在しない程の官僚主義も示唆されている。最後には、各人が知ることのできない法を犯しているのではないかとおそれ、人々が法を知ることは不可能だけれども、その違反を常におそれるというパラドックスを作り出すという、悪夢なのである。カフカにとってはこれこそが、そこに囚らわれた人々に映る司法制度なのである。   Litowitz, supra at 117. 

『審判』の比喩物語を巡るK,と僧侶との議論は、結論無しに終わるが、僧侶自身もK.による法への接近を邪魔する長い門番達の列の中の最初の一人であると示唆している。   Litowitz, supra at 121. 

法制度との接触を間断なく試みる外部者の犠牲が怒りの熱情をもって描かれる訳ではなく、彼らは自らの運命を受容するのである。  『審判』に於いてヨーゼフ・K.は、おそらくは他人への警告として、恥辱が生き残ると思うのである。  Litowitz, supra at 127. 

カフカの描く、法制度の外部者の特徴は以下の通り。 第一に、法についての理解を欠く。実体法と手続法の双方について無知である。 第二に、法と暴力の区別がつかない。罪状を告知されずに裁かれる被害者達にとって、法はルール・制度として強いられるものではなく、横暴に課される暴力(brute force imposed despotically)であり、それは極端な見方ではあるけれども外部者にとって共通するものでもある。 第三に、カフカのキャラは運命を自然で不可避なものとして受容し、自己卑下(self-contempt)をして権威に服従するのである。  Litowitz, supra at 128-29. 

司法制度は、空疎な核を巡る外部者達の環に過ぎない。--門番達は自らを内部者であると表明しているけれども、実際のところ内部者ではないのである。  『審判』の弁護士にしても、自らのベッドから起きて法廷に赴こうとさえしないのだ。 おそらくカフカは専門職の生活の中で、自らが、被災した労働者達と補償の可能性との間に立たされた官僚・門番に過ぎないことを、苦々しくも認識していたのである。  Litowitz, supra at 130. 

カフカの人生は、司法制度に於ける内部者と外部者の視点の交渉の闘争と著すことが可能である。彼は法的な内部者(根本的には政府の検事)であって、外部者(労災被災者)を代理していたのである。  Litowitz, supra at 133. 

カフカの否定的な作風は社会批判(social criticism)と読むべきであって、ニヒリズムと読むべきではない。結局彼は毎日、被災した労働者達のための法の向上を期待して働いていたのである。もし外部者が内部者によって決して安全を得ることができないと信じていたとするならばそのような地位を追求しはしなかったはずなのだから。  Litowitz, supra at 113 n5.

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カフカ作品の解釈諸分類

法律系作品

Litowitz, supra at 116.

法律系作品に分類されるのは以下:

THE TRIAL [DER PROZESS] 『審判』  (含BEFORE THE LAW [VOR DEM GESETZ] 『掟の門』)
THE PROBLEM OF OUR LAWS [ZUR FRAGE DER GESETZE] 『掟の問題』 
IN THE PENAL COLONY [IN DER STRAFKOLONIE] 『流刑地にて』
THE NEW ADVOCATE [DER NEUE ADVOKAT] 『新しい弁護士』
THE KNOCK AT THE MANOR GATE  [DER SCHLAG AUS HOFTOR] 『中庭の門』  
THE REFUSAL 『_____________________』  
THE STOKER 『_______________________』 

なお以下は、厳密には法律ではなく広義の政治的なアレンジメントを扱う作品:

AN OLD MANUSCRIPT [EIN ALTES BLATT] 『一枚の古文書』 [評者注* 匈奴に包囲されて蛮行にあっても抵抗しない、初めて顔を窓から出した皇帝の短編。]
THE GREAT WALL OF CHINA [BEIM BAU DER CHINESISCHEN MAUER]  『万里の長城』 [評者注* 全体像を見せてもらえない末端労働者の心理と長城建設方法を扱いつつ、皇帝[=権威]の存在の疑念が表明される物語。 権威にアクセスできない姿は『審判』等にも共通のもの。 See also Liowitz, supra at 124-25.],  
THE EMPEROR 『_____________________』
THE COURIERS [KURIERE] 『使者』 [評者注* 翻訳版わずか3センテンスの物語。使者になるかその使者を使う王になるか選ばせたところ、皆が使者になってしまったので、無意味なメッセージを皆が叫びたてている。馬鹿げているから辞めたいけれども、誓約があるので辞められないという物語。]
THE CONSCRIPTION OF TROOPS 『_____________________』.

更に以下も法に接する作品:

THE CASTLE 『城』 官僚主義を描いている。
THE JUDGMENT [DAS URTEIL] 『判決』 刑罰がテーマである。 [評者注* 老いた父親から溺れ死ね、と命じられた直後、その通り自殺する主人公ゲオルグの奇妙な物語]
JACLALS AND ARABS [SCHAKALE UND ARABER] 『ジャッカルとアラビア人』 権力闘争を描いている。 [評者注* アラビア人を殺せと依頼するジャッカル達が、実は、アラビア人達にいつも連れ添っていて、アラビア人から餌をもらっているという物語。]
THE HELMSMAN 『______________』 同上(権力闘争を描いている)。

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法律系論文(law journals)に出て来る諸説の分類

以下の4分類+αがある。  Litowitz, supra at 103-14.

1.カフカを法制史家と解釈する説
オーストリア・ハンガリー二重帝国時代の刑事司法を著した作品と理解。そのコンメンタールであるとさえ解釈するコメンテイターも居る。その後の東ヨーロッパに出現するナチとスターリンの全体主義を予見したものという見方も。 [評者注]
 [評者注 法制史家的な解釈に関連して、Litowitzが引用している以下の記事の原典を読むと、判事Anthony Kennedyが以下のように言っているので興味深いと思いませんか。

「思うにカフカは、ホロコーストを予言したのだ。そのおそろしい詳細さではなく、全体主義国家と、個人に対するその暴力的な支配とを予言したのだ」と彼[判事]は付け加えている。

Terry Carter, A Justice Who Makes Time to Read, and Thinks All Lawyers Should, Too, Chicago Daily Law Belletin, Jan. 26, 1993, at 2(訳は評者).]
2.カフカを心理学者と解釈する説
カフカ作品のキャラが自虐的で不合理な行動を採ることから、人を合理的で効用を最大限化する者ととらえるポズナーを批判するロビン・ウエスト [評者注*1]に対し、反論するポズナーは、カフカ作品がほとんど心理学的ドラマであって、法とその行動への影響についてはほとんど何も語っていないと主張している。  [評者注*2]
 [評者注*1 以下の項にて出典表示しているウエストの論文を参照下さい。『審判』に於いてヨーゼフ・K.は権威と罰に服することに同意しているけれども、その同意は人々の福祉やオートノミーや正義の向上に反するから、かかる同意を与える権威とのヒエラルヒー的な関係を疑ってかからなければならない。 なおポズナーによる反論はロージャーナル論文以外にも、著書『LAW AND LITERATURE』183以下にも詳しく掲載されていますので、興味のある人はどうぞ。
 [評者注*2 後掲「『審判』は、司法制度の不正・不正義を訴える法律物語なのか? 」に於いてポズナーの主張を紹介するように、彼はカフカ『審判』を、実存主義小説とも理解しているように評者には思われますが、如何でしょうか?]
3.カフカをポストモダニストと解釈する説
法は力関係によって形成される未決定なテキストであると解釈する。法は既決のルールではなく、柔軟なテキストを固定化された国家の認定する解釈を創ろうとする社会的な力の象徴的な闘争によって積極的に解釈される。
4.カフカを官僚主義批判家と解釈する説
「Kafkaesque」という言葉を用いて、法の官僚主義的な問題を指摘する解釈。控訴審レベルの法廷意見に於いても、かかる問題や適正手続を経ない拘留等が減じるように期待して、カフカを引用する場合も見受けられる。  [評者注]
 [評者注 法廷意見で引用されるカフカの例については、前掲「判例(法廷意見)に出て来るカフカ」を参照下さい。]
+α 外部者法学 (outsider jurisprudence)
外部法学の視点から、特にカフカが描く外部者の構造的かつ心理学的な特徴に着目する解釈。

法律系に限らない一般的諸説の分類

以下の5分類がある。 Litowitz, supra at 103 n4.

1.心理学的アプローチ:  カフカが父親に対して抱くオイディプス症候群的に作品を眺める。
2.宗教的解釈:  遠い神との関係を確立しようという現代人の闘争と見る。
3.マルキスト的アプローチ:  不合理な資本主義制度に於ける官僚主義の内的な世界の衝突を描いていると見る。
4.実存主義的な解釈:  神に帰属しない世界に於いて個人が自らのルールを創造しなければならない孤独な個人を描いている。
5.ポストモダン的アプローチ:  カフカによるヒエラルヒーと権力の破壊に焦点を当てたポストモダンな解釈が最近の学者の好みとなっている。

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『審判』 (THE TRIAL) 

『審判』はカフカの代表作であり、かつ、法に対するカフカの立場[の理解]の起源となるものです。   Litowitz, supra at 117.

なお、原題は『DER PROZESS』なので、正確な意味は"proceeding"すなわち「[法]手続」あるいコンテンツから推しても「刑事手続」とでもすべきかもしれません。   See RICHARD A. POSNER, LAW AND LITERATURE 130 n.2 (revised and enlarged ed. 1998).

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あらすじ

30歳の誕生日のある朝、制服ではなく旅行服を着た見知らぬ二人の「監視人」(guards)が、何ら違法な行為をした覚えの無いヨーゼフ・K.の下宿をいきなり訪れ、向かいの家の住人が覗き込んでいる中、K.は逮捕されたと告げる。 挙句の果てに、K.の朝食を勝手に平らげ、もし朝食が欲しければ金を渡してくれれば近所の喫茶店から買って来ても良い、などと言い、K.の衣服を物色して着服しそうな勢いであった。 寝巻きのままだったK.を黒い服に着替えさせた上に、勝手に隣室の留守中のビュルストナー嬢の部屋で、監視人に同行されて来ていた「監督」の前で非公式な訊問を受けさせられるK.。 しかしK.は拘留されることなく、今まで通りの銀行員としての仕事を続けられると告げるだけで、逮捕状どころか何の容疑であるのかさえ教えてくれはしない。 更に、銀行の仕事を円滑に続けられるようにと、銀行の部下達3名を勝手に下宿に待機させてさえいたのだった。

後に、K.の逮捕に関してビュルストナー嬢の部屋が勝手に使われたことを詫びるK.。それを口実にしてビュルストナー嬢に遭いたいようである。しかしビュルストナー嬢はつれなくするのだった。

銀行の支店上級管理職の毎日を送っていたところ、電話が掛かって来て、日曜に郊外の家で審理(hearing、interrogatation訊問)を行うと告げられる。正確な場所も判らず開始時間も聞き損じたK.は、裁判所などあるとは思われない指定された番地の郊外の団地を探すうち、アパートの最上階の兎小屋のような小さな屋根裏部屋に、大人数が低い屋根の下でひしめきあった審理委員会をやっている法廷(courtroom)をやっとのことで発見する。既に10時になっていた。来るそうそう到着が遅い、と言われるK.。しかも、お前は塗装職人(a house painter)か、と間違った人定質問を受ける。 K.は、不当な逮捕の顛末等に関し、予審判事(the examining magistrate)に苦情を述べ立てる。 しかし訊問に於けるK.のそのような言動は、事件に於けるK.の立場をかえって悪くした、と予備判事は言う。 後方で廷丁の妻の洗濯女(washerwoman)が、将来は大物法曹に成る法学生(law student)といちゃいちゃしていた。

翌週の日曜に再度、法廷に出かけてみると、その屋根裏部屋はも抜けの殻で、例の洗濯女がK.に妖しげな誘いをして来るのだった。するとそこに法学生が現れて彼女を奪って接吻し、上司の予備判事の所へ連れて行くのである。

銀行の物置部屋からおかしな音が聞こえるので、ドアを開けてみると、逮捕の際の下級役人が鞭打ちの刑にあっている。逮捕時に賄賂を要求された旨のK.の裁判所における発言によって罰せられているというのだ。

なぜかK.の遭う人達はK.の裁判のことを知っている。叔父も聞きつけて、心配になり田舎からK.の住む都会に出て来たと言う。K.は叔父をうざいと思うのだが、叔父は旧友の老弁護士を紹介し、弁護してもらうように依頼することとなる。その弁護士の事務所を訪れると、弁護士は床に臥せっていて、若い看護婦レーニがつきっきりで面倒をみている。そして偶然にも、裁判所の書記官長が弁護士の部屋の隅に居たのだった。事件について何らかのツテになるかもということで、弁護士と叔父は書記官長と話しこむ。その間、看護婦レーニがK.に色目を使って誘った挙句二人は別室で長い時間、思いを遂げる。K.が出て来ると既に書記官長は帰ってしまって、気まずさが残っていたという。長時間待っていた叔父がK.をしかりつけつつ、あの看護婦は一見して弁護士の情婦だぞ、こんなことをしたら弁護士が機嫌を損ねるではないか、と言うのだった。

銀行の顧客の工場主さえもK.の裁判のことを知っいて、その工場主が少々面倒を見てあげている貧乏画家が裁判所とのコネ(判事の肖像画を書いて日銭を稼いでいるので判事を知っているというコネ)を持っているので紹介状を書いておいた、と知らせてくれる。

K.は裁判が気になって来て、自ら上申書を書かねばなどとも思い、銀行の仕事が手につかなくなる。ライバルの上級管理職である副支店長に顧客を奪われてしまう事態も続く。裁判の不安に打ち克てず仕事そっちのけで貧乏画家ティトレリの住む屋根裏部屋を訪れると、彼は判事を知っている云々と言う。コネを使う対価として、荒野の風景画をいくつも買わされるK.。ティトレリは言う。K.に責任が無い(すなわちinnocentである)とすれば、三つの可能性がある、と。すなわち、本当の無罪放免(real acquittal)と、表面上の放免(apparent acquittal)と、無期限の延期(indefinite postponement)である。 部屋を出ると驚くことに、隣には法廷があった。[K.の訪れる全ての屋根裏部屋が法廷に通じているかのようである。]

叔父の紹介で依頼した弁護士はなかなか仕事を進めてくれていないように感じる。訪問すると、おかしな裁判実務の背景を色々話して聞かせてくれるだけなのだ。すなわち、裁判に関しては全てが秘密であり、事件記録も、手続も、担当判事でさえ秘密。 裁判手続上誰一人として一つの事件の全てを把握する者は居らず、各自部分部分を知っているだけ。 そもそも容疑が何であるかも判らず、被告人は弁護する義務も無いが弁護を禁じられている訳でもない。弁護士は法上、弁護する正式な権利を持っていないから、法上禁じられていない部分を上手く使って上申書を出すしか手が無いのだ。あせりは禁物。 ...云々と言って、埒が明かないまま時間が過ぎてしまっていた。

K.は意を決してその弁護士を解任し、自ら上申書も書いて裁判所に提出して事件を進める決心をする。法律事務所を訪問すると、先に他の依頼人であるブロックという名の商人が居た。看護婦レーニは相変わらず色目を使い、K.を裁判で助けてあげたいなどと言う。[色々なシュールな場面で女性が出て来てK.に色目を使うのである。] 弁護士に遭う前に、ブロックの事件の話を聞くと、もう何年も事件が終わらず、私財も全て裁判に注ぎ込んだという。更に、この弁護士だけでは心配なので内緒で他の弁護士も複数依頼しているというのだ。K.が弁護士の部屋に通されて、解任の意を伝えると、弁護士は慰留し、更にK.を説得するために、その威厳を見せるべく、ブロックを呼びつけていじめるのだった。判事がブロックの事件について気がかりなことを言っていたぞ、云々と。事件が数年したのに未だ始まってさえいないことを知り驚愕するブロックは、弁護士に媚びて四つん這いになってその手に接吻する程だった...。

銀行の大顧客のイタリア人が聖堂を見学したいと言って来たので、K.がそのガイド役に支店長から指名される。しかし聖堂で待っていてもイタリア人は来ず、ほとんど誰も居ない聖堂内の暗闇から突如、僧侶が現れK.の名を呼び、自分は刑務所の教戒師であると言う。K.の事件が悪い方に進んでいると告げ、他人の援助、特に女のそれを求めすぎるK.を責めた上で、「そんな援助が当てにならぬことに気が付かぬのか?」と告げる。そして、K.が裁判所を思い違いしていると指摘して、法の入門書の中のある比喩物語(a parable)を説教する。

[この比喩物語の部分は、カフカによって『BEFORE THE COURT』という別の作品になっている物語。]

比喩物語いわく、田舎から出てきた男が掟(法)に入ろうとしたところ、門番が、今入ることは許されないと言った。男が中を覗こうとすると、門番は言う。 中にも門番によって幾重にも守られていて、しかも先に行く程に門番は強固な者になる。自分でさえも中の三番目の門番を見ることができない程なのだ、と。 掟に近づきたいその男は、賄賂を門番に渡し門番はこれを受け取るが、その理由は男が手抜かりをしたと思わないようにしてあげるためだと言う。 門番は、近くで座っているように椅子を手配した。待っている間に長い年月が経ち、もうすぐ臨終であるという時になって男は何故他に誰も門に入ろうとして来ないのかと問う。 門番は応えて言うのだった。この門は他の誰も入ることが許されない、あなただけのための門だった。さてもうそろそろ閉めることにしよう、と。  /  この不可解な比喩物語を巡っては、幾通りもの解釈があって対立しているのじゃ、例えば...云々と僧侶は言って話が続くのだが、まずK.が僧侶に問う。門番は男が勘違いするように騙していたのだ、と。僧侶は応える。いや騙してはいない、今は入れないと言っていたのだから。門番は義務を果たしていたに過ぎない。いやむしろ義務を逸脱さえしてあげたのだ。これは義務ではないのに男との無駄話に付き合ってあげていたのだから。門番は男よりも立場が劣後するという解釈も成り立つ。何故なら男は門番の位置を離れることができないのに、男はそこを自由に去ることができるのだから。K.が応える。ならば門番も男も双方伴に騙されていたのだ、と。僧侶は応じる。門番を責めることはできない。門番は法に従っただけだから。そして我々は法を疑うことが許されないのだ、と。K.は抵抗する。もし門番を疑うことができないならば、門番の言うことは全て真実であるとして従わなければならなくなる、たとえそれが真実でなくても、と。応えて僧侶が言う。全てが真実であると考える必要はないのじゃ、ただそれが必要であるとだけ考えれば十分なのじゃ、と。  /  聖堂からK.が出て行く際に彼は僧侶に尋ねる。何か他にK.に対して望むものは無いのか?と。僧侶は応えて言う。裁判所はK.から何も望んではいない。K.が来るときに裁判所は受け入れ、K.が出て行けば開放するのだ、と。

何の容疑かも知らされず、裁判手続も不透明なまま一年近くが過ぎようとしていた31歳の誕生日の前夜。二人の男達がK.の部屋に入って来る。K.にはその意味が判っていた。連れ出され、郊外に向かって拘束されつつ歩いて行く。 途中、警官に出会うけれどもK.は警官の注意を惹こうともしないで二人に連れられて行く。 K.を石切り場で倒して、その体の上で刃物を交互に交換し合う男達。K.はその刃物を自分が自身に突き刺すべきだと思う。見上げると建物の窓が開いて、男が腕を前に突き出して居る。それは未だ見たことの無かった本当の判事なのか、辿り着けなかった高級裁判所なのか("Where was the Judge whom he had never seen? Where was the high Court, to which he had never penetrated?")、未だやり残した抗弁があるのか等と、その人物に様々な思いを投影していると、男の一人がK.の首を押さえ、他の一人が刃物をK.の胸に突き刺して二回えぐる。 K.は最期に、有名な台詞を叫びつつ、小説は最後のセンテンスで次のように結んでいる。「『犬のようだ』と彼は言い、恥辱だけが生き残っていくようだった」と。("Like a dog!" he said; it seems as though the shame was to outlive him.)である。

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『審判』は、司法制度の不正・不正義を訴える法律物語なのか?

私はそうは読まない。 この小説の骨格になっている司法手続は、むしろカフカ的(Kafkaesque)な「病的冗談」("sick joke")である。 それは、...『変身』の冒頭のセンテンスに於いてGregory Samsaが巨大な虫に変身したのと同類なのだ。 ある朝、目覚めて大きな虫に変身していたことに気がつくことを想像してみたまえ。 ある朝、目覚めて特定されない訴追理由に因って逮捕されたことに気づき、更に、何の訴追理由なのかを発見することも不可能であることに気づいたことを想像してみたまえ。 しかも、如何なる法の違反も思い浮かばないのである。 これは人生の不条理(life's unfairness)の説得力ある象徴であり、厳格[無過失]責任  -- すなわち、非難可能ではない行為の結果に対する法的責任 --  であって、十分に酷なもの(bad enough)なのだ。 ヨーゼフ・K.は、自らの行為の非難可能性とは無関係に罰せられるだ。 彼は何もしていないのである。

POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 134(訳は評者).

[法律や司法のおかしさを描いているとはいえ] 『審判』の核心は他にあるのだ。それは、裁判所...によって象徴された世界(a universe)[評者注*1]に於ける人間の意味(a human meaning)を探求するK.の不毛な努力(K.'s futile efforts)にあるのだ。[評者注*2]
[評者注1* 裁判所が世界の象徴である(a universe, symbolized by the court)と指摘するポズナーは、他にもそれを暗示するような表現を用いています。例えば、貧乏画家ティトレリの部屋の外が裁判所であったという場面に関して「[A]ll roads lead K. to the court.」と表現しています。POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 132. 更に、「[E]verywhere K. turns he finds connection with the court」とも表現しています。POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 139. 例えば、最後の方に出て来る僧侶でさえも、裁判所の官吏であると言うのです。POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 133.]
[評者注*2 確かに裁判所をuniverseと理解してK.が人間の意味を探求する姿と理解すれば、話の筋が通ります。例えば、僧侶が、裁判所はK.から何も望んではいない、K.が来るときに裁判所は受け入れ、K.が出て行けば開放するのだ、と述べた意味も通じます。すなわち、この物語は、K.が裁判所(universe)を追い求めているのであって、それはすなわち、権威(?)を求めているのであり、人間の意味を追い求めているのである、と。]

POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 135(emphasis added)(訳は評者).

[冒頭の逮捕を告知されるシーンに於ける下級役人達が制服ではなく旅行服を着たいでたちをヨーゼフ・k.がいぶがしがる箇所について]旅行服に関する言葉は、近い将来生じる法的な適正手続の否定への批判以上におかしな何かの手掛かりである。

POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 130(訳は評者).

この本の雰囲気は夢のようである...。 ...。 K.は裁判所を扱う際に、間違って女性達の助けを求めていることに、我々は気づかされるのだ。

POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 131(訳は評者).

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しかし司法手続に巻き込まれた一般市民の悪夢を描いていることは否定できない。

特に弁護士の出て来る章に焦点を当てることで、法律のちんぷんかんぷんな言葉(legal mumbo-jumbo)ゆえに何が起こっているのかを理解することが不可能である訴訟の当事者になった一般人の悪夢を経験することが、可能になる。 弁護士も他の高度専門職と同様に、自尊心を強固にし、かつ、法的な特権の主張を強めるために、自らの活動の回りにミステリーなベールを巻きたがるのである。 ...。 ヨーゼフ・K.がそれによって裁かれる「法」は、気が狂った恣意的な正義なのである(discretionary justice gone crazy)。

POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 135 (emphasis added)(訳は評者).

K.が弁護士を解任することを思い留まらせようとして、[弁護士]は、法が一般人の理解を完全に超えたものであるように見せることで依頼人を脅すという弁護士のトリックを見事に用いているのである。弁護士は、ブロックの事件に関して裁判所のある判事と交わした最近の会話を報告するのである。 ...。 如何にブロックがかわいそうであるかが読者には想像できるであろう。なぜならブロックは全ての私財をその事件に投じて、事件が未だ始まってすらいないということを知らされたのだから。 ...。

POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 132 (emphasis added)(訳は評者).

[叔父が紹介する弁護士]は「ワシントン弁護士」(Washigton lawyer)[評者注*]のオーストリア・ハンガリー二重帝国版であることが判明する。彼は、ミステリアスな裁判所の仕事の内部知識を持っていると知らしめ、判事のことも知っていてK.の事件についても既に耳にしており、影響力を有し策略も持っているから万事が彼次第であると知らしめるのである。 最も重要な事は、弁護士と裁判所の官吏との間の個人的なつながり(personal connection)なのだ。 そこにこそ、防御の主要な価値があるのだ、と。
[評者注*] アメリカでは弁護士資格が各州・法域毎に付与されて、活動の本拠もどこかの法域に属して行うことが原則ですが、ワシントンD.C.の弁護士の特徴は首都である地域柄も反映して、ロビーイングや口利き、フィクサー的な性格を有することで有名です。『審判』に出て来るK.の弁護士も、そのような口利き的な弁護士であるといことを、ポズナーはアエロニーたっぷりに表現しているのです。

POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 131 (emphasis added)(訳は評者).

[貧乏画家ティトレリから、K.に責任が無いとしても、本当の無罪放免が勝ち取れるとは限らず、表面上の放免や無期限の延期などの方が現実的であると知らされる場面に関して] K.に伝えられる印象は、K.が裁判所の支配力から決して自由にはなり得ないということである。それはあたかも、慢性の、治癒することのない病気に罹ったようなものであり、注意深く管理すれば命を縮めることは無いかもしれないのだ。

POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 132 (emphasis added)(訳は評者).

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古い大陸法的な司法手続を表している。

1914年に書かれた『審判』は、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代の刑事手続を多くの詳細な点に渡って忠実に再現している2。 もっとも法はこの作品の核心では無いのだが。
脚注2 ...。 [原題]『PROZESS』の[アメリカに於ける訳『THE TRIAL』よりも]更に良い訳は、『事件』または『手続』である。何故ならばパロディー形式で描かれている[本作品]は、英米法型のトライアルではなく、むしろ、時間が掛かって当事者対抗主義では無い大陸法的な刑事手続だからである。 ...。

POSNER, supra LAW & LITERATURE, at 130 & n2 (emphasis added)(訳は評者).

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法の、人間性との乖離を描いている。

『審判』に於いてフランツ・カフカは、法の経験をばかげたものとして描いている。

William Joseph Wagner, The Pursuit of the Hunt, Interrupted: Changing Literary Images of Law, 49 CATH. U. L. REV. 945, 967 (2000) (emphasis added)(訳は評者).

カフカの世界では、人力に必要な心理的プライバシーとセキュリティーを司法手続が脆弱化させていて、ヨーゼフ・K.はパラノイアを深めてしまうことになる。

Wagner, The Pursuit of the Hunt, Interrupted, at 968(訳は評者).

法律解釈の言葉と象徴は、それ自身が、合理性を下回る衝動になり得ると、カフカは示唆している。このような事態は、人と社会が同様に行動と出来事...に対して倫理的な重要性を付与することを失ってしまった場合に生じるのである。

Wagner, The Pursuit of the Hunt, Interrupted, at 969(訳は評者).

カフカは法を、確かさの基準たる個々人の自我にはアクセスできないものであり、侵害する力...であると見るのだ。

Wagner, The Pursuit of the Hunt, Interrupted, at 970(訳は評者).

カフカの世界は、人間の自我に対する完全な官僚主義(total bureaucracy)であり、あるいは全体主義的敵対(totalitarianism hostile)ですらあるのだ。

Wagner, The Pursuit of the Hunt, Interrupted, at 972(訳は評者).

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『審判』は、個人が己を管理できない恐怖、すなわち個人情報データベースを勝手に他人が構築・利用する恐怖をたとえるのに最適である。

カフカの『審判』は、データベースが作り出す力関係の範囲、性格、および効果をとらえるのに最適である。  その誇張を通じて小説が与える社会のインサイトが重要である..。コンピュータ・データベースの文脈に於いて、カフカの『審判』の方が[『1984』の]「ビッグ・ブラザー」よりも、話としての焦点が合っている。カフカは個人を無視した官僚主義を描き、そこでは個人が使い捨ての駒に過ぎず、何が生じているのかを知らず、手続に対して発言ができず、あるいは意味のある管理を及ぼすことができないのだ。 ...。 『審判』は、巨大な官僚組織が個人の詳細な生活の書類束に対して管理を及ぼしたときに人が経験する救いの無さ、フラストレーション、および脆弱さをとらえている。 ...; 決定はヨーゼフ・K.に関する個人データに基づいて下され、彼自身には何の発言権も与えられず、何も知らされず、そして対抗する能力も与えられないのだ。 彼は完全に官僚主義的手続のなすがままである。  カフカのメタファーに照らして理解されるように、データベースの主な問題点は、官僚主義的な手続が個人とその情報を扱う方法に由来するのだ。 社会と、個人に対するその影響の一定の関係についての性格に関して問題の核心があるのだ。

Daniel J. Solove, Privacy and Power: Computer Databases and Metaphors for Information Privacy, 53 STAN. L. REV. 1393, 1421 (2001)(訳は評者).

データベースの問題は、知的な管理あるいは制限を課すことなく、個人情報を官僚主義的手続に服させしめ、我々自身の情報に関しての決定に意味のある参加を欠く結果に帰すことにある。

Solove, Privacy and Power, supra at 1422(訳は評者).

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『審判』に於いてヨーゼフ・K.は権威と罰に服することに同意しているけれども、その同意は人々の福祉やオートノミーや正義の向上に反するから、かかる同意を与える権威とのヒエラルヒー的な関係を疑ってかからなければならない。

ヨーゼフ・Kが、...裁判と刑罰の執行に服したのは、評決に同意し、かつ、刑罰の適切さに同意したからである。 ...。 ヨーゼフ・Kが彼に課された懲罰的規範に同意したのは、その規範が長期的には彼の福祉を向上させるからではなく、むしろ、規範の方が彼の罪の意識を認識し、かつ、彼の罰を切望する気持ちを満足させたからである。  / 『掟の問題』という標題の短編parableに於いてカフカは、法の性格と法的な権威、および、それらが因って立つ正当性のメカニズムに関する彼のビジョンを率直に描いている。カフカいわく、法の権威は力によって支えられるのではなく、むしろ、法的で、「高貴な」権威('noble' authority)による判決に対する被統治者の切望(the carving of the gobverned)ゆえに究極に支えられる。この切望こそが、...確実性と公正さと寛容さと正義の幻影を支持するのだ。我々が法の命令と、法を管理する高貴さの要請に同意するのは、同意することが我々の利益に適うからではなく、我々に判決を下す者に高貴さを見たいと望むから同意するのであり、かつ、高貴であると我々が見る者達に判決を下されたいと望むから同意するのである [以下、『掟の問題』からの引用]
我々の法は一般に知られていない。法は我々を統治する少数の貴族グループによって秘密が保たれている..。
...。 法は存在するという伝説があり、更に法は貴族に限られたミステリーであるという伝説がある..。 法は貴族が如何様にもするがままのものなのだ。 ...。
我々が仮定的に同意し、それ故に仮定的に正当であるとした国家と我々との間のヒエラルヒーな関係が、すなわち善であるということにはならない。 我々が仮定的に同意した機関が正義であるということにもならない。 仮定的な選択がオートノミーを反映しているということにもならないし、ましてやオートノミーを促進していることにはならない。 カフカが示唆するように、もし我々が権威に服従する傾向を有しているのならば、その服従という行為が作り出すヒエラルヒーな関係の価値を、我々は精査しなければならないのだ。

Robin West, Authority Autonomy and Choice: The Role of Consent in the Moral and Political Visions of Frank Kafka and Richard Posner, 99 HARV. L. REV. 384, 421-22 (1985)(emphasis added)(訳は評者).

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『掟の問題』 THE PROBLEM OF OUR LAWS  [ZUR FRAGE DER GESETZE]

あらすじ:   法に対してのカフカの最も純粋かつ簡潔な声明。 臣民が自らの服する法を知ることができず、貴族はその上に居る。伝説によれば、貴族が詳細に解釈して来た法が将来には臣民に引き渡される。他方、反対説によれば、法などは存在せず貴族の恣意的な考えが法と言われているのみ。臣民の気持ちは、貴族を責めると同時に、自らが法を得るに値しないとも思う。貴族を打ち倒したいと望むけれども、その勇気が誰にも無い。唯一見える掟は貴族だけれども、臣民はそれを奪いたがっている、とある作家は言う。 See also Litowitz, supra at 121-22.  [評者注*]

[評者注* 法がアクセスできない存在としてとらえられるのと同時に、それに不満であっても権威として服従する態度が描かれているところに、カフカ的思考が現れているのではないでしょうか。  See also Litowitz, supra at 117.]

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『流刑地にて』 IN THE PENAL COLONY  [IN DER STRAFKOLONIE] 

あらすじ:   旅行家(the explorer)が、砂漠の真ん中の寂しい処刑に立ち会う。その方法は、かつての司令官(the Old Commandant)が発明した機械により行われ、その機械を用いた処刑を執行する士官は判事も兼ねるという。刑は囚人に言い渡されず、囚人は何も知らされず防御の機会も与えられないまま、機械にかけられる。刑を疑ってはならないのだ(Guilt is never to be doubted)、と士官は言う。囚人は、その機械に服することで、刑を知るのだ。すなわち、読解不明な刑が機械の「製図屋」(a 'designer')の部分に設置されると、機械の「馬鍬(まぐわ, 'harrow' of long needles)」と呼ばれる針千本によって12時間掛けて囚人の体に刑が描かれる仕組みなのだ。6時間も立つと苦しみが消えて、囚人の顔に悟りの境地が現れるという。囚人は、旅行者と士官との間の会話がフランス語で行われているので、何が何だか判らない。一生懸命に聞き耳をたてて理解しようとするのだが、自らの刑も処刑の仕組みも理解できないのだ。  士官はこの処刑方法を維持しようと強く願い、新しい司令官は廃止したがっている。旅行者がこの残虐な刑に反対の意を表す。すると士官は囚人をその機械から退けて、「正義をなせ」('Be just.')という旅行者には読めない刑を「製図屋」に設置し、自らがその機械に乗るのだった。機械はどこか調子が悪くなったようで、士官の体を針が突き通して殺してしまう。旅行家は古い司令官の墓場を探し訪ねたところ、それは教会の墓地に埋めることを断られて、喫茶店のテーブルの下にあるという冷遇を受けていたことを知る。   [評者注*]

[評者注* やはりカフカ的に、法を知ることができない囚人と、適正手続を欠く裁判や刑の執行が描かれています。もっとも主人公の旅行者がこの中世暗黒時代的な法と残虐刑に批判的に描かれているばかりか、そのような不条理な制度が最後には、士官の死と古い司令官の墓地の冷遇に象徴されるように滅んで行く様で描かれているの点は、救いの無い(?)他の作品のプロットと異なる感触を受けます。]

法を、機械のように自動的に答が出て来ると考える、古い司令官のような原理主義者(fundamentalist thinkers)を批判する物語と読むことも可能である。  Litowitz, supra at 123 n9. 

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『______________』 (THE REFUSAL) 

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『新しい弁護士』 (THE NEW ADVOCATE) [DER NEUE ADVOKAT]

あらすじ:   アレクサンダー大王(Alexander the Great)の愛馬ブッツェファルス(Bucephalus)が弁護士会に受け入れられた。今日では誰もインドを目指した遠征などを試みる者も居ないし、ブッツェファルスには身の置き所も無いのだから、弁護士会も異議なく迎え入れた。ブッツェファルスは戦場から遠い場所で、古い書物のページをめくる、と締めくくられるわずか2ページの物語。  [評者注*]

[評者注* 『審判』等の法に関する物語とは、趣きを全く異ならせているようです。]

ロマンスも危険も失い、現状の制度を破壊して新たな制度を創造するような征服者の破壊的な力も失った現代社会への批判が、ユーモアに込められている。 Litowitz, supra at 126. 

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『中庭の門』 THE KNOCK AT THE MANOR GATE  [DER SCHLAG AUS HOFTOR]

あらすじ:   ある中庭の門を、妹が叩いたらしく、それは定かではないけれども、村人からその行為に対して主人が訴えて捜索が始まると告げられる。すると騎馬隊が追ってきて、中には判事と助手がおり、農家に入れと言われる。これから彼に起こるであろうことについて判事は、気の毒だな、と言い、部屋の壁には鉄の輪がはめ込まれていて真ん中に寝台のような手術台のようなものが置かれていた。釈放される見込みがあるか否か、懐疑的な気持ちが描かれて終わる3ページの短編。

犯した罪の何たるかも知らされないまま[に拘禁される]。 See Litowitz, supra at 126.  [評者注*]

[評者注* Litowitzが示唆するように、罪刑法定主義に反する物語と読めば、『審判』等と同じカフカ的な世界を描いていると理解できます。]

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『______________』 THE STOKER 

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【未校閲版】without proof

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